アリス・ファーム へようこそ! 北海道 赤井川村 から ブルーベリー ジャム と 北の暮らし をお届けします。


食卓日記マーク
#44 (2024.4.2)
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トマト

調理用トマトのエース・サンマルツィアーノとその他大勢
 昨年もいろんな種類のトマトを栽培した。調理用には大玉の「世界一」「ピンクブランディワイン」「アロイ」「ポンテローザ」中玉は「サンマルツィアーノ」「中玉オレンジ」「レッドゼブラ」ミニは「ステラミニ」「ブラックチェリー」「ワーンミニ」「ひとくち」「ボルゲーゼ」すべて在来種のトマトなので昨年採っておいた種子を播いて育てたものだ。自家採取した種を播いて苗を育てる。苗を菜園に定植して育てる。収穫する。各々のトマトの種を採って保管する。翌年の春に播く。菜園ではこのような循環が確立している。気まぐれに新しい品種が加わることもあるが、毎年ほぼこんな感じ。ミニは生食用なので収穫したらどんどん食べる。大玉中玉のトマトはほとんど冷凍して一年分を保管し、調理用として使う。2台の冷凍ストッカーいっぱいに詰まったトマトを見てこんなにたくさん!と驚かれるけど翌年の夏前にはほぼ使い切ってしまう。

 毎日、味噌汁感覚で食べている野菜のごった煮スープにトマトは欠かせない。スープストックや出汁は使わずに野菜からにじみ出るうまみと少量のスパイス、味噌、ナンプラーが味の基本になる。このスープにはトマトは必須アイテム。トマトは野菜の中ではグルタミン酸が多いのでトマトの量を減らすと確かにうまみが減るような気がする。
 さて今日の夕食はどうしようかと考える前に手元にある野菜、玉ねぎ、大根、にんじん、キャベツ、白菜、ニンニク、生姜、キノコ類をほとんど機械的に刻んでお湯を張ったスペインの土鍋カズエラに次々放り込んで煮る。冷凍トマトと同じく冷凍しておいたツルムラサキやハンダマ、モロヘイヤや雲南百薬のような南国野菜も加えて煮込む。落ち着いたらスパイス、味噌、ナンプラーを加えてぐつぐつ煮込んだあと火を止めて蓋をして蒸らす。この蒸らすという作業が大切で、蒸らしが野菜のうま味を引き出すのだろう。
 蒸らす時間がないときにはこのスープは止めた方がいい。
 体にいいのはもちろんだけど、このスープは「野菜を食べなきゃ」という強迫観念から解放してくれる。体にいいばかりでなく精神的にもまことによろしい。これさえ食べていれば、コンビニ弁当だってカップ麺だってなんでもあり。栄養バランスはともかく精神の平衡は保てるのである。

 調理用トマトとしてはやはりサンマルツァーノが優れていると思う。本場もんだけに一日の長を感じる。冷凍トマトは通常、水に浸してから皮が剥くが、サンマルは、他の大玉トマトに比べると皮が厚めなのでスルスルと簡単に剥ける。その上、水分が少ないせいか、ふつうの大玉トマトのようにがちがちに凍らないので冷凍状態でもナイフがスーッと入って切りやすい。中玉と大玉の中間サイズなのでひと鍋のスープに1個放り込めが充分、使い勝手がいい。
 古くからトマトに親しんできたヨーロッパや中近東の諸国ではトマトは加熱して食べる野菜として扱われてきた。サンマルもパスタのソースやミネストローネの原料として改良された結果、調理用として使い勝手のいいトマトになったのかもしれない。何より頑強多産なのがいい。
 そこへ行くとピンクブランディワイン(なぜこんな名をもらってしまったのか意味不明)なんておおげさではなく赤ん坊の頭ほどのサイズに成長するからとても扱いにくい。大きければいいというものではない。

 一般に野菜の生産量は減少方向にある中でトマトはかろうじて現状維持を保っている。それは多分、ミニトマトのおかげだろう。こんなことは普通の人にはあまり興味がないかもしれないが、わたしには大問題なのである。
 70年以上昔の子供時代にはミニトマトなんてなかった。大きな青臭いトマトをくし形に切ってマヨネーズかなんかと一緒に食べさせられたものだ。いつ頃からか定かではないが、八百屋の店先にミニトマトが姿を現し始め、食卓に頻繁にのぼるようになった。ミニトマトはいつの間にか大玉トマトを隅に追いやって、八百屋さんの店先でもスーパーの野菜売場でも主役の座に躍り出たのである。
 それもよくわかる。ミニトマトは色も姿形も可愛らしい。店先に並んでいるだけでもアイキャッチャーの役割を充分に果たす、看板娘(息子)のようだ。消費者の側からしてもミニトマトは包丁を使わずともそのまま口に放り込めるので手軽に利用できる。キャベツと少量の人参を刻んで市販のドレッシングをかけただけのおざなりなサラダでもミニトマト1個で印象がガラリと変わる。特にお弁当には、欠かせない素材だろう。日本ではトマトはもともと生食用の野菜として利用されてきたのだからどう頑張っても手のかかる大玉がミニに勝てるはずもない。

 この様な理由からミニトマトは大玉も含めたトマト全体の消費を下支えするようになったのだろう。となると種苗会社はミニトマトの新種開発に力を注ぐようになる。糖度が高い、皮が薄い、まるでフルーツ、加えて栽培容易、病害虫に強い、こういううたい文句の下、毎年、春になると新種のミニトマトがたくさん売り出される。最近ではリコピンだギャバだと機能性を強調する新種がはやっているようだ。美味しくて体にいい。
 大手の種苗会社間では魅力的なミニトマトの開発にしのぎを削っているのだろう。キャロルとかアイコのような人気の高いブランドを育てることに成功すれば莫大な収益をもたらすに違いない。
 しかし消費者は店先に並んだミニトマトについて品種まで気にするとは思えない。本格的なトマト農家でも評価の定まらない新種のトマトに簡単に飛びつくとも思えない。結局、新しい品種を待ち望んでいるのは消費者でも生産者でもなく、私のような物好きな菜園愛好家と家庭菜園向けに苗を生産する育苗業者、主として通信販売や直売所などでトマトを販売している小規模生産農家ではないだろうか。消費者は安全で美味しくて、適正な価格のトマトを望んでいるわけで、新作のプチプヨだろうとキャロル10だろうとそこまでこだわってはいないように思う。
 種苗会社の策略? によって消費者の好みはもっと甘くもっとやわらかくという方向に引っ張られていく。トマト本来の青臭い匂いや酸味はマイナス要素として取り除かれ、フルーツのように甘いトマトというようなわけのわからないキャッチフレーズが登場するのである。

 ここ数年来、こういう風潮に背を向けてひたすら在来種を中心に栽培してきた。播種→育苗→定植→収穫→採種という循環がうまくいっているのだからそれでいいではないか?
 しかし昨年、近所のホームセンターで見かけたF1ミニトマトの苗に手を出してしまった。明日にも花が咲きそうな立派な苗を1株、購入してしまったのである。4月も半ばというのに温室で育苗中の在来種トマトなんてまだ背丈10cmほど。発芽さえおぼつかないヤツもいる。こんな状態だったので立派なF1苗の誘惑に抗しきれなかった。
 購入した苗は早速、温室の片隅に定植した。通常の1本立ちは止めて脇芽を2本残して3本立ち。摘んだ脇芽はポットに挿して10株以上の苗に育てた。1株300円位だったからまことに効率よし。(もしかして違反?)
 3本立ちにした温室のオレンジパルチェの実は7月の初めにはきれいなオレンジ色に色づいた。これがびっくりするほど美味しい。おなじみの在来種ワーンミニやひとくち、ステラミニに比べて甘さもうま味もさることながらとにかく味が濃い。朝の温室でもいだオレンジ色の実をその場でバジルと一緒に口に放り込む。朝の極上サラダ。菜園仕事中の水分補給にも午後のおやつにもオレンジ色の実は大活躍してくれた。

 消費者の好みを考慮して手間暇かけて作り出されたF1トマトと伝統的な在来種のトマトの味の差は想像した以上に大きかった。在来種にこだわるのは種まきから種採りまでの作業を自分の手でコントロールできるというところにある。
 一方のF1は種を採種して翌年播いても同じものができるとは限らない。基本的には一代限りなのである。オレンジパルチェがいくら美味しくても病気に強くてもその優れた形質をそのまま次世代に手渡せるとは限らない。似ても似つかないまずいトマトができる可能性だってある。何度かF1トマトから採種して翌年も栽培してみたが、代を重ねるごとに本来の美味しさから離れていくような気がした。
 調理用トマトの場合は優秀な在来種サンマルツィアーノというエースがいるから例年通り在来種一本槍で問題はない。
 しかしミニトマトについては例年通り手元にある在来種を栽培するか、それとも美味しいF1トマトを選ぶか、大いに悩ましい。
 種苗カタログを開くとそこには魅力的なF1トマトの種子がズラリと並んでいる。皮の柔らかい「ぷちぷよ」安達先生ご推薦の「惚れ丸」「オレンジ千夏」とどめは「アマルフィーの誘惑」。いかにも美味しそうなネーミング。皮が柔らかい、糖度が高い、形が可愛らしい、サイズが均一とF1トマトは語りかけてくる。
 負けた! 年の初めにF1トマトの種子を6種類も購入してしまった。去年の在来種と合わせると10種類を超すミニトマトの種が保存缶の中で出番を待っている。全種類を播種して4株ずつ栽培しても50株。大玉と合わせると100株を超えてしまうではないか。
 立派に育ったトマトの苗を手に定植場所を捜して菜園をあちこち歩き回る姿が今から目に浮かぶ。

 さて3本立ちで栽培した温室のオレンジパルチェは11月に入り、霜が降りて菜園の野菜がほとんど討ち死にする中、元気に茂っている。ゆっくりとオレンジに色づいた実は皮は厚くて固いものの、夏より甘味がぐんと増している。寒さに抗して厚着して糖分をため込んでいるのだろう。実に美味しい。冬の入り口で、時折やってくるマガモの姿などをながめながら残り少ない実をひとつひとつ慈しみながら口に入れた。
 しかしさすがに衰えが目立ち始め、緑色の実がオレンジ色に熟すことなく萎れて来た頃、もう限界というところで、株を抜くことにした。
 春から秋まで親しんだトマトを抜くのはさみしい気もするが、また一方で大きな楽しみでもある。これまで叶わなかった地面の下の様子を覗くことができるのである。スコップで根の回りを堀り、慎重にトマトを地面から抜く。根が姿を現した。これが美味しい実をたくさんくれたトマトを支えてきた根か。数本の太い根が四方に伸び、たくさんのひげ根が縦横に伸びていた。これまでの1本立ちトマトの何倍も力強い根っこ。想像を超える立派な根だったので廃棄するのが忍びなくてこのまま祀っておきたい気分。
 例年なら3株は植えるスペースに1株しか植えなかったことによってこんなに根がのびのびと育ったのだろう。適正な広さに適正な本数という野菜栽培の基本中の基本を遅ればせながら実践したからだろう。育て過ぎた過剰な苗に脅されて、菜園にとにかく押し込むことに夢中になってきた昨今の姿勢を深く反省。72株を24株に減らせばいいのだ。

 とはいえ、もう種子を見境なく購入してしまったから株数を減らすなんてのは至難の業、かといって菜園をすべてトマトに明け渡すこともできないし。学びと悩みは尽きないのである。


白菜
 今年も2月に突入、この月さえ越せば確実に春を感じることができる。冷蔵庫には11月に収穫した白菜が年を越しても10株ほど眠っている。新聞紙にくるまれた白菜は殆ど傷みもなく美味しく食べられる。
  隣で眠っていた越冬用キャベツは1月中に全部食べてしまった。しかしキャベツがなくても白菜があれば大丈夫、と今では確信をもっていえるけどその実力を思い知ったのは最近のことだ。数年前まではキャベツ一辺倒、白菜はついでに少々という程度の位置づけだった。
 最近では殆ど主食と化した野菜のごった煮スープの主役はキャベツではなくて白菜なのである。大量の野菜をじっくり煮込んでスパイスや味噌を加えて味付けしたスープは実に美味しい。最後の一滴まで飲み干すほど美味しい。白菜はほかの野菜やきのこと一緒にその滋味を惜しげもなくスープに放出する。それだけでも十分なのだが、白菜はスープの旨味も貪欲に吸収するのである。キャベツは盛大に旨味を放出するが、吸収についてはそれほど熱心ではない。玉葱やキノコ、トマトもどちらかと言えば放出派。大根は放出と吸収のバランスがよい。白菜の真骨頂は吸収する力にあり、少々大げさだが私には大きな発見だった。こうして冬の間、白菜はキャベツの座を奪ったのである。
 これまで白菜はキャベツと一緒に巻物野菜に分類していたのだが、同じアブラナ科でも白菜はカブに近い仲間であることがわかった。白菜は葉の根元から葉先にかけて色合いも質感も違っている。根元の真っ白い部分はスポンジ状、緑の葉はちりちりと縮れている。おおざっぱに漬け菜に分類される野沢菜や高菜、水菜やかつお菜と葉の様子はよく似ている。たぶん巻くという性質を獲得した白菜はほかの漬け菜類を出し抜いてメジャー野菜に昇格したのだろう。
 スポンジ状の根元の方は吸収力が非常に高い。縮れた葉は平たい葉に比べると面積が広いから味がしみこみやすい。キャベツの葉がストレート麺なら白菜の葉は縮れ麺なのである。
 だから白菜はスープのうまみを存分に吸収してくれるのだろう。

 偏愛している白菜だが、生産量が増えているのは我が菜園くらいで残念なことに全国的にみると生産高量はひと昔前とくらべると大きく減少している。
 原因はもちろん食生活の変化にある。白菜は漬け物に向いている。塩が浸透しやすい上にキャベツより結球がゆる目なので塩が中心部まですばやく浸透する。ほかの漬け菜、野沢菜や広島菜に比べて形も整いやすい。白菜の暖かみのある白い肌は食卓では魅力的に映る。昆布の黒、唐辛子の赤、柚子の黄色を添えればまことに美しい。
 50年くらい前までは都会でも白菜を漬ける家庭が多かった。大正生まれの母もある時期までは毎年欠かさず八百屋さんが届けてくれる白菜を漬けていた。今年はよく漬かったとか、いつもより暖かかったから出来がよくないとかご近所さんとそんな会話を交わしていたものだ。台所の床の羽目板を外すとコンクリートの室のようなものがあってそこには自家製の漬物やら梅干しやらが保存されていた。
 住宅事情や家族構成、とりわけ食生活の変化によって都会では白菜を漬ける家庭は今やほとんどないだろう。農村でも事情はそれほど変わらないと思う。
 野菜栽培と保存の技術の向上により1年中、新鮮な野菜が供給されるようになってからはレタスやトマト、キャベツやキュウリを使った生野菜のサラダは手軽な一皿として家庭に普及していった。サラダは彩りが華やかで肉や魚介類を加えたり様々なバリエーションが楽しめる。しみじみとした地味な白菜漬けはシャキッとした華やかな生野菜のサラダにとうてい太刀打ちできない。加えて塩分の取り過ぎが問題になってきた昨今、保存のために塩をたっぷり使う漬け物は健康によくないということで悪者扱いされることもある。
 危うし白菜。サラダに押されて漬け物という大口供給先が激減した白菜、このままでは白菜は片隅に追いやられてしまう。探さないと手に入らない稀少野菜になってしまう。


チャイブスの花で仲良く吸蜜・ミヤマカラスと
スジグロシロチョウ
 こうした白菜の危機(野菜のゴボウ化ともいう)に歯止めをかけたのは、唐突だが、卓上型ガスコンロの普及にあると思う。そうイワタニのカセットコンロ。
 かつて鍋物は家庭ではそれほど頻繁には行われなかったように思う。幼い日、わが家では食堂と居間にそれぞれガス管が引いてあった。それにおなじみのオレンジ色のゴムホースをつないで卓上にガスコンロをセットして鍋をのせていた。子供がホースに躓いたり、締め具が緩んでガス漏れしたりと仕掛けが面倒な鍋料理は特別な日の料理だったように記憶している。来客とか誕生日とかすき焼き用の上等な牛肉をいただいたいうような高度なモチベーションが鍋物には必要だったのである。
 そこにカセットコンロが登場する。ボンベをセットしてコンロを食卓に設置する。鍋をのせて具材を放り込めば手軽に鍋料理が楽しめる。部屋にガス管を設置する必要もなく、厄介なゴムホースも不要。コンロの上にはあり合わせの大きな鍋、そこに肉やら魚やら豆腐やら野菜を放り込んでみんなで鍋を囲んで煮えるのを待つ。これなら家庭ならずとも学生下宿だってかんたんに鍋料理が楽しめる。冷蔵庫の掃除役にもうってつけ。鍋料理は特別な日の料理から手軽に楽しめる手のかからない料理という地位を獲得したのである。
 カセットコンロの普及によってゴムホースから解放された鍋料理は瞬く間に家庭に入り込み広く深く愛されるようになった。加えてテレビの料理番組や旅番組などを通して地方の鍋料理が全国的に広く知られるよになった。水炊き、きりたんぽ鍋、石狩鍋などなど。今では、キムチ鍋、トマト鍋、豆乳鍋と鍋料理用の各種スープとポン酢などのつけ汁がスーパーの棚にズラリと並んでいる。その多様さは目を見張るばかり。
 キムチ鍋にしろ豆乳鍋にしろ鍋の主役は何といっても我らが白菜なのである。ここでも放出と吸収、特に吸収という白菜の特技が遺憾なく発揮されることとなる。旨味を吸収する力が強いから白菜それ自体が美味しい。火が通りやすいというのも有利。いくら上等な肉や魚介でも単品では鍋の素材にはなりにくいが、白菜は昆布と豆腐くらいあればそれだけでも鍋料理は成立する。ほどほどという白菜の性質は鍋料理にはうってつけ、キャベツにも大根にも、ましてゴボウにもこんな芸当はできない。
 かくして白菜は鍋料理を支え、鍋料理は白菜の需要を支えてきたのである。
 大根はたくあん漬けの衰退とともに生産量が急降下した。コンビニおでんもたいした救世主にはならなかった。カセットコンロの出現による鍋物の普及によって大根が受けた恩恵といえば大根おろしくらいではないか。
 ましてや牛蒡をや。

 白菜に訪れたもうひとつの幸運、それはキムチの普及にあると思う。「桃屋キムチの素」の発売である。キムチの素により一般家庭ではほとんど馴染みのなかったキムチが漬け物として広く認知されるようになった。家庭で作る作らない、食べる食べないは別として「キムチ」という言葉が広く市民権を得たのである。スーパーの棚には昔ながらの白菜漬けやご当地漬け物に代わって多様なキムチが並らんでいる。
 キムチは従来の白菜漬けに比べるとかなり攻撃的な漬物だ。漬物というよりおかずに近い。以前、韓国でキムジャンに混ぜてもらったことがあるが、女性たちの本気度はすごかった。陰干しした白菜の葉っぱ1枚1枚にヤンニョムを塗りつけていく。ヤンニョムは大量の唐辛子(3種類位、産地指定あり)、魚介の塩辛、なしやりんご、ニンニク(これまた複数、産地指定あり)などを混ぜ合わせたものだ。大きなボールが大量の唐辛子で真っ赤に染まりともかくパワフル。ゴム手袋がなかった時代にはどうしたんだろうと余計なことを考えてしまう。白菜もキムチ専用らしくて小型で葉の巻き方も緩かった。
 こうして漬けられ、程よく発酵したキムチは副菜としてはもちろん鍋や炒め物など様々料理にも使われる。
 インパクトの強いキムチは日本の漬物界に新風をもたらし、その恩恵に最も浴したのは大根でもキュウリでもなく白菜だったのだろう。

 白菜にとってさらなる追い風となったのはテレビで人気を博した料理番組にあると思う。家庭向きお手軽中華料理の普及である。それまで漬物以外の白菜料理といえば白菜と油揚げの煮物とかお浸しとかお味噌汁の実くらいしか浮かばない。油揚げの油や削り節のうまみの力を借りて淡泊な白菜は食卓にのってきたのだろう。いずれにしても子供が好まないひと皿であることに間違いない。
 料理番組に頻繁に登場するようになった油を使ったカラフルな炒め物、肉や魚介も入った短時間で仕上がる炒め物、これなら食卓の主役になれる。子供たちも喜んで食べる。八宝菜や片栗粉でとろみをつけたあんかけ料理。ここでも吸収能力の高さと火の通りのよさという白菜の優れた性質が存分に生かされる。油で炒めてさっと煮込む、さらにとろみをつけるという調理法は白菜の利用の幅を大きく広げたのである。不器用な大根や牛蒡にはこの芸当は無理。

 最近は芯がオレンジ色のオレンジ白菜を栽培しているがこれが実に美味しい。火を通すとオレンジ色はより鮮やかになり見た目も美しい。白菜を極めた達人の中にはオレンジ芯や黄色芯は邪道、白い芯の白菜の方がずっと美味しいという声も多いけど、白菜に目覚めたばかりの私は邪道でもオレンジを選ぶ。ちなみにオレンジ色や黄色の芯の白菜は白菜を半割にして販売するようになって急速に普及したそうだ。なるほどその方がカット面が華やかに見える。白菜だって人知れず生き残るための努力をしてきたのである。今年ももちろんオレンジ白菜。白菜はキャベツやブロッコリーなどと同じアブラナ科の野菜だが、その仲間の中では一番栽培が楽だと思う。放っておいても葉っぱが程よく巻いた3キロを越す巨大な白菜に育つのである。

ミケランジェロとサクサク王子

収穫時期を逸したロマネスコ・ミケランジェロ。今年こそ
 ミケランジェロはカリフラワーロマネスコ、サクサク王子はつるなしインゲン。どちらも昨年、菜園にデビューしたニューフェイス。
 ロマネスコの姿形は実に芸術的だ。さすがイタリア。小さな三角錐の蕾が渦巻状に寄り集まって大きな三角錐を形成している。(こういうのをフラクタル図形というそうだ。)全体の形状と寸分違わぬ姿形をした小房は精緻で実に美しい。しかも色は鮮やかな黄緑色、加熱してもその色は失せることなく、食卓を華やかに飾ってくれる。最近ではデパ地下やスーパーでも販売さている。近所の直売所でも時々みかけるようになった。
 彼女の存在はかなり前から知ってはいたが、派手なカリフラワーだろう位に思い込んでいたので、栽培してみようとは思わなかった。親分のカリフラワーについてもその利用価値の高さに気づいたのは最近のことだ。
 去年の冬、半分にカットされた本当に巨大なロマネスコを友人から押し付けられた。カリフラワーもブロッコリーもまだあるし、ちょっと困ったなと思ったけど、その姿形と色があまりに美しかったのでとりあえずありがたく頂戴した。
 一体どこにナイフをいれていいやら、まわりに蕾の破片を散らかしながら小房に切り分ける。茹でる。すぐに火を止めて蒸らしてからお湯を切り、冷水に放つ。ほどよく冷えたロマネスコを水切り。1個つまんで口に入れる。オッ、なんだこの味は。カリフラワーと比較するとアミノ酸的なうま味が強い。茫洋としたカリフラワーはスパイスを振りかけてインド風の炒め物ザブジにしたり、カレー風味のピクルスとして食べてきたのだが、ロマネスコは茹でただけでも十分においしい。これなら肉や魚介の力を借りなくても料理の主役としても通用するかもしれない。蒸し焼きやシンプルなバターソースをかけてグリルしてもいい。
 ごめんなさいロマネスコ、貴方は、充分探求に値する野菜でした。
 早速「ロマネスコ・ミケランジェロ」(晩成)と「ロマネスコ・ダヴィンチ」(早生)の2種類の種子を購入して栽培することにした。ロマネスコ元年スタート!

 ロマネスコはブロッコリーやカリフラワー、キャベツと同じブラシカ類だから4月の初めに播種して彼女たちと一緒に苗を育てて、6月の初めに菜園に定植した。ひいきして日当たりのいい場所に定植してやったせいか初めてにしては順調に育って個性的なあの形の蕾ができた。ちょっと感動、次第に成長して色鮮やかな三角錐の大きな蕾になった。本当にできるんだと深く感動。菜園のオブジェとしてずっとながめていたかったけど、ある日、意を決して1個だけ収穫してみた。
 収穫したばかりの美しい蕾にナイフを入れる。おやっ、ナイフがスッと入らない。茎が固い。蕾みに瑞々しさがない。菜園のオブジェとしてながめている間に収穫適期を逃してしまったのだろう。黄緑色が失せて黄味が強くなり、固くなった蕾みは老化しているとしか言いようがない。あーあ、2週間前に決断して収穫を始めればよかった。2,3個を除いてほかのヤツも同じようなものだった。
 栽培のきっかけを作ってくれた友人にお裾分けしようと思っていたが、そんなわけにもいかないから、細かく刻んだり、味つけを工夫してともかく食べ切った。
 もちろん、このくらいのことで栽培を止めたりはしない。今年も挑戦すべくロマネスコの種子を購入した。「ロマネスコ・ラファエロ」。時期をずらしてこまめに苗を作り、時期をずらして栽培してみよう。早めに収穫すれば多分、美味しいロマネスコを手に入れることができるだろう。今年がだめでも来年、それもダメなら再来年、そこまで菜園仕事を続けていける自信はないが・・・

 トマトの支柱やゴーヤーのネット、花豆用のパーゴラ、ウリズンやエンドウ用のフェンスと背の高い構築物で菜園はだいぶにぎやかになってきた。菜園では同じような背丈の作物が多いのでそれら構築物はよいアクセントになるのだが、それにしてもちょっと過密気味。これまではツルありとツルなしがあれば迷わずツルありを選んできたのだが、もうこれ以上構築物を増やしたくなかったので昨年は支柱が不要なツルなしインゲンを栽培することにした。その名もサクサク王子。派手な名称に似合わず昔からある固定種のインゲンで茹でてもさくさくした食感が味わえるそうだ。
 インゲンというのは肉料理の付け合わせや肉じゃがやポテトサラダの彩りなど内容よりもアクセントとして使われることが多い。絹さやだってグリーンピースだってブロッコリーだって構わない。ハーブや葉物じゃなくてある程度存在感のある緑色野菜。いんげんについてはその程度の位置づけだった。
 苗を作って定植したままほとんど忘れていたのにサクサク君は律儀にまじめに繁茂して膝下くらいの丈に成長すると地味な花を咲かせて莢をたくさんつけた。本当にたくさんたくさん莢をつけた。収穫しても収穫しても翌日には食べ頃の莢がたくさんぶら下がっている。もちろんセッセと食べる。ごま和えはもちろん、ナムル風にしたりクミンやガラムマサラをまぶしてインド風味付けにしたり、鶏肉や魚と一緒に蒸し焼きにしたり、インゲンもそう捨てたもんじゃなくて工夫次第では添え物以上の働きをしてくれる。手が回らなくなると生のまま冷凍ストッカーに放り込んで冬用の緑色野菜として保存した。その働きぶりに好感を抱いたので夏に二度目の育苗をして秋の初めに温室に定植した。気温が低かったせいか夏ほどの勢いはなかったけどそれでも花を咲かせて莢をつけた。菜園では夏野菜も南国葉物も豆類もほとんど枯れてしまったが、温室のサクサクは毎日律儀に莢をつけた。朝、温室に行くと茎の後に隠れるようにして地面を見つめるサクサクを探し出してサヤを摘むのが日課になった。季節は進み、雪がちらつくようになってもサクサクは莢をつけ、その数は次第に減ったけれども少量でもサクサクのきれいな緑は食卓を賑やかにしてくれた。
 来年も粘り強くまじめなサクサク君を栽培しよう。ツルなしというのも意外といいものだ。こじんまりと慎ましやで一所懸命な感じが伝わってくる。
 今年はインゲンだけでなくサヤエンドウやスナックエンドウ、グリーンピースもツルなしを選んで栽培してみよう。ちなみにサクサク君の天ぷらは超美味だった。まじめで地味なこのインゲンがなぜサクサク王子などいうキラキラネームを授かったのだろうか。きっと本人も当惑していることだろう。

死ぬまでに栽培したい花

新築のガゼボ。スイカズラが覆うハズなのだが・・・。気配なし

 いつの頃からか菜園にあったガゼボ(複数本の柱をたててその上に屋根を乗せた東屋)が一昨年の冬に雪の重さで潰れてしまった。ガゼボは中に置かれたベンチに腰を下ろして、紅茶を飲みながら刻々と変化する菜園の様子を眺めてゆったりと時間を過ごすための憩いの場である。建前は。しかし一度としてガゼボでそんな優雅な時間を過ごした記憶はない。炎天下、汗だくになってどっこいしょとベンチに座る。目に飛び込んでくるのは美しく整備された菜園や花園ではなく、刈り残した雑草や伸び放題のトマトのわき芽、舗道を占拠しているナスタチュームなどなど。とてもじっとしてはいられない。それはそうだ。使用人が手入れした庭なり菜園なりを雇用主が楽しむためのガゼボなのに、わが菜園では使用人と雇用主が同一であるからしてガゼボは水分補給や汗を拭いて体を休めるための休憩所になってしまうのだろう。
 そんなガゼボだが、長い間、菜園の風景の一部になっていたので、いざ失ってみると喪失感が募った。
 そこで新ガゼボ建設をお願いすると冬仕事に新しいガゼボを作ってもらえることなった。できあがったガゼボは以前の三角屋根に比べると少々風情には欠けるが、これなら一生もの、屋根が取り外せるからどんな大雪にも耐えるだろう。以前のガゼボが北海道に昔からある三角屋根のかわいらしい家だとしたら新ガゼボは屋根が平らな耐雪ハウスといったところ。別に不満に思っているわけではないが。

白花のカンナ、今年再度挑戦予定。
群れたら見応えあり。
 せっかくガゼボが新しくなったのだからこのエリアを久々にハーブガーデンにしてみようと思い立った。ここはいつもなら余った苗や一年草の花々をさしたる方針もなく無秩序に植えているので、夏になると収拾がつかなくなる。背丈が高いキンギョソウやジニアは花の重さで倒伏するし、下敷きになったアスターは悲鳴を上げるし、あっちの方では満願寺唐辛子とバジルが光をめぐって激戦の真っ最中。まったくのカオス状態。菜園の入り口なのでここだけは整然とした雰囲気が漂うようなエリアにしたいと思っていたのだが。
 偶然、良心的なハーブ専門の苗屋さんがみつかったので一度は栽培してみたいと思っていたハーブの苗をいろいろ注文した。フレンチタラゴン、レモンバーベナ、ローズゼラニューム、レモンゼラニューム、パープルセージ、レモンタイムなどなど。雪深い北国では冬越しが難しいのであきらめていたハーブばかり。そして新しいガゼボにはハニーサックルを這わせることにした。ハニーサックルという魅力的な名前に惹かれてきめたのだが、その正体はハスカップなどと同じスイカズラの仲間。4メートル以上伸びるそうだからガゼボ全体を覆ってくれるだろう。
 このハーブガーデンの試みは結論からいうと半分成功、半分失敗。ほとんどのハーブは冬前にポットに堀りあげて、温室に取り込んだ。繊細なフレンチタラゴンは柔らかな芽をたくさんつけて一番元気がいい。あと2〜3年したらバタフライガーデンも兼務したハーブガーデンとして形が整うだろう。

 死ぬまでに栽培したい花、今年は白い花の咲くカンナ。苗は順調に生育、ハーブガーデンの奥の方に定植したのだが、予想外にせり出してきたブッドレアの陰になってかわいそうなことをした。背丈は伸びなかったが、それでも淡いクリーム色の花が2〜3輪咲いた。紛れもなくカンナの花、赤に比べるとずっと上品で名を名乗らなければカンナと気づかれないかもしれない。
 今年も再挑戦、もっと日の当たる場所に植えて伸び伸びと育ててやろう。黒に近い濃色の花が咲くはずのホリホックも定植してみた。運がよければ今年、開花するだろう。
 手元にはオークションで手に入れた名前を聞いたことももちろん姿を見たこともない花の種がたくさんある。春先の混乱ぶりが目に浮かぶ。

菜園、今年の方針
 これまで何といい加減な態度で作物を栽培してきたのだろう。冬の間、植物分類の本を読んで大いに反省。キャベツと白菜が同じアブラナ科の野菜ということは知っていたが、これまで両者をアブラナ科の巻物野菜として勝手に分類してきた。ギリシャあたりを原産地とするアブラナ科の植物は西に進んでケール、東に進んで菜っ葉として進化する。ケールを親とする一族にはキャベツ、ブロッコリー、芽キャベツ、葉ボタンが所属する。一方、東に進んだ菜っ葉類は蕪や大小様々な漬け菜類(野沢菜、広島菜など、葉がぼうぼうに広がる菜っ葉)に進化、菜っ葉が巻くようになったのが白菜で小松菜や青梗菜に近い。
 なるほどよく見ると白菜は青梗菜に似ている。
 だからどうしたという話なのだが、これほど慣れ親しんできた野菜について何も知らなかったのかとショックを受けた。
 これまではキク科のレタスもチコリもサラダ野菜として一括して取り扱ってきたけど両者はかなり異なった野菜なのである。人類は先住の動物たちが食べ残した苦い葉っぱを食べて命をつないで来たと言われる。苦みの強いチコリは今後、人類が生き残るためには大切な食物になるかもしれない。
 今年はキク科のレタスとチコリをできる限り網羅して栽培するつもりでいる。10種類を超える葉っぱの行く先は考えないことにしよう。レタスではバターヘッドやコスレタスチコリではバタビアン、スカロール、ラディッキオ、・・・・・。
 あと何年かまじめに精進すれば草食動物として生きていけそうな予感がする。


6月のボーダーガーデン。
デルフィニューム、オリエンタルポピー、芍薬・・宿根草の花の命は短い







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