●2018年11月
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最近ひとなみにSNSなどというものを始めていて、時々投稿などもしてみる。すると拠点であるはずのホームページがおろそかになってきて、あまつさえ遅れ気味のこのフォト日記がますます遅れてしまう。
当ホームページはスマートフォンでも見られるように担当のMさんが作業をしてくれて、かろうじて時代に追いついている。そこでわがフォト日記も少し体裁を変えて、文章を少なくしようかと思う次第。
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「ベリーの丘」にデッキを制作
今年正式にオープンした「ベリーの丘」には結構たくさんのお客さんがきてくれる。カフェから登った丘にあるのがクリの三兄弟で、樹齢100年の大木だ。その根元の木陰にデッキを作ることにした。傾斜があるので三段に分けたが、結構苦労した。一番下のデッキからは羊蹄山が見えて中々気持ちのいい場所だ。一段目と二段目の間には子供用のすべり台も作った。
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竹鶴孝太郎氏来訪
ご存知ニッカウヰスキーの創設者竹鶴政孝氏のお孫さん、竹鶴孝太郎さんとは結構長いつきあいだ。氏がまだニッカに在籍してニューヨーク支店長だった頃には、かの地であれこれお世話になった。マンハッタン市街にBMWを疾走させつつ電話でレストランの予約をする氏の姿は大変カッコよかった。
その孝太郎さんは年に一度ほど故郷余市を訪ねられるが、その都度お会いすることになっている。今回は余市の旧竹鶴邸を見て回ったり、一緒にニセコの知り合いをたずねたりした。写真はニセコの某地でバーベキューに参加した時のもの、羊蹄山が霧から突如現れた一瞬であった。
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石垣島、西表島訪問
9月の初旬に沖縄の石垣島と西表島を訪ねた。さしたる目的もない物見遊山で、車でぐるりと島を一周してきた。なるほど南の島だなあ、というぐらいの感想しかないが、カンムリワシとアカショウビンを見られたのが収穫だったかな。西表島のヤマネコは毎年かなりの数が車で殺されるらしく、心が痛む。剥製の顔はわが家のチリに似ていて、チリオモテヤマネコなんてふざけるけど、やっぱり野生は迫力がある。ボルネオのナイトツアーでボートから見たヤマネコの姿は凜々しくて見事だったなあ。
写真右上は市議会選挙のポスターで、下の名前を強調するのが楽しい。左下はなにやら見たことのある人物がいたので記念撮影。
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OG訪問
ある日、ホテルドロームでスタッフとして働いてくれた女性たちが訪ねてきた。突然でびっくりしたけど、おお懐かしいなあ!氏名など詳しく覚えていたり失念したりだが、それぞれに記憶があって、そうかあれからもう10年も経ったのか、と感慨もひとしおである。皆さん独自に自分の人生を歩んでいるようで、大変結構なことである。訪ねてくれてありがとうみんな!
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秋の風景その1
本部の建物はもうすっかりツタにおおわれてしまったが、それが晩秋には深紅に染まる。それなりに見事だが、残念ながら2週間ほどで全部落葉してしまう。一瞬の風景、ということですね。
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秋の風景その2
秋になって朝晩の気温が下がるとわがカルデラ村には霧が立ちこめる。アリス・ファームは高い所にあるので、この霧を上から眺めることになる。つまりは雲海で、村を囲む外輪山の向こうには羊蹄山が顔を出す。やがて山は雪で真っ白になっていく。
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秋の風景その3
去年作った本部裏の池界隈はそれなりに落ち着いてきて、毎日その回りを歩く習慣になった。池の景色を眺めるために置いたベンチもなんとなく馴染んできて、ここから見る裏山の紅葉も嬉しい。
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カメムシの季節なのである
「このムシやーねと君が言ったから10月10日はカメムシ記念日」ということになっていて(アリス・ファームでは)、その通り10月はカメムシの季節だ。最大の難敵はスコットカメムシなのだがこれは去年からぐっと数を減らし、その代わりにヨツボシカメムシが多くなっている。こういう変化はちょっと怖いけど、防戦はしやすい。写真はツノアオカメムシ♂で、光を浴びると中々ハンサムでおしゃれ。
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もうすぐクリスマス
宇土仁木一家がよく遊びにくる。みんなでブドウの収穫をしてジュースを作ったり、新しいブランコに乗ったりして秋の日を一緒に遊ぶ。昔々、仁木が小さかった頃によくサンタクロース像を作ったが、今度は仁木が娘の仁菜にそれを教えている。いずれ仁菜が自分の子供にそれを教えるのだろうか。
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●2018年8月
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誰もが挨拶がわりに口にするのが、「今年の天気はおかしいねえ」というフレーズ。
雨と寒さの6月、とんでもない暑さの7月、そして8月に入ると気温が下がり、再び雨ばかり。
たしかに地球はおかしなことになっているのだろう。
やむをえない、このいささか狂った気候とつきあっていきましょう。
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6月は牧草を刈る季節
今はもう動物がひとつもいないけど牧草地は昔のままで、放置しておくと雑草やシラカバが入ってきてやがて荒れ地になってしまう。だから牧草を使う目的ではなく、草地を緑に維持する目的で毎年牧草刈りをする習慣だ。使う機械も草を細かく切って散布するタイプのもので、これはつまり土からもらった栄養を再び土に返す、ということになる。フレールモア、あるいはハンマーナイフモアという機械で、通称はチョッパーという。この機械を年代物のジョンディ
アにつけて牧草地を走り回る。刈るだけで終わりなので我々は気楽だが、酪農家にとっては牧草がきわめて大切、今年のような気候だと深刻になる。
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深窓の令嬢を発見!
温室では6月から、庭では7月からバラが咲き始める。庭のバラは冬にネズミにかじられたり、雪に押しつぶされたりして、ほぼ全滅。リベンジをしていないので次々と別な植物に場所を譲っている。そんなバラ情勢の中で唯一健闘しているのがツルバラで、サンルームの外といくつかのアーチで花を咲かせる。寒さに強い、という理由で選んだのは、アイス・バーグとかサマースノーとかで、どちらも白い小さな花を咲かせる。春に少し肥料をやるぐらいしか手入れをしないが、それでも結構育っている。
本部建物の南側にあるサンルームはもともと犬たちの部屋として作って、次第に我々が占拠するようになった場所だ。いつの間にかソファを置き、カーペットが敷かれ、最近はテレビまでセットされている。犬たちは最初全部のスペースを自由に使っていたが、やがて部屋の中央に仕切り柵ができ、とうとう各自ひとつの小さな柵に囲い込まれることになってしまった。白いバラの向こうにランちゃんのスペースがある。
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野田知佑御大と二風谷を訪ねる
春に四国の野田さんを訪ねたが、今年の夏は北へ行くよ、と聞いていた。それならぜひ久しぶりにわが家へ、とお誘いして夕食会を催した。小さい頃からかわいがってもらった有巣と仁木を誘ったが、仕事の都合でかろうじて仁木が参加するだけだった。それでも数々の昔話があって楽しいひとときであった。翌日に野田さんと一緒に日高に行き、二風谷の貝澤輝一さんを訪ねた。アイヌのリーダーだった萱野茂さんの弟さんである。一家にバーベキューで歓迎してもらう。資料館などを訪ねた後で十勝に入り、歴舟川でカヌーを、と思ったが生憎の悪天候で実現しなかった。残念!
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第一回アリス・ファーム「ブルーベリー祭」開催
春に「ベリーの丘」を本オープンさせたが、夏になってもうひとつ盛り上げようと「ブルーベリー祭」を企画した。つみとり園はもちろん、販売する商品も思いきりディスカウントし、特別企画のあれこれを試みた。ブルーベリーのパンケーキや知り合いの作るソーセージを焼き、「ベリーつめ放題」とか「ブルーベリー犬コンテスト」なんていうのもやってみた。それぞれ成功や失敗もあったが、一番嬉しかったのは余市の「HRUKA」さんのバグパイプ演奏だ。広々としたベリー園にこだまするバグパイプの音色はそれだけでスコットランドを思わせる叙情が迫り、聞く人の胸に迫るのであった。江別の有巣君はじめとして多くの知人友人が訪ねてくれて楽しい2日間であった。
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がんばれスズメバチ!
本部のトイレの窓にキイロスズメバチが巣を作っている。5月の末頃に越冬した女王バチがひとりで巣ずくりを始めた。昨年の秋に受精して単独で冬を越し、春を迎える。そしてたったひとりで巣づくりを始める。それだけでもうぼくなどはねぎらってやりたい気分になり、最初のトックリ型の巣からずっと見物している。やがて最初の幼虫が羽化し、働き蜂として外仕事を始める。巣は次第にスズメバチ特有の丸形になり、段々大きくなっていく。女王は産卵に専念し、働き蜂はエサを求めて飛び回り、それを幼虫に与える。動物質のエサは幼虫専用で、成虫はその幼虫から栄養液をもらう。くびれた腰は液体しか消化できない仕組みだ。働き蜂はまた朽ち木をかじっては持ち帰り、唾液と混ぜて巣の外側に貼り付けていく。巣のまだら模様は木の種類が作りだすアートだ。お盆の頃に一時元気がなかったが、いままた復活して全員でがんばっている。評判の悪いスズメバチだが、ぼくは断固味方をしたい。ちなみ今年は一回ハチに刺されている。
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池でカヌーに乗る
本部裏の新しい池はおよそ300坪あって、それなりの大きさだ。修理に出したアルフェックというカヌーが戻ってきたので、池に浮かべてみた。ちょうど息子たちが来ていたので、仁菜、あきの姉妹にカヌーを体験させた。本当なら川下りをすればいいのだが、このところ近くの川とは遠ざかっている。「河川改修」なる破壊で、昔と川の様子がすっかり変わってしまっている。それを見るのが嫌なのだ。有巣や仁木は小さい頃よく川で遊んだが、その頃の川はもうない。この池を作って一年になるが、自然にやってきた植物や虫などが結構多くいる。ビオトープというのだろうか。
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今年もお盆の集合だった
菜園の隣には「墓地」があって、犬の墓が並んでいるが、母藤門政子の墓ができてからいよいよ本格的な墓地になってきた。そして、軽く考えていたお盆のお墓参りにもやや思い入れが深まった印象だ。ある友人に話したら「へー!フジカドさんがねー」と驚かれたが、最近はこの日本の習慣がそう悪いものではないように思えてきた。儀式めいていて恥ずかしくはあるが、年に一度ぐらい家族で集まって先祖の霊に思いを致すことがあってもいいではないか。そしてもちろん、日頃この墓地の管理をしているぼくはそれぞれに刻まれた名前をつぶやきつつ芝刈り機など動かしているのである。
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「じょうろ博物館」が完成!
今年の工事予定の最初にしていたのがこの小さな建物で、本当にそうするかどうか未定だが、ひとまず「じょうろ博物館」と呼んでいる。じょうろという道具が好きでずっと昔からちょこちょこと買い集めていた。それが結構な数になったし、見ていて楽しいのでいつかどこかに並べてやろうと思っていた。だからじょうろ博物館なのだが、普通の人が見てそれをおもしろいと思うかどうかはさっぱり分からない。自信がないけどまあいいでしょう。
この建物は最初はホテル・ドロームの灯油小屋、次は野菜の直売所、そして三回目の移動と新装なのである。古い建具など再利用して、でもそれなりにかわいく仕上がった。
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●2018年6月
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相変わらず気候は不規則で、このところずっと大変寒い。
6月になって暖房が必要だったりして、畑の作物も生育が今ひとつ。
暑さは嫌いなはずなのに早く夏にならないかなあ、と空を見上げたりするのです。
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あきちゃん2歳の誕生日
早いものであきがもう2歳になった。6歳のお姉さん仁菜とは性格が大きく違っていて、天真爛漫にして陽気で率直だ。訪ねてくるとニコニコ走ってくるから、迎える側からするととても可愛く思う。仁菜の持つはにかみや慎重さはまるでなくて、きわめて分かりやすい性格と言えそうだ。上と下で子供の性格が違ってくるにはなにか一般論もありそうだし、有巣と仁木の幼少期も同様だった気がする。「カインとアベル」や「エデンの東」や「リバーランズ・スルー・イット」は男兄弟の話として理解できるけど、女の子はどうなんだろう。
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機械倉庫の再建
春先から積雪のために倒壊した機械倉庫の再建作業を続けて、ようやく完成した。写真は建設途中のものだが、前のドーム型屋根から普通の切り妻屋根に変更した。こちらの方が積雪に強いように思ったからだ。しかしいずれにしても屋根に大量の雪が乗ったら危険には違いない。頂上の棟のラインを除雪するとか、室内でストーブを焚くとかの対策は必要だろう。倒壊で痛んだものを始め、なんとなくしまい込んだものなどを大量に捨てたので、新倉庫内はすっきり片づいている。
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新しい池にスイレンを植える
昨年掘った池は積雪に埋もれて冬を越し、春の雪解け水を満々と溜めて健在だ。周辺の緑化が今年のテーマだが、その作業に先立って池の内部に水生植物を植えた。スイレンとガマを30株づつ、ハナショウブなどの花類をあれこれ10種ほど、外周にはヤナギランやミソハギなど、水路にはエゾノリュウキンカやミズバショウなど、あれこれまとめて力仕事だった。それぞれがうまく育つかどうか様子を見てみよう。水性植物の後は池回りの芝生植えだ。トラクターで何周も耕して回ってから種蒔きをした。タイミングよく雨も降って、芽が出始めたところだ。
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宇土有巣先生ついにクリニック開業!
研修医を終えてから長い間勤務医として現場で修行をしてきた有巣が、とうとう自らの医院、クリニックを開業することになった。場所は札幌市の隣の江別市で、ここにあった医療法人をそっくり買収し、自らその理事長を務める形だ。「あさひ町大通りクリニック」というのが医院の名称で、訪ねてみると思いがけず規模が大きく、建物も新しい。前理事長が譲渡を前提に新築したのだそうだ。有巣君は念願の開業を果たして、ひとつ人生上の節目を迎えている。彼の活躍と成功を家族みんなで願っている。
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結婚式のお祝いでバグパイプを演奏する
我々が暮らすのは赤井川村の「日の出」という地区で、ここには20件ほどの農家がある。最近ではその半分ぐらいがニューカマーになってきて、ちょっとおもしろい住民の構成だ。特筆すべきは新旧の住民がうまく融合していることで、一昔前の排他性はもうどこにもない。
ニューカマーにもいよいよ二代目が出てきているが、すぐ近くの友人の息子さんが結婚して、そのお祝いの会が開かれた。ヘタなバグパイプ演奏でお祝いをしたが、皆さんに好意的な拍手をしてもらった。
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徳島に野田知佑師を訪ねる
毎年一回は訪ねることにしていた徳島の野田御大なのだが、昨年はタイミングが悪くて実行できなかった。訪問の相棒は小学館の宮川青少年なのだが、編集者というのは中々大変な仕事らしくて、日程がむずかしい。彼は入社してすぐに『Be−Pal』誌の編集部に入り、野田さんもぼくも彼と仕事をすることなった。それぞれ長いおつきあいなのである。久しぶりの野田さんはとても元気で、楽しい時間を過ごさせてもらった。日和佐八幡神社へ行くとあたりには沢山の楠があって感動的だった。この写真を眺めて、昔々20年も前に鹿児島の甑島で撮った三人の写真を思い出したが、残念ながら探し出すことはできなかった。
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四国の池めぐり
野田さんの住む徳島美波町から西へ高知に入り、室戸岬を越えると北川村という所がある。この村にある「モネの庭・マルモッタン」という施設を訪ねた。印象派の画家、クロード・モネがジヴェルニーという所に作った庭は有名で、『モネの庭』として公開されている。それをそっくり日本に輸入したのが北川村の『モネの庭・マリモッタン』だ。モネの庭、と聞いてすぐ浮かぶのがスイレンの池で、今回の訪問もわが家で進行中の池のための偵察だ。期待どおり大いに参考になった。写真は帰路に立ち寄った高松の栗林公園で、ハナショウブが見事だった。
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元Be−Pal編集長 岩本さん一行来訪
6月前半はちょっとBe−Palづいていて、元編集部の宮川と野田知佑師を訪ねたすぐ後で今度は元編集長とお会いすることになった。ずっと昔に東京神田で野田師の仲介で岩本さんと初めて会った。それから何度も連載のページをやらせてもらい、何冊か単行本にもなった。上記三名の皆さまには大変お世話になったのである。野田師の連載はいまだに続いているが、岩本さんは定年退職され、宮川は別な編集部に在籍している。わざわざ立ち寄ってくれた岩本さんと楽しく旧交を温めるのであった。
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●2018年4月
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ベトナム北部を旅する
春と秋の恒例の旅行だが、最近はあまり行きたいと思う所がなくなってきた。
いつも野鳥や昆虫などとの出会いを期待するが、それが中々実現しない。パプアニューギニアやスリランカの旅はさすがに手応えがあったが、出かけるのにはやはり気合いが必要だ。もっと簡単に行けてぼくが望むような自然のある場所はないものだろうか。
というわけでベトナムに出かけたが、簡単に行けるだけあってやはり野鳥も昆虫もさっぱりだった。さはさりながら、ちょっとおもしろい異国の旅ではあった。
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ベトナム最北部サパの町で
ベトナムには54の民族があると言われているが、その9割はキン族(ベト族)で、だからベトナムという国名らしい。ベト族はどちらかというと平野の民族だから、残りの少数民族のほとんどが山地に住んでいて、これはタイやラオスなどこのあたりの国と同様だ。今回は、もしかしたら、残された山野に鳥や虫がぼくを待っているのではないか、と期待しての旅だった。ところが待っていたのは山岳民族の皆さんばかりで、ご挨拶をすると結局あれこれの手芸品を売りつけられるのである。
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思いがけず急峻な地形であった
奥地に山岳民族の皆さんがいることは事前に分かっていたが、あわよくぼそのまた奥へと分け入って、珍しい生き物などを探ってみようと思っていた。しかし現実はかなり厳しくて、まずは山がとても急峻なのである。予定どおりレンタルのバイクを確保したが、そもそも奥にある村に到達するだけでも困難なのである。山の斜面にはびっしりと棚田が作られていて、そこにあるのは直線的に登る歩道ばかりだ。タイの北部では山岳民族の村を抜けてその奥へバイクで入ったが、ここではとても無理だった。
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サパの町の混沌はおもしろかった
「なんとか間に合った」というのがサパの町の印象である。なにに間に合ったのかというと、少数民族の伝統が壊れる寸前、というあたり。どこでもそうだろうけど、近代化の波はすごいから、山に住む少数民族の人たちだって、暮らしはどんどん近代化しているはずだ。冒頭の赤ずきんのおばさんも、値段を尋ねたら懐からスマートフォンを取り出して数字を示したのである。赤ずきんおばさんがいたのは観光客相手の「愛情市場」だが、この写真は地元の人が集まる「サパ市場」だ。しばらく観察したところ、この女性たちは自分たちが使う衣類の売買あるいは物々交換をしているようだった。黒モン族、花モン族、赤ザオ族、タイ族など、それぞれの服装があって嬉しい。足元のゲーターがゴム長靴に変わりつつある様子だった。
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久しぶりにバイクツーリングの毎日
ホテルフロントのメガネお姉さんが感じが良くて英語も上手だったので、彼女にレンタルバイクの手配をお願いした。やってきたバイクはホンダ製だったが結構古い。山の中で故障したらどうするんだろうと思ったら、私に電話して、とのことでまずはOK 。ホンダだから大丈夫でしょう。しかし問題はバイクよりもそれを操縦するこちらにある。ノークラッチの原付バイクはあまり乗ったことがなくて、操作に慣れるのに時間がかかる。おまけにベトナムの交通事情である。道路はバイクと自動車のカオス状態であって、秩序よりも腕前が優先するのである。それでも5日間このバイクと運命を共にし、転倒一回で無事帰還したのでありました。
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少女たちに幸運がありますように
サパの町から奥に向かう道路をたどっていると、突然の濃霧に閉ざされて、その向こうからウグイスの鳴き声がする。それがベトナム的に独特で、「ホー・ホケチョイ!」というような具合だ。バイクを降りて声を聞いていると、下の方から少女が3人歩いてきた。ポッケに用意したヴェルタース(アメ)を差し出して写真を撮らせてもらう。あまり品のいい行動ではないが、いきなりカメラを向けるのもためらわれる。彼女たちがどの民族になるのかは分からないが、その服装が過渡的なことが見える。左の子のようにやがてみんな上下ジャージになってしまうのだろうか。
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少女たちの村
峠を下ると谷間に入り、そこに村がある。バイクなどでづかづかと村に入っていくのは失礼なことだろうから、人がいたらともかく恐縮して挨拶をするように努める。つもりなのだが、なぜか奥地には誰も人がいないのである。なのでどんどん進むが、村の様子もまた少女たちの服装のように過渡期に見える。伝統的な棚田のすぐ下に重機で動かしたと思われる土砂が堆積していて、どうやら新しい水路を作っているらしい。手や水牛でやっていた農作業が耕耘機やトラクターに劇的に変わるのは、ぼくが住む村の50年前とまったく同じ歴史に思える。
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ハノイの街角で
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<左上>卒業式か何かがあって白アオザイの美女たちが街角に沢山。すかさずパパラッチ。
<右上>木陰の歩道で売っていたのは桑の実だった。英語で言うとマルベリー。
<左下>歩道に置かれたお風呂のイスで食べるのは「ホー」。米粉のソバで150円。
<右下>アジア各地の都市同様ハノイもバイク王国。大迫力の街角なのである。
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●2018年3月
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月ごとに更新するつもりのダイアリーなのですが、このところずっとサボっていて、隔月でようやく、という有様です。とりわけ冬の間は特に新しい二ユースもなくて、掲載するような写真が手元にない、というような事情もあるわけです。面目ない。
ともあれ、ようやく春がやってきて、新しいアルマナックの始まりです。今年もがんばっていきましょう。
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新メンバーの到着!
ギンちゃんがいなくなってランはひとりで寂しく暮らしてきた。ぼんやりランちゃんだけに余計に不憫に思われる。そこで大阪のブリーダーの國友さんに相談して、次の子犬をお願いすることにした。17年の11月に生まれた子犬の中から、元気なグレーの女の子をひとつ譲ってもらうことになった。できればギンと同じシルバーと思ったのだが、そう思うようにはならない。1月の下旬、今年一番寒かった日に彼女はやってきた。有巣の住む喜茂別でマイナス30℃だった日だ。名前はジンジャー、元気いっぱいで駆け回り、彼女中心に毎日が展開することになった。
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おやつだよ全員集合!
夜の9時頃、もう少しするとみんな就寝の時間にサンルームがにぎやかになる。それぞれの日課から集合した2+2はおやつをもらうことになっている。主にネコたちのためなので、最近流行の「ちゅる」なる正体不明のペーストとか、「ペット用にぼし」とかがメニュだ。チリ・ペパ組のネコたちはもちろん、ランと新入りのジンジャーもこのおやつが大好きだ。それぞれおとなしく正座して順番を待つのである。
ただしチリだけは特別で、ちゅるに袋ごと噛みついて、すると日頃の人格が激変してなんだか急に凶暴になるのである。写真は袋にかじりつくチリをみんなで呆然と眺めているところである。きっとこのペーストにはネコを興奮させるなにか特殊な成分が混入されているに違いない。どうも危険な気がする。そんなこともあって、犬猫ともドライフードは全部「ソリッド・ゴールド」に変更したところだ。犬たちはこれに生の牛挽肉が加わる。
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春の雪上散歩が始まる
3月も中旬になると雪が安定してきて、長靴でその上を歩けるようになる。前日の気温が低くて天気のいい日にはいつもの道路ではなくて、雪の上を散歩することにしている。本部裏には2ヘクタールほどの牧草地があるが、これが大きな雪原になる。少し上ると盆地の村やその向こうの羊蹄山が遠望できてとても見晴らしがいい。新入りのジンジャーは初めてこの雪原散歩に出て、もう嬉しくて仕方ない。右に左に夢中であたりを駆け回るのであった。犬は無邪気で楽しいなあ。
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大惨事発生!
2月の下旬、機械倉庫が屋根の積雪で倒壊した。今年は雪が多くて除雪作業が大変だったのだが、専門の担当者もいるし、機械類もしっかりそろっているし、もちろん長年の経験もあるし、なんとなく油断していた。D型と呼ばれる屋根の中央部にあった積雪の重さに鉄骨が耐えきれず一気に倒壊してしまった。
中には当然機械類が格納されていたが、不幸中の幸いは昼間だったので、除雪に使う主要な機械が外にあったことだ。それでももちろん被害甚大で、がっかりしている。なにより恥ずかしいのは、この倉庫の倒壊は今回で2回目ということだ。急ぎ新しい倉庫を建てることにした。やれやれ。
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●2017年12月ー2018年1月
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早いものであっというまに一年が終わり、また新しい年になってしまった。
いつものように深い雪の中のお正月である。
皆さま今年もどうかよろしくお願いいたします。
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仁木一家がお墓参りにやってきた
去年の秋に仁木家のネコ、トラちゃんのお墓が完成した。ところが、北大の大学院博士課程に所属し、同時に北大病院に勤務する宇土仁木医師は超多忙で、中々お参りができない。11月の最後の日になってようやく休日ができたとのことで、急遽雪かきをして一家の墓参りが実現した。記念撮影をしようとしたらどうしてもランちゃんが正面をどかない。一緒に作ったギンちゃんの墓への思いがあるのだろうか。
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台湾へ行ってきた
近頃家族の皆さんんがしきりに台湾に旅行に出かける。どうしてそんなに台湾がいいのよ、でもオレは行かないもんね、という態度を取ってきたのだが、くやしいけどちょっとだけ見物することにした。ずっと昔にトランジットで台北に寄って以来だ。もともと見る所がそれほどあるわけでもないから、台北と台南を少しぶらぶらして終わり。本当は南部にあるマダラチョウの越冬地を訪ねようと思っていたのだが、今年は蝶が全然いないとのことだった。どこでもこういう話ばかり。写真は台南の「赤嵌楼」と台北の孫文先生の銅像。ひとまず表敬訪問なのである。
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台湾の街を歩く
旅行者のきままな足取りで、とことん無責任な気分で台湾の街を歩く。なにが登場しようがアハハと笑い、決して責任は負わない。「離婚が500元なら結婚はいくら?」とか「台湾味のコーヒーはどんなの?」とか、「バイクが多いねえ」とか「何売ってるんだこれ?」、とあくまで無邪気。薄味だけどなんでもおいしいからでまかせで注文する。いやはや、英語ができなくて倹約家の日本人に愛される国なのですな。ひとつだけ本気で感動したのは台南の路地裏で黙々とジョーロを作るおじさんの姿、こういうのには弱い。
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クリスマスの集合であった
毎年のことだが、クリスマスの全員集合はスケジュール調整がむずかしい。宇土兄弟の仕事上やむをえないのだが、12月の中旬のクリスマスはちょっと、の気がする。とはいえ全員集合は夏以来なのでみんなでおいしいものを食べ、プレゼント交換などするのであった。写真は全員ダウンベストを着ているが、これはぼくのプレゼントで、強制的に着せられている。仁木はなぜか家庭用品に詳しくて、今年は自動モップかけ機というすごい品をくれた。
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新年に再集合してみんなで遊んだ
12月のクリスマス会から少し間があって、今度は年が明けた1月の2日に再び集合することになった。仁木一家が2泊したので、普段は静かな家が大いににぎやかだった。ふたりのプリンセスはあつみママのおおらかな子育てでのびのび育っている。仁菜はプレゼントされたピアノに熱心にとり組んでいて、春からはいよいよ小学生だ。あきちゃんはいかにも次男次女的に率直で、走り回ってはどこかにぶつかっている。クリスマスの時は顔にすごいアザができたが、今回は無事だった。ふたりと一緒に冬のツリーハウスに上った。
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ネコはコタツで丸く・・・ならない
冬になって外は真っ白だが、サンルームのふたり組は相変わらずの毎日だ。チリはもうすぐ満2歳、ペパは1歳を過ぎてますます巨体になっている。体重測定の結果、6.2キロと計測された。もともとそういう種類らしいので、ダイエットはしない。チリは最近計ってないが、およそ3.5キロぐらいで、なんとなく骨格がしっかりしてきたようにも見える。ふたりの間柄は相変わらず「同級生」ぐらいで、1日に2回ぐらい追跡ごっこやケンカごっこをやる。手が冷たくなったチリさんがストーブにあたっている。
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●2017年9ー10月
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相変わらずレイジーな日誌になっているけど、過ぎゆく秋の景色を惜しみながら写真を物色するのもそう悪くなくてごめんなさい。
最近、人並みにSNSなどというものに手を出して、するとこれがすごいスピードなんですね。日々刻々の投稿が怒濤のようにあふれて、その勢いに目がくらむ。FacebookやTwitterとどんな風につきあうのか、尋ねてみれば案外みんな冷淡なわけで、そうか一歩距離を置いて眺めるものなのか、と思い始めたところだ。
そんな現代風怒濤の発信からすると、このダイアリーのなんと旧時代式であることか。あまつさえ季節がいつも遅れてしまうのだから、これはもう個人的防備録に近いのかも知れない(と開き直る)。
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ツリーハウスが完成した
今年の夏の個人的お仕事はツリーハウスを作ることだった。「ベリーの丘」の中にあるとはいえ、孫のための小屋だからやはり個人のもので、だから自分ひとりでやろうと決めた。そのかわり、いつどれだけ作業するかは自由で、勝手気ままに工事を進めた。大木の根元は涼やかな風が渡るとてもいい場所で、大いに楽しい日々だった。本体が完成して塗装をすることになったが、思い切って黄色とかブルーとかを使って仁菜やあき向きにしてみた。本人たちが喜んでいるかどうかは不明。写真の中央左にリスの姿がある。新築祝いの訪問かと思ったら、クリの実を集めにきたみたいだ。
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木戸ができた
本部建物の正面玄関は車の道とは別の歩道側にあるのだが、その道の入口にレンガの門柱が立っている。この門柱がない時代もあったのだが、かなり殺風景だった。レンガ門柱を積んで一段落、そのうちドアを作って入口らしくしようとぼんやり考えていた。昨年来の「ベリーの丘」工事の中で、小樽の建具屋さんと親しくなったのを機に、この木戸を依頼することにした。ジャム工場の二階に眠っていた家具用のナラ材を出してきてこれを利用した。以後30年はこのまま使えるだろう。
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誤認逮捕であった
タヌキとアライグマ、両者の見分けは中々難しい。アライグマは外来の害獣だが、日本のタヌキはありふれているとはいえ、極東にしかいない結構レアな種であるらしい。ただし、どちらも農作物を荒らす。上の写真は2枚ともわが家の菜園で撮影したもので、左はサクランボの木に登って実を食べるアライグマ、右はトウモロコシを荒らす犯人をオリ式のワナで捕獲した時のタヌキだ。アライグマがワナに入ったらどこか遠くへ移動しようと思っていたら、魚肉ソーセージに釣られたのはタヌキ君だった。トウモロコシを食べないようによく言って聞かせて放したのでもう大丈夫だろう。ちなみに、両者の識別は眉間にある黒いタテ模様がポイント。
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リス君の訪問
去年の冬は鳥のエサ台をエゾリスが頻繁に利用して、その影響かどうか、春になったらあちこちで子リスの姿を見かけるようになった。厳しい冬を乗り越えて子孫が繁栄したのだろう。本部建物の破風の穴にも、旧藤門政子宅の屋根裏にも、キツツキが開けたあちこちの穴にリスたちの顔が見えるのである。写真はぼくの寝室を外からのぞく子リスで、すぐ近くまで寄っても逃げようとはしない。秋から冬になると木の壁に穴を開けるキツツキとの攻防戦が始まる。数種類いるキツツキの中で、最大の敵はヤマゲラで、内地のアオゲラの親戚筋の鳥だ。
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「モネの池」を作る
今年の夏の二大課題はツリーハウスと池作りだった。ツリーハウスが完成してからすぐに取り組んだのが池作りで、これもまた以前から考えていた個人的プロジェクトだ。わが家には現在池が大小あわせて4カ所あり、水源はずっと昔に近隣の農家が作った水道用水だ。山の源流から水を引いて配水したが、余分の水がわが家の敷地内で池になる。これを利用して第2、第3、そして第4の池を作った。第4池がオシドリが来るサンルーム下の池になる。この水の流れを利用して、本部建物の裏の大きな池を作ろう、どうせなら睡蓮をたくさん植えて「モネの池」にしよう、そういう企画なのである。よくは知らないけれど、印象派の画家モネがジヴェルニーという所に庭を作ったのだそうで、そこにある池が有名らしい。その庭の写真集など眺めながら、「絵は描けないけど、池なら作れるぞ!」と決意した。そしていきなり重機の出動である。バックホーとタイヤシャベル、ひとりで両方を使い分け、一週間の間不眠不休で(ウソだけど)土を移動すれば、どうだあっという間に池が完成したのである。ひと冬置けば周囲の土が落ち着くので、一周芝を植えて、いずれ橋など架けてやろうと思っている。
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サンルームのふたり
サンルームの住人2名は相変わらずである。チリ選手は1歳半、ペパ子ちゃんはもうすぐ1歳になろうとしている。チリの体重3.2キロに対して、ペパは5.5キロだからほとんど倍だ。チリが軽量級の体操選手だとすれば、ペパはどすこいの力士の様子。片方を抱いてから次ぎをかかえると、その差がすごい。ふたりは仲良しのようにも見えるし、ただの同級生ぐらいにも見える。それでもどちらも日課はしっかり覚えていて、朝夕の食事時間には敏感だ。とりわけ夜のおやつが好物で、チューブに入ったゼリー状のものをすごい勢いで舐める。スーパーなどどこでも売ってるから皆さん愛用しているんだろうけど、あのおやつの中身は一体何なんだろう。怪しいからひとまず一日おきにしている。ひとまず両者とも健康そうなのだが、これが絶対というネコ用の食料があれば教えてもらいたいものだ。とまれネコは見物していておもしろい生き物である。
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今年もベリーの冬囲い
以前からやっているブルーベリー園の他に、「ベリーの丘」側にも続々とベリー類を植えている。新しい園の苗木はまだ小さいが、それでもひとまず冬囲いは必要で、雪折れに備えなくてはならない。3人が作業をしているのはハスカップの苗で、金属の支柱と苗を縄で縛り上げる。昔は本物の稲縄を使っていたが、今ではビニール製の縄に変わった。弾力からいえば古典的な縄がいいのだが、値段がすごいし、扱いがやっかいだし、耐久性も劣る。という風に農業はどんどんプラスチック化しているのである。ベリーの冬囲いが終わるともう冬体制だ。
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新しい墓が加わった
愛犬ギンちゃんが1年の闘病の末にとうという永眠、寂しくなった。ギンの病気については色々とあったし、悔しい思いもあるのだが、これもまた運命であろう。8歳というのはわが家では初めてのことだが、いたしかたない。隣の墓石は仁木の家のネコ、トラちゃんのもので、これも4歳というのは早い気がする。ネコの石は半分ぐらいが妥当かと思ってそのように作ってもらった。並べるとちょっとかわいい。しかし有巣も仁木もネコを複数飼っているし、やがて墓地はネコたちに占拠されるかも知れない。
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●2017年7ー8月
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今年の夏は最初、豪雨と猛暑で一体どうなってしまうのだろうと思ったが、その後は割合平穏で北海道らしい夏の日が続いている。気温が高くても木陰に入れば爽やかな風が吹き、夜になるとちょっと肌寒く感じたりする、まずまずの毎日だ。
春からずっと外で働いてすっかり日に焼けた。半ズボンが多いので足は傷と虫刺されですごいことになっているが、当面水着モデルの仕事は断ることにしているので問題ないでしょう。
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マーガレット通りと自分の影に見入るランちゃん
むやみと下品な広告をする関西方面の園芸ショップで、一袋99円にして1000粒入りのマーガレットの種を売っていた。これを100袋注文すると、忘れた頃に品物が届き、つまり10万粒の種が来たことになる。これを門柱から「四丁目交差点」までの約100メートルにばらまいたのは去年のことになる。するとどうでしょう、いかに99円とはいえそれなりに芽が出て花が咲き始め、中々によろしい景観が出現したのである。花の茎が長くて風ですぐ倒れるのが欠点だが、それでも毎朝夕の散歩に少し楽しみが増したのである。傾く夕日に長い影が伸びて、ランちゃんは少しメランコリック。
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墓地のカエデに再々挑戦、今度こそ
去年かおととしのダイアリーに同じような写真があると思うが、あのカエデもまた枯れてしまったのである。札幌植木村で購入したハウチワカエデがテッポウムシ(カミキリの幼虫のことか)にやられて枯死し、植え直したカエデが今年の春にまた枯れた。それでもあきらめないぼくは再度カエデに挑戦することにした。場所的な事情からあまり大きくなる樹はだめなので、再び小型カエデだ。札幌で立ち寄った植木屋さんに「コハウチワカエデ」という樹があって、これを三代目に選んだ。「華雅造園」という素敵な名前の植木屋さんで、写真右から二人目が社長の藤本さんだ。もうひとつ、大きなサンシュウの樹を別な場所に植えてもらった。
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ツリーハウスを建設中
春のまだ雪がある頃に仁木の長女仁菜とクリの木の上にツリーハウスを作る約束をした。初めてのことなのでどうやったらいいのか時々途方に暮れたが、ようやく形になってきた。当プロジェクトにはふたつ誇れることがあり、ひとつはほぼ100%自分一人で作ったということ、もうひとつはベースになるクリの木の偉大さがすべてをカバーする、ということだ。開拓初期、推定120年前に植えられたクリの三兄弟は大きく枝を伸ばしていて、樹影は大型の住宅にも匹敵する。工事はこの大樹の木陰で涼しげな風を浴びながらのもので、その気分のよさはいっそここに住みたくなるほどでありました。塗装をして建具を作ってもうすぐ完成。
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「リバティー号」の試運転をやった
前のヨットは「リベルタ」と名づけて、これはもちろんスペイン語の「自由」だが、とても好きな名前だった。しかし、アルファベットで船名を書くとほとんどそのように読んでもらえなかった。そこで今度は英語の名前にした。そのリバティーの試運転に、ちょうど集合した有巣と仁木のふたりにつきあってもらった。余市のマリーナ(フィッシャリーナという妙な名前だけど)から出港して積丹半島沿いにクルーズ、美国の沖まで行った。ヨットに較べるとモーターボートは気楽なもので、エンジンさえしっかり管理しておけばあとは車の運転とあまり変わらない。ふたりにも船舶免許を取るように勧めたが、秋になったらみんなでヒラメやブリを釣りに行く予定だ。
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「7月のお盆」に集合
お盆というのは8月の中頃の行事のはずだが、多忙な皆さんはそれぞれに予定がいっぱいで、集合できるのは7月の末ということになった。いや、そもそもお盆という風習そのものに縁がなく、知っているのは盆踊りぐらいなのだが、先祖の霊を迎え送る、というのは家族の行事としては貴重なものかも知れない。わが家でも年に一回この頃に集合して、庭の墓地をお参りしよう、そういうことになったのである。墓地の中心はぼくの母親の墓で、あとは犬たちの墓石がずらりと並んでいる。それぞれに生誕から逝去までの年号が刻んであるので、家族の歴史を思い出すよすがとなる。みんなで思い出話をするのであった。
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姉妹農場「ホピヒルズ」
友人のオーストラリア人リアム・バートレーと共同で新会社を設立、村内にある観光牧場を購入した。前の名前が「ホピの丘」だったので、今度は「ホピヒルズ」ということにして六本木ヒルズに対抗することにした。一応はぼくが社長ということになっているが、実質的にはリアムの経営で、できるだけ協力するようにしている。写真上はぼくが使っていたジョンディアのトラクターとブロアーをリアムに譲った記念撮影、下は姉妹農場のアリス・ファームと「コロポックル村」が売店に売り場を作った時のもの。コロポックル村は古くからの友人赤木正友さんの会社だが、息子の陽介が引き継いでめきめき発展中だ。アスパラガスの大規模な栽培をしていて、従業員もたくさんで元気いっぱい。写真のぼくの隣が赤木陽介でその隣が奥さん、左右の端にリアムと奥さんの知子さんがいる。売り上げに貢献できるといいのだがさて。
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さらば愛用のモノたち
ミニマリストなんていう人たちがいて、とにかくモノを減らすことが偉いらしいけど、おそらくぼくはその対局にいると思う。使い勝手のいいモノを探し当てて、日常の定番にするまでにあれこれ沢山購入するし、そのほとんどが「外れ」として家のどこかに堆積している。都市的な住宅事情で言えば家中がモノであふれかえることになるが、そこは田舎のアドバンテージ、60坪の屋根裏倉庫にすべて放り込むことにしている。何代か後になって、子孫がそこでお宝を発掘することになるはずだ。がしかし、愛用品は使えば傷むのである。写真上はほぼ毎日履くブーツ、下は毎日かぶる帽子、どちらもオーストラリア製だ。偉大なる田舎、偉大なる農業国家オーストラリアで生まれた名品で、両方で1万円ちょうど。今夏、両者を右に並ぶ新品に交代した。
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夏にはお客さんがたくさん
夏は人々が移動する季節で、北海道にもわが家にもあちこちからお客さんが多い。誠に申し訳ないのだが、面識のない方の突然の訪問はお断りすることにしていて、本部入口の門にそのように掲示している。それでも突入してくる勇敢な人もたまにいるが、そういう方はもうすぐオープンする「ベリーの丘」に行ってもらおう。旧知の友人知人は基本的には大歓迎、あらかじめ連絡があればそれなりに対応するようにしている。今年の夏も多くの友人たちが訪ねてくれたが、代表でみんね一家を紹介しよう。生まれた日に対面した友人の娘が立派に成長して母になり、大学の先生になった、という感動のヒストリーなのです。
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●2017年6月
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春になって外仕事が大忙し、ダイアリーを更新しなくっちゃと思いつつ気がつけばもう6月だ。
こんなことじゃフェイスブックにPR ページを作る、なんていう課題はとうてい実現しそうもない。きっと誰か有能なスタッフがやってくれるのだろう。
雪解けから毎日よく働いて、ようやく新しいベリー園が形になってきた。夏にはオープンできるだろう。
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リスの3兄弟がかわいい
冬の間ずっと家の周りにいたエゾリスたちが子供を産んだらしい。あちこちでリスの子供を見かける。本部建物の屋根裏に住んでいるのが写真の3兄弟で、ずっと見ているとそれぞれに個性があるのが分かる。写真にいない一頭は活発でいつもひとりで飛び回っている。そそっかしいので時々壁から滑り落ちたりしておかしい。写真左の子は一番小さくて弱気でおとなしい。右の兄弟と一緒にじっとしている事が多い。とはいえやはり子供たちだからみんなでキャッキャッと遊ぶのだが、住まいの入口(写真左上)がちょうどぼくの部屋の上にあって、早朝からうるさくて困る。3兄弟が無事に育って大きくなり、冬にヒマワリの種を食べにくるといいな。
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新ベリー園の作業が続く
去年から続けている新しいベリー園作り、雪解けを待って今年の作業を開始した。2ヘクタールというのはそう広いわけではないが、前年に植えつけ畝を作ったので、作業は筋状にしかできない。トラクターの起耕が2回、肥料撒き、転圧、そしてようやく芝の種蒔きまで到着した。最初はトラクターに取り付けたライムソワーという機械で蒔いて、2回目は写真のように手で蒔いた。種はケンタッキーブルーグラス、およそ60キロを使った。2週間ほどで芽が出て2ヶ月ほどで一面の緑になる予定。芝生というのはとても偉いグランドカバーで、風景が一変する。温室で育てているベリーの挿し木苗は来年ここに定植の予定。
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洋代さんのご両親アリス・ファームを訪問
有巣君が結婚した相手は洋代さん、埼玉県に実家がある。そのご両親、須田さんご夫妻が遠路アリス・ファームを訪ねてくれた。あまりそういう経験がないのだが、新しい親戚なのでできる限りのお迎えをしたつもり。どういう方々なのかいささか緊張したが、柔軟で闊達な人柄でひと安心、あれこれお話しをさせていただいた。調子に乗って喋りすぎないように事前に注意されていたが、あまり自制は利かなかったみたいで反省。裏山のカモ池にオシドリが来てくれればお見せできると思ったが、残念ながらこの日はダメだった。カモたちはお客さんが来る日に限って姿を見せない。きっと抱卵や子育てに忙しいのだろう。
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仁菜・あき姉妹がバラ園芸のお手伝い
春に誕生日を迎える家族が多いので、5月に合同の誕生会をやることにしている。ちょっと寒いけどバーベキューをやろう、ということになったのだがあいにくの雨。仕方ないので温室を会場にした。以前、冬にやった時は煙くて困ったが、5月なので窓や入口を開放できる。室内とはいえ結構快適なバーベキュー大会になった。洋代さんは初めての参加だが、管理栄養士の彼女はなんという肉食一家なのかと驚いたに違いない。仁菜も大人並みに肉にかじりついたが、さすがに飽きて妹あきと園芸作業。後ろのバラは「アプリコットネクター」。ふたりもこの花のように美しく大輪に育ってほしい。
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札幌ドームで横浜ベイスターズを応援する
5月30日、ぼくの誕生日にベイスターズの試合があるというので、仁木君が誕生プレゼントにチケットを手配してくれた。残念ながらあつみさんとあきの二人は来れなかったが、それ以外の6名がスタンドの集合した。仁菜はちゃんとベイスターズのユニフォームを着て本気で応援だ。札幌ドームだからあたり一面日本ハムのファンだろうと思っていたらそうでもなくて、結構ベイスターズファンもいて嬉しかった。この写真は前の席にいた横浜からきたという女の子が撮ってくれたものだ。横浜らしい軽快でかわいいふたり組だった。この日、我々の応援でベイスターズはしっかり勝利したのであった。めでたしめでたし。
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有巣君へ
♪♪
Happy birthday to you
Happy birthday to you
♪♪
Happy birthday dear Aris !
Happy birthday to you
♪♪
アリス・ファーム合唱団
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モーターボートはどうでしょう?
小樽のマリーナに置いたヨットを売却して数年、ハワイに拠点を移そうと考えたがどうもうまくいかない。なんとなく海と遠ざかっているのだが、最近になって急にモーターボート案が浮上してきた。なんて、自分で勝手にそう思い始めただけなのだが、本気になりつつある。きっかけは地元余市にあるマリーナの存在で、ここの管理人がごく身近な人だと判明したのだ。彼を訪問して一気に現実的になり、ボートの物色を始めた。すぐ近くに海があるのだから、たまには沖に出たり魚を釣るのもいいではないか。
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●2017年4月
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春の風が柔らかく吹き始める3月から4月、しかし今年は思いがけず雪解けが遅くて、隣接する小樽はもちろん、余市や倶知安の畑に地面が見え始めてもなお赤井川村はずっと雪の下だ。
融雪剤を撒くタイミングを失してしまい、ベリー園ではまだ作業を始められないでいる。冬囲いを外して肥料や堆肥をやる時期なので、雪の様子をうかがう毎日だ。
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ごはんですよー!で全員集合
毎日、朝夕の決まった時間に犬猫の諸君のために食事を用意する。それぞれに決まったメニュがあって、なるべく安心できるものを選んでいるつもりだ。犬たちはオーストラリアビーフの挽肉(生)と増量剤としてサイエンスのドライフード、ネコたちは「カナガン」なるドライフードと同じく挽肉だが、ふたりはそれほど牛肉を好まない。むしろ朝だけあげる魚の缶詰が好きで、ワフワフいって奪い合ったりする。犬のように食器を分けでも平気で侵略するあたりがネコ的でおもしろい。写真はペット用シンク上の定位置で食事中のふたりと順番待ちのふたり。ギンとランは礼儀正しくひかえめで、本当に偉い。
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宇土洋代さん歓迎会
長い独身生活に終止符を打って有巣君が結婚することになった。お相手が写真右奥の洋代さんで、東京方面から北の辺境喜茂別町にやってきた。4月に入ったある日、さらなる辺境の我が赤井川村で歓迎会を開催することになった。なにはともあれ大歓迎、いよいよ家族が8人になって大いにめでたいことである。夕食会前には「五十肩完治記念キャッチボール大会」をやって、年齢詐称疾患といわれながらも強気の投球をするのであった。ところが投球にがんばり過ぎて翌朝にはふしぶしが痛くなり、予定していた元服山登山についてはうやむやのまま中止になった。裏にそびえる元服山には来春に登頂するつもり。
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結婚のお祝いに表札をプレゼント
ふたりが持つ表札は小樽の山口保氏が作る有名な木彫品で、素晴らしい完成度のロングセラー商品だ。山口氏については語るべき所が多くて大変だが、まずは北海道移転以来の親しい友人であり、アリス・ファームの役員もやってもらっている。知り合った頃はまだ喫茶店をやっていたが、ぼくも少し協力して木彫看板のプロに転身、商品が大ヒットした。そして実は長男の一郎君がかの「サカナクション」の山口一郎なのである。有巣や仁木は毎年「ライジングサン」というコンサートに出かけるが、幼なじみの一郎君を観客席から眺めるのである。いや、男の子というのはこのように大化けするからおもしろい。 >> 「木彫工房 メリーゴーランド」で検索
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吉田大工さん大活躍の春
昨秋から始まった新ベリー園の建設工事だが、一任していた高給優遇大工が行方不明になった。どうしようか思案していたらふとしたことからとても優秀な大工さんが登場して一気に前進することになった。誠実にして実直、堅実、勤勉、すべてが前任者と対局にある人物で、この人と最初からやれば良かったですね、と関係者一同口を揃えるのがこの吉田大工さんである。乱暴乱雑なやっつけ仕事を補修しつつぐんぐん完成に近づけてくれて、3棟とも4月末にはおおむね完成の予定だ。吉田大工さんを始めとして、板金屋さん、塗装屋さん、左官屋さん、電気屋さん、建具屋さんなど、いい職人さんと沢山出会った。
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リアム一家来訪
リアム・バートレーは新しい会社を作って一緒に仕事をする仲間で、このところかなり頻繁に会っているのだが、4月のある日、仕事を離れて家族で遊びにやってきた。左が奥さんの知子さん、赤ちゃんは間もなく1歳のマヒナ、そしてお母さんのマーゴ。マヒナは初対面の犬にもネコにも臆せず、興味津々、これなら大丈夫。知子さんは東京山の手のお嬢さんで、それだけでぼくの評価はすでに90点に達してしまうのである。ともあれとてもいい一家で、とてもいい写真になった。後ろのネコはペパで、上から吊した紐で遊んでいるところ。
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●2017年2月
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本年1月から2月にかけての最大のトピックは、新しい子猫がやってきたことだ。
「犬派」だったのに一体どうしたの?という人もいるのだが、小さい頃からわが家にはいつもネコがいたんだよ、とか、飛騨時代には最大8匹もネコがいたんだぜ、とか言い訳している。
それはともかく、子猫はやっぱりかわいい。前のチリさんが一歳を迎える前に仲間をひとつ、ということなのだが、このふたり組が楽しいのだ。このところ毎日、ネコ見物で日を送っている。
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新入りは「ペッパー」
最初のネコが「チリ」なので今度はペッパー。呼ぶときは短くして「ペパ」ということにしている。ネコ好きの人なら写真で分かると思うが、「メインクーン」なる品種だ。前のチリはいわゆる保護ネコだったが、同じ手順で探しても中々好みのネコが見つからず、ようやく条件にあう子ネコがいたと思ったら、保護主がエキセントリックで話にならないし、結局純血種をブリーダーから買うことにした。
調べて分かったのだが、ネコというのはびっくりするような値段で取引されている。模様というか柄というか、それだけの違いなのに上等なのは50万円もする。そんな驚愕価格は避けて、まずまず手頃だったのが、ペパ選手だ。来てすぐはチリが嫌うし、犬は吠えるし、なのでぼくの部屋で育てた。一緒のベッドで寝て、朝起きると眼前でニャオと鳴き、ハッピーな毎日だった。現在はサンルームに移動して、他の皆さんと一緒に暮らしている。
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犬とネコ、わが家の場合
ひと言で言えば「平和共存」ということになるのだが、これは主として犬側の能力の高さによるものだ。吠えてはいけない、優しくでも咬んではいけない、鼻で押してもいけない、なにかするならそっと舐めてあげなさい。そう犬たちに言い聞かせれば、彼女たちはそのようにネコを扱う。一方ネコは、主人がなにを言おうがそんなことは一向にかまわず、自分のしたいようにする。犬と遊びたければ遊ぶし、嫌ならフン!と言ってどこかに行ってしまう。そういう自分勝手がネコの身上であり、行動規範だ。だから、時として犬の鼻をひっかいたり、尻尾をくわえたり、水飲みを妨害したり、好き勝手やりつつ、ひとまず平和に仲良く毎日を過ごしている。
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久しぶりの五人組集合
ぼくを別にして超多忙な面々なので中々5人全員が揃わなかったのだが、数年ぶりに顔をそろえることができた。2月のとある日、ゲストの2名も加わって大いに賑やかな一夕を過ごしたのでありました。場所は奈良、モンベル会長の辰野さんが改装オープンしたゲストハウス。写真右から辰野勇会長、野田知佑御大、不肖私、文豪夢枕獏、一番奥から寺田克也画伯、林家彦いち師匠、巨匠佐藤秀明、本松助手、辰野夫人、というメンバーだ。奈良公園にリゾートホテルを作るという計画があるらしく、それへの反対運動について相談もあった。遊んでばかりじゃないのよ。
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バグパイプバンドに参加!
2年程前にスコットランドへ行って、エジンバラで「ハイランド・ドレス」なる民族衣装をオーダーメイドした。いつか着てやろうと思っていたのだが、ようやくチャンスがやってきた。冬期のアジア大会というのがあって、そのカーリング種目の決勝戦に参加したのだ。といってもちろんカーリングをやるわけではなくて、この競技はスコットランド発祥らしく、競技会にはバグパイプバンドが演奏をするしきたりらしい。いつか一人前のパイパーになろう、と決意は堅いもののいまだ道遠しのぼくはドラムを担当である。それも超特大のドラムで、ハーネスで装着すると前がまったく見えなくなる。音が大きいので思い切り叩くと結構爽快だ。
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ネコたちのバードウォッチング
冬になると野鳥たちに給餌をする習慣だが、フィーダーは勝手口前の樹とサンルームの端の二カ所にセットしてある。エサはヒマワリの種、鳥は主としてカラの類5種だ。フィーダーは自作も含めてあれこれ使ってきたが、結局プラスチックの円筒形のものがベストだと思うようになった。使っているうちにどんどん大型化してきて、現在のものは市販で最大のものだ。なにしろ鳥の数がすごいのだ。
このバードフィーダーであまり歓迎されないのがエゾリスの諸君だ。彼らの食欲はすごくて、またたく間にヒマワリが減ってしまう。鈍感なのかどうか、窓ガラスのこちら側からネコたちが脅しても全然気にしないエゾリス君なのである。
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『ファーブル昆虫記』に挑戦
ある知性派老人とお話をしたら、その人は70歳を記念してマルクスの『資本論』を読み始め、75歳で完読したのだという。この話に大いに感銘を受けて、なるほどこういうインテリも世の中にいるのだなあ、世の中真っ暗闇だけどまだ日本もかろうじて大丈夫かも知れない、というようなことを思った。その人に倣って、大分方角も質も違うが『ファーブル昆虫記』全10巻、20冊を読むことにした。ひとまず前半の5巻10冊をセットで購入、読み始めたところだ。これがおもしろい!『資本論』は学生の時に挑戦して第2巻で挫折したが、ファーブルは最後まで行けそうだ。奥本大三郎訳でイラストも脚注も良い。当分楽しめそうだ。
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キャットウォークを張りめぐらせた
なんだかネコの話ばかりだけど、冬ごもり中の大工仕事としてサンルームの窓上方に一周キャットウォークの設置をした。延長で20メートル近くもある。ネット情報によると、最近は最初からネコ用に家を設計するようなことがあるらしく、いくつか実例も紹介されている。そこまでやるか、という気がするようなものもあるが、たしかにネコは垂直方向に移動する生き物ではある。チリとペパ組にもなにか作ってやろう、冬で暇だし、というような工事であった。写真の一番上のレールの左右にはふたりそれぞれのネコ小屋があり、それを越えると窓側の半周レールに至る。結構大工事だったけど、当然ネコたちはありがとうなんて言わない。
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●2017年1月
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いつものように雪のお正月。
12月にパプアニューギニアに行って、帰国後建築工事の最後の追いこみに参加し、そのままあわただしく新年を迎えることになった。有巣、仁木とも勤務の都合があって、残念ながら全員集合ができなかった。両者別に帰宅して、それぞれと年越しそばやおせち料理を食べたりすることになった。
まずはめでたい新年、今年もいい年だといいのだけれど。
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チリ子ちゃんの手術
昨秋、チリが避妊手術を受けた。メスネコの避妊は婦人科系泌尿器系の病気を予防することが主な目的で、犬の場合と同様だ。これまでの犬たちで、乳腺や子宮の病気はかなり多かったから、最近はほとんど全部に同様の手術をしている。ぼくはワクチン接種には懐疑的だから、獣医に行くのはこの避妊手術のことが多い。札幌市に住む仁木から紹介された獣医さんを訪ね、チリはひと晩入院して帰ってきた。全身をネット包帯で包まれたので、妙に頭でっかちでその姿がおかしい。さすがに強気のチリもなんだか少し気が弱くなって、ミャオなどと小さな声で鳴くのであった。
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工事に参加、「飾り破風」を作る
新ベリー園に3棟の建物を工事中だが、どこかに記念の手の跡を残こそうと思って、納屋の「破風」を担当した。破風というのは屋根の妻面につける部材で、それなりに目立つ存在だ。この納屋はデザインを北欧風に設計していて、木の壁は赤く塗る予定。「ファルン・レッド」といってスウェーデンで採れる赤の鉱物顔料の色だ。壁の赤に窓やドア枠の白がくっきりする木造建物で、これまでにもドロームなどに作ってきた。破風の曲線はスウェーデンからきた菜園の納屋と同じで、ジグソーで切ってからサンダーで磨いて仕上げた。4メートルの板を4枚仕上げるのに3日間かかった。きっと「レッド・バーン」を見事に飾るだろう。
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ギンちゃん床屋にチリが参加する
全身包帯から解放されたチリ選手は元気いっぱいで、いつも目を思い切り見開いて暮らしている。おもしろいのは犬床屋さんが好きなことで、ギンやランの床屋を始めると、必ず台の上に乗って作業に参加する。バリカンから次々と毛が落ちてくるのだがそれが自分の頭に乗っても意に介せず、ひたすら作業を見守るのだ。時として写真のように手を伸ばして、ちょっと手伝うような素振りを見せたりする。犬の床屋さんは少なくとも1時間はかかるのだが、その間中ずっと台から降りない。そんなこんなですっかりわが家になじんだチリだが、彼女には一緒に暮らす仲間が必要なのではないか、そう思うようになった今日この頃である。
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仁木一家とお正月
いつもなら万障繰り合わせて全員集合するのだが、今年はどうしても有巣と仁木の休日が揃わなくて、有巣が年末、すれ違いで仁木が新年という具合になった。有巣と年越しそばを食べ、仁木たちとおせち料理を食べるのだった。仁木家は次女のあきちゃんが産まれて4人家族になった。家に帰るとネコが1.5匹いるらしいから、大家族だ。(ネコは1匹ともうすぐくる子猫)。
仁菜ちゃんは5歳になって読み書きができるし、絵もすごく上手だ。伝統的に絵が下手な家族にあって、もしかしたらそれを打破するのかも知れない。昨秋から思いつく度に皆さんへのクリスマス・プレゼントを買っていたのだが、大箱から取り出してみれば仁菜用がすごく多くて、彼女はプレゼントの山に埋もれるのであった。
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ランちゃん犬ぞりに挑戦!
お正月元旦は天気がよくて、みんなで外で遊んだ。仁菜がソリにのりたいというので、古い北海道産手作りソリを取り出した。場所は忘れたが道内のどこかで作られていて、おもしろいので東京にあったアリス・ファームの店で販売したことがある。前に引き紐があったので、そばにいたランちゃんにつないでみた。いや全然ダメである。さあ前に走れ!というのに右に左に首を振ってなんとか突然の虐待から逃れようとする。まあ無理もないでしょう。犬ぞりはハスキーとかマラミュート、サモエドみたいな強壮な田舎者の仕事だ。ランちゃんはれっきとしたフレンチ・プードルなんだから、そもそもこんな雪の中で暮らしているのが間違いなのだ。外苑通りとか青山通りとかを歩くのが本来だという点では、外苑中学出身のぼくと同じシティボーイ、シティガールなのである。
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アキちゃん元気いっぱいでランちゃん困惑
昨春に産まれた仁木家の次女アキちゃんはすくすくと大きく育っている。長女仁菜はごく小さい頃中々むずかしい性格に見えたが、おそらくは両親が子育てに慣れたからだろう、次女になるとすべてがスムースで、赤ちゃんにもストレスが少ないみたいだ。だからよく食べてよく寝て、目覚めると元気に動き回る。犬たちは人間の子供には特別な反応をするのだが、決して赤ちゃんが嫌いではない。写真のランちゃんの表情がそんな犬の態度を表している。ランはまだ2歳だがなんだかずっと以前からいるような気がする。おそらく前のアンの印象が残っているからだろう。ひと言で表せば「ぼんやり犬」ということになるが、その特異なキャラクターが失笑とともに愛されている。
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●2016年12月
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極楽鳥を求めてパプアニューギニアを旅する
極楽鳥というとんでもない鳥がいる
この鳥を知ったのはずいぶん前、BBCの番組を見てその姿と生態に本当にびっくりした。
「性進化」というらしいが、メスに誇示する目的で思い切り派手な羽根をまとい、メスの気をひくためにとんでもないダンスや歌を披露する。適者生存という進化の原則に逆行するかのような驚きの鳥たちだ。
極楽鳥の英語名はそのまま「バード・オブ・パラダイス」、日本では種名を「フウチョウ」という。
もとはカラスの仲間から進化したらしいが、現在は39種がニューギニア島を中心に暮らしている。数年前にアメリカの学者、写真家が『極楽鳥全種』(翻訳タイトル)という本を出して、これがかなり話題になった。本も映像もナショナル・ジオグラフィック刊行で、どちらも素晴らしい。これらを眺めながら、「よーし!見に行くぞお!」と思い立ったのであった。
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じっくり対面したオジロオナガフウチョウ
極楽鳥を見る一番簡単な方法は中部山岳地帯にあるバードウォッチング専門のロッジに宿泊することだ。といってもそこに到達するまでにオーストラリアのケアンズからパプアニューギニア( PNG )の首都ポートモレスビーへ行き、大混乱の国内線でマウント・ハーゲンという町に飛び、そこから1時間半ほど悪路を上らなくてはならない。海抜約3,000メートルで、赤道直下なのに夜は寒さに震えるし、不定期にやってくる豪雨にも耐えなくてはならない。
しかしともかくロッジにはこのオナガフウチョウが待っていてくれる。白い尾が1メートルもあって、飛ぶとゆらゆらとそれが舞う。頭の緑にはすごい光沢があるし、赤いラインや鼻の上のボンボンなど、細部にわたってよくできている。行って分かったのだが、この鳥は割合定住性が強くて、同じ縄張りにずっといるらしい。ガイドはそれぞれの居場所を知っていて、我々バーダーをその場所に案内してくれる。英名は「リボン・テールド・アストラピア」という。
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ガイドの「マックス」年齢不明
年齢を尋ねたら母親が覚えていないので分からない、と答えたマックスはしかし中々優秀なガイドであった。多くのパプア人のように見かけは恐ろしく中身は優しく陽気、というタイプではなくて、どちらかと言うと物静かな人物。しかし鳥についての知識は深く、観察能力も優れている。外国のバーダーといっぱいつきあってきたのだろう。写真の場所は彼の自宅あたりだが、彼はここで「蘭園」を作っている。熱帯の高地のここは蘭の名所でもあるらしい。小さな美しい花があちこちに沢山咲いていた。あたり一面は深い森で、鳥の鳴き声がたえない。
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マックス・ラン園の花々
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PNGの人々
中部ハイランド地方、エンガー地区で出会った人たち。皆さん明るく礼儀正しく、優しいのである(最初はちょっと怖いけど)。
郡役場の近くで撮影したので、みんな割合きちんとした服を着ている。右上の子供たちはお葬式の会場から追い出された面々で、このあとぼくは戸外の葬儀に招待されて1時間以上参列することになった。後ろの教会はカソリックのもので、神父はそれなりの威厳を持った人物だった。
右下の右のヒゲおじさんは、求めに応じてクワガタを捕まえてきてくれた人物。パプアヒラタクワガタばかり20頭もあって、1頭2キナ(70円)で半分買い残りは山に戻した。そういうやりとりをしているとあたりは黒山の人だかりになってしまう。次はもっとすごい虫を沢山用意しておく、とのことだった。また行かなくっちゃ。
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PNGの人々(2)
左上は「ブルー」(アオフウチョウ)を見に行った丘の上。この写真の直前に大きな刀を持った人物に「鳥見るなら金よこせ!」と脅されたのだが、どうやらこの子はその人の娘みたい。アメをあげたら喜んで、家に戻って晴れ着を着て戻ってきた。
右上は別のフウチョウを見に行った山の農家で、伝統的な建物のたたずまいが良かったので写真を撮らしてもらった。すると中から品のいいお母さんが出てきてはにかみながら撮影に応じてくれた。
左下は郡境にある「チェックポイント」に駐在する「警官」たちとの記念撮影。どういう目的でこういう国境みたいな場所があるのか不明だが、通る人は車から降りて荷物の検査を受けたりしていた。郡というのは部族ごとの単位でもあるらしく、時に戦争もあったりするので結構厳しい警戒態勢なのである。写真ではにこやかだが、最初は相当怖かった。
右下は「クムルロッジ」の人たち。海抜およそ3000メートル、軽い高山病にかかり食欲不振、せっかく作ってくれた料理をいつも残してしまった。とてもフレンドリーでいい人たちだった。
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PNGの鳥たち
高地の森にあるロッジにはエサ台があって、ここには毎日各種の鳥がやってくる。これらを眺めながらお茶など飲むのは誠に贅沢なのだが、ちょっと飽きてきたりもする。右上の写真はひどい精度だが、これは「コフウチョウ」(レッサー・バードオブ・パラダイス)を遠くから撮影したものだ。野鳥用の専用レンズを持参しなかったので、いい写真は撮れないのだがいわば証拠写真のようなもの。今回の旅では計4種の極楽鳥を見ることができて、まずまず満足している。左上はリボンテールのオス若鳥かメスで、結構きれいだ。
・・・・・というわけで初めての国、パプア・ニューギニアを旅してきました。
いつもどおり目的地に関する本を沢山読んでからの訪問であり、いつもどおり文献と実態の大きな差に驚くのでありました。なにより、想像よりはずっと文明度が進んでいて、写真で分かるように人々の服装などはアジア諸国とほとんど違わず、田舎に行っても舗装道路に車が疾走しているわけです。そういう所にしか行かなかった、ということなのかも知れないので、この印象は留保しておきましょう。
ニューギニアには日本軍の悲惨な歴史が眠っています。太平洋戦争そのものが愚劣で誤った侵略戦争だったわけですが、とりわけニューギニア戦線は大本営の歴史的犯罪とも言えるでしょう。20万人の日本兵が投入され、そのほとんどが戦闘によってではなく、餓死病死したわけです。帰還した数パーセントの人たちは現地の人に助けられた故の生存だったともいわれます。
パプア・ニューギニアはいま、世界各地の「未開発地」と同様の「開発」被害を迎えています。国際線、国内線に乗り合わせる西欧系の人たちは、品のないビジネスマン風が多く、開発会社系の人たちと想像されます。「森林資源開発」、「液化天然ガス開発」、「鉱山資源開発」、このような用語が現地の英語メディアに踊っていました。日本も無関係ではないでしょう。
複雑な地形や高度に応じた局地的な棲み分けをしている極楽鳥の環境も、やがて危機を迎えるのかも知れない、そう思うとちょっと暗い気持ちになります。なにかできることはないのだろうか、と考えているところです。
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●2016年11月
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別のページでも言い訳したけれど今年は夏以来妙にあたりが慌ただしくて、基本的には「忙しい」と言わない方針で暮らしているのだがついついそう口にしてしまいたくなる。誰かに迷惑をかけるわけではないのだが、ぼくとしてはいささか困った今日この頃なのである。
という言い訳をもってこのフォトダイアリーも8月から一気に11月号にジャンプしてしまうのであります。もし見てくれる人がいたら、そのような北の空の下の事情だと思っていただきたい。
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お庭の池で魚釣り
多忙多忙と言いながらいきなり魚釣りというのもなんだが、、実はこれ必ずしも楽しみでやっているわけではない。もう10年も前のことになるが、あるテレビの番組で川で魚釣りをする場面の撮影をした。その時に釣った魚をよせばいいのに池に放してしまった。フナやウグイはやがて姿を消したが、チチブとかヨシノボリのようなカジカ科の魚がしぶとく繁殖して池を我が物とするようになった。貪欲なこの連中は生き物ならなんでも食べてしまうから、水生昆虫にとっては大敵になる。ぼくの好きなトンボたちも池を繁殖場所にできなくなりそうだ。そこで連中を退治する作戦を実行、64匹を釣り上げてやった。
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庭の新メンバー、タヌキくん
ことさら敷地内と外を区別する必要もないと分かってはいるのだが、それでも領土内に新種を見つけるとちょっと嬉しいのですね。タヌキは村のあちこちにいる生き物で、夜の道路なんかで結構見かけるし、時として車に敷かれたかわいそうな姿があったりする。トウモロコシをかじる、とかの理由で農家の人は嫌うみたいだが、もちろんぼくはタヌキの味方だ。アライグマ捕獲の檻にタヌキが入るとそれも殺す、という村の処置には断固抗議してきた。そのタヌキくんが白昼堂々我が庭に登場したのは、サクランボの落下を食べるためだった。室内から眺めてなにをしてるのか不明だったが、後で行ってみてそれが判明した。熱烈歓迎タヌキくん!
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新ベリー園に大活躍のふたり組
道路沿いの農地2ヘクタールはもともとは羊や牛の放牧地で、周囲一周にフェンスが張ってあった。その一部を使ってブルーベリーの鉢栽培を試みてきたのだが、今回方針を新しくして全部をベリー園として再開発することにした。昨年は重機を使って牧草を掘り起こし、今年は春からひたすらトラクターで起耕した。次に測量をしてベリー類の配置を決め、植えつけ列ごとの土壌改良をする。黒土を入れ、堆肥を入れ、支柱を打つ、言葉でいうと簡単だが、なにしろ広いし数も多い。この大変な作業に大活躍してくれるのが写真のふたり組だ。今や番頭さんのカマタ君と毎年手伝ってくれる桜間さん、タフなふたりに感謝!
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秋の日差しを浴びてくつろぐ、 どこまでもくつろぐ
あたりの山が紅葉を始める頃になると太陽の傾きが大きくなり、するとサンウィングに差し込む日差しが多くなる。夏のような熱気もなく、それはとても心地よい日差しなのである。お昼ご飯が終わるとこの部屋にやってきて、ひとわたり紅葉など眺めつつ休憩する習慣になっている。ネコのチリがひとりここにいるので彼女のためでもあるのだが、なに本人はそんなことなんとも思っていない。少なくとも慰問をありがとう、なんていう態度は少しも見せない。高慢不遜のネコに較べると犬っていうのはなんていいヤツなんだろうと時々思う。ふたりは絶えずこっちを見ていて、ひと声かければいつだって飛んでくる。
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秋の日にもの思う、 ということは金輪際ないチリ選手
早いものでチリももう8ヶ月になった。体重も3キロになりほとんど大人に見える。何にでも飛びついて走り回る子猫からやや落ち着いた若ネコになり、毎日の日課も多少は覚えたようだ。食事はカリカリと挽肉の両方だが、犬のように両者を混ぜるのではなくて、時間差であげるようにしている。特に文句はなさそうだ。というより、どうもあまり食べ物にこだわらないみたいだ。それでも海苔とかカツ節とかが好きみたいなので、時々空中から落下させて遊んでいる。最近分かったのだが、犬は心の交流を楽しむ生き物で、ネコは姿行動を見物して楽しむ生き物なのだ。きっとそうだ。
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ギン・アンの生家、國友英子さん来訪
スタンダード・プードルのブリーダー、大阪の國友さんと友人の楢木野さんのおふたりが遊びに来られた。札幌に子犬を届けにきたのだそうだ。このフォト日記で「ランは全然大きくならないで期待外れだ、もう返品だ!」というようなことを言っているので、それを大変心配されているご様子で、何度も申し訳ありません、とおっしゃる。いやいや半分は冗談ですよ、と答えると残りの半分は本気みたいだが、いまやランは大切な家族の一員だし、その独特なキャラクターが愛されている。そんなこんなの犬話をしていると、用もないのにことさらに前を行き来するチリがとてもおかしいのであった。
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間違いだらけの車選び(その4) ・・・原点
今からおよそ40年ほども前、ぼくがまだ30歳の頃の写真だ。写真左はボルボのPV 544、右はアマゾン、どちらも今になっては大変なクラシックカーだ。PV は東京の写真家大西公平さんから、アマゾンは富山の木工家柿谷誠さんから譲ってもらったものだ。あえて言うならボルボの古典的名車のそろい踏み。その後アマゾンは友人に譲ったが、PVは家財道具を積んで北海道まで引っ越してきた。15年程前に雪で倉庫が崩壊し、その時この車も犠牲になった。涙のお別れであった。手に入るなら今でも欲しいふたつの車だ。ちなみに犬はその頃飼っていたアフガンハウンドで、この頃から変わらず車と犬はぼくの大事な伴侶だ。
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●2016年8月
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毎日「暑い」「暑い」ばかり言っている困った夏だけど、もしかしたら去年もそうだったかもしれず、きっとこれからも毎年言い続けるのだろう。犬猫部屋ではクーラーが活躍していて、ついつい足がそちらに向かう本当に暑い夏なのであります。
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無印良品で講演
久しぶりの講演でちょっと緊張したけれど、どっちみちそれほど高尚なお話をするわけではなくて、どんな場でも「田舎暮らしはおもしろいよお」という内容一辺倒なのである。今回はタイトルが『田舎暮らし10の楽しみ』というもので、写真を10枚用意して、それにまつわるあれこれを思いつくままにお話させてもらった。聴衆は意外に男性が多く、ネクタイしめたような人もちらほらいて意外だった。講演後に2組の人たちがアリス・ファームを訪ねてくれたが、いわゆる「脱サラ」田園志向の人たちなのであった。
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仁木くんとシンガポール
所用があってシンガポールへ行ってきた。「暑いばかりの人口都市」と友人が言っていたが、まずはその通りだろう。山手線の内側ぐらい、というサイズに国としての一式が詰まっているのだから結構不思議な国とも言える。用事はすぐに終わったので、仁木と町を歩いてみた。写真はチャイナタウンで、ビルの谷間にある露店街などまずまずおもしろい。路頭の飲食街を「ホーカーズ」と呼ぶが、適当な店で適当な料理を注文すれば、そのどれもが本格的中華料理であって、美味なることこの上ない。写真のふたりはかなり上機嫌なのだが、実はチャイナタウンの前にカジノに行って結構儲かったのである。バカラね。
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チリは今日も元気
推定3月1日生まれのチリは8月で5ヶ月になりすこぶる元気、毎日走り回っている。犬たちの食事はメインが牛肉なので、彼女も同じように生肉と乾燥キャットフードの混合を食べている。そのせいかどうかぐんぐん大きくなって、「子ネコ」というより「若ネコ」の様子になってきた。キャットフードにも色々あるが、どうせなら高級なのがいいと思ってイギリスの「カナガン」なるフードに変えてみた。するとこれが滅法お気に召したようで、毎日わしわし食べる。写真ではまだ小さいが、現在はこれより大分大きくなっている。しかしその分生意気にもなって、世の中も人生も馬鹿にしきった態度物腰のふてぶてしさである。
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夏のお客さん
今年の夏も沢山の人たちが訪ねてくれた。このページ用に写真を撮っておこうと思いつつ、わいわいやっているうちに毎回忘れてしまう。訪問者代表としてふた組をご紹介すると、左は「無印良品」のVIP陣。代表取締役会長の金井さん、良品研究所の萩原さん、講演でお世話になった札幌店長の鈴木さんという面々である。ずっと昔に西武や西友と仲よくしていたので、あれこれその後の情報を伺った。
写真右は倶知安の吉田司法書士事務所のご一行、ブルーベリー摘みにお招きして楽しく交流。吉田事務所は英語が通じる事務所なのでニセコと限らず外国人投資家の需要が大きく、大繁盛の様子だ。吉田氏はラサールOBで観光協会会長、となにかとご縁もありそうだ。
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バタフライ・ガーデン大にぎわい
三年程前にガーデンシェッド横を「バタフライ・ガーデン」にしようと決めて、あれこれ蝶の好みそうな花を植えてみた。アニスヒソップ、百日草、ブッドレアというようないわゆる「集合花」を選んだのだが、雑草との競争で姿が見えなくなってしまったものも多い。それでも散漫な手入れをしているうちに一部は大きく育った。とりわけ今年はブッドレアが元気で、それなりに灌木風になり、花もたくさんつけている。8月の中頃になると白と紫の花が満開になって、そこに蝶が集まり始めた。中でも目立つのは写真のミヤマカラスアゲハだ。この蝶はある一般人向け調査で、「日本で最も美しい蝶」ということになっている。大型でゴージャスな蝶の舞う夏のガーデン、暑いだけじゃなくていいこともあるわけですね。
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仁菜ちゃんのブランコ、その2
ヨットで使ったロープの再利用でブランコを作ったのは去年のことだった。サトウカエデの枝にロープを結んで座面の板と連結するとひとまずブランコが完成した。しかしいくつか問題があって、両ロープを完全な水平に結ばないと均一なスイングができない、大きく動くとあたりの植物を痛める。そこで思い切って場所を移動することにした。そういえばあれがあったな、と思いついたのがどこかで拾った鉄製の小屋。これに塗装をして上部に鎖を張り、ブランコの台に改装した。大型のユンボで移動をして設置したのだが、結構大仕事だった。最後に座面にNINA/AKKIと彫刻して見事に完成したのであった。仁菜ちゃんが喜んでくれたのがなにより。
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●2016年6月
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もはや時候の挨拶となった気もするが、今年の天気は本当に異常だ。4月の雪解けからはゆるゆると春めいたが、5月になると気温が上がり、末頃はかなり暑くなった。と思っていたら突然の低温で、まるで梅雨のような長雨が続いている。 なんだかうすら寒く重い空の6月なのである。
夏よこい!
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あきちゃんの木を植えた
5月の中頃に「合同誕生会」という催しを開催した。統一教会風だけど春頃に誕生日が集中しているので、まとめてお祝いだ。4月に生まれたあきちゃんに誕生日おめでとうというのは変だけど、仁木も有巣も私めもこのあたりが誕生日だ。あまり話したくない話題ではあるけれど、有巣は今年で35歳、そしてぼくがその倍の70歳、という驚くべき事態が発生しているのである。誰もそう思うのだろうが、自分がこんな年齢になるとは考えたことがなかった。それはともかく、この日みんなであきの木を植えた。メイゲツカエデだ。
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お友だちなのである
5月3日にやってきた新メンバー、子猫の「チリ」も3ヶ月になった。元来保護ネコだから誕生日は不明だが、一応3月1日生まれということにしている。子猫は日々ずんずん大きく成長していくもので、チリも来た頃の倍のサイズになっている。最近計った体重はおよそ2キロ、いまのところまだハンディサイズではある。この2キロが一番仲よくしているのが体重25キロのランちゃんだ。圧倒的に善良で無邪気で不器用なランちゃんを相手に、どっこいチリも負けたものではない。おもちゃを取り合ったり、一緒に水を飲んだり、攻撃ポーズで威嚇したり、そうやって遊んでいるうちに一緒に寝てしまったりする。というチリやランや、時々参加するギンちゃんを眺めて笑う平和な毎日なのである。サンルームにあるソファは彼らを眺める観客席なのだが、しばらくすると犬たちも観客側に回って、するとチリのひとり舞台になる。彼女はあらゆる芸を披露してくれて、大いに楽しませてくれるのだ。もっとも、サンルームのソファには睡魔が潜んでいるらしく、いつの間にかぼくも犬たちもすやすや眠っているのである。こんなことでいいのだろうか。
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藤門浩之さん来訪
関西や九州方面に親戚にあたる人たちがぽつぽついるらしいのだが、これまでほとんど親戚つきあいというものがなかった。もともと藤門というのは珍しい姓なのだが、試みにネットで検索してみると大阪の藤門浩之という人がよく登場する。ということは前から知っていたのだが、それが直接の親戚でかつ面識のある人だとは思わなかった。読売テレビのプロデューサーとして活躍している一流の人物だ。ふとしたことからメールのやりとりを始め、6月にとうとうわが家を訪ねてくれた。写真は浩之さんとご長男の翔平さんだ。右の写真は浩之さんが持参してくれた50年前のもの。山岳部の合宿で剣岳に登った帰路にお宅を訪問したのだと思う。右端の少年が浩之さん、ぼくは雪焼けで真っ黒だ。なんだか急に近しい親戚ができたような印象。
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母の一周忌、お墓ができた
昨年6月に永眠した母の墓ができた。一周忌に合わせて石屋さんに墓石を作ってもらい、ぎりぎりのタイミングで設置ができた。東京から妹やその息子、孫なども来てくれて、簡単なセレモニーをやった。ずっと雨模様だったのにこの日だけは陽がさしてとてもいい会合になった。犬の墓だけが並んでいた芝生もこれですっかり「墓地」らしくなった。セレモニーの後は会食で、孫が4人もいるので大変にぎやかだ。仁菜は自分のブランコを貸してあげたり、自分のホームグラウンドで虫を探してあげたりして、しっかりホステス役を務めるのであった。
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ホテル・ドロームの譲渡
昨年来交渉を進めてきたホテル・ドロームと関連施設、用地などの譲渡が5月に終了した。相手先はシンガポールを拠点にする多国籍企業で、オーナーやCEOなど幹部の皆さんがやってきた。オーストラリアのコンサルタント会社が開発のマスタープランを作る予定で、その人たちを含めて記念撮影。250ヘクタールの用地に様々な施設を建設する計画らしい。
ホテル・ドロームはとても素敵なホテルだと思うし愛着がなくもないのだが、いかんせん老朽化しており、その改修や維持には資本が必要だ。思案しているところに大手の継承先が見つかったので、この機に譲渡を決めたのだった。「環境に優しい開発」をテーマに計画を練っているようで、ぼくも協力を約束した。ファンの皆さんには新生ドロームを待ってもらうことにしよう。
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●2016年5月
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4月に入ると、雪はどんどん減り、気温は上がり、木の芽はふくらみ、鳥たちも帰ってきて、外の世界は日々劇的に変化していく。あれよあれよの4月の毎日で、気がつけばもう5月になってしまった。3月号からまたジャンプして5月号だ。好き放題のダイヤリーだから叱られる心配もないけど、圧力もないのですぐに妥協してしまうのであります。
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オシドリ池、今年の様子
おととし作った第4池に待望のオシドリが来たのは去年のことだった。今年もおいでね、とウィングから観察の毎日だったが、4月の下旬になってようやく姿を見せた。ドングリ好きで有名なオシドリだが、代用の古米や大豆などをまいて歓迎した。池の縁には休憩用の倒木なども用意して、もう大歓迎だ。特に招待してないマガモもこれに便乗して、結構のさばっている。写真右はカエルを食べるオシドリ。かわいい顔をして結構野蛮だからおもしろい。
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ブルーベリーとカシスのさし木
リタイアする年齢にもかかわらず新企画、新計画が浮上して、間を省いて申し上げると、ブルーベリーやカシスの苗が大量に必要になってきた。そこで4月の雪解けを待ってベリー類を大幅に剪定し、その枝をさし木の穂木にした。さし木はずっと昔からやっている作業だから、気は楽だし成功率も結構高い。秘訣は穂木の先端を鋭利な刃物で切ること、挿し床の用土配合あたりだが、なに、誰がやってもうまくいくはずだ。困ったのは長年ベリー園をやっていて、どれがどの品種か混乱してしまったことだ。だからクローンが誕生してもそれが何の品種なのか不明になる。自家用だからまあいいでしょう。
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「あき」ちゃん誕生
4月23日、仁木くんの家に次女が誕生、「あき」と命名された。写真はその翌日に病院を訪問した時のもの。第二子なのでお母さんのあつみさんも余裕、仁木くんはちょっと誇らしげ、仁菜ちゃんは待望の妹誕生でものすごく喜んでいる。仁菜よりもやや大きく生まれて、その分表情もはっきりしている。健康だからだろう、いつ訪ねてもすやすや眠っている。女の子のふたり兄弟がどんな感じなのか分からないが、これから仁木は女性軍に囲まれて暮らすことになる。男の子ふたりとは全然違うだろうし、ちょっとおもしろそうにも思える。
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有巣院長を訪問した
4月をもって有巣くんは新しい勤務地へと移動した。羊蹄山麓にある喜茂別町のクリニックで、「院長」という待遇らしい。どんな所なのか見たいので、薬を処方してもらうべく診察を受けてきた。有巣はプライマリーケア(初期医療)の専門医で、疾患の入口での診断がいかに重要か、いつも力説している。世の中には入口でいい加減な診断をする医師が多く、患者がその被害者になるケースが多いという。渓仁会や新しいクリニックで沢山の患者と会って、いずれ自分の診療所を開くつもりらしい。身びいきかも知れないが、彼はとてもいい医者だと思う。
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わが家にネコがやってきた!
実は長い間ネコを飼うかどうか考えてきた。母親が動物好きだったから、子供の頃から家にはネコがいたし、飛騨時代には合計8匹も飼ったりした。だからネコについてはよく知っているし、かわいいとも思っている。がしかし、どうも現代のネコ飼育はぼくが知る飼い方とは大分違うようなのだ。簡単に言うとネコを一生室内に監禁するのが現代の飼い方で、それでいいのかどうか思い切りができなかった。がしかし結局、このハードルを越えることにした。あれこれあって、ひとまず子猫「チリ」との暮らしが始まった。かわいい!
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チリと犬たちとの心配で愉快で素敵な関係
去年の秋からずっとネコの里親情報をウォッチし、4月末になってようやく希望の子猫情報が見つかった。ボランティアで保護ネコの養子縁組をする人とコンタクトして、面談の上でチリを譲り受けることができた。推定2ヶ月というあたりでやってきたチリの最大の課題は犬たちとの共同生活だ。連休だったのでぼくはネコ教育に全力投球、少しずつ犬たちとの接触を始めた。犬たちは異常な関心を示し、それが母性に訴えているのか獲物として狙っているのか分からずちょっと怖かった。2週間の順化を経て、結局両者は互いを仲間と認め、遊び相手として認識するようになった。
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今年も楽しい春のバードウォッチング
4月になると徐々に鳥たちが帰ってくる。あるいは北に帰る鳥たちが立ち寄ったりしてあたりが賑やかになる。アトリやカワラヒワが大きな群れで滞在して、冬の間に給餌したヒマワリの種の散乱分をあさったり、ウソたちがサクラやカエデの芽を食べたり、大きなツグミ類が雪解けすぐの地面でミミズを探したり、家の周りだけでもしっかり鳥を見て楽しめる。温室の裏にある小さな第2池にはエゾアカガエルやサンショウウオがたくさん産卵する。それを狙って各種の鳥が来るのだが、今年はノスリがよく来た。カエルを捕まえるとそれをメスにプレゼントしたりするからおもしろい。きっと求愛に成功して今頃は繁殖に入っているだろう。
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●2016年3月
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「安心なインド」と言ったら「歴史も文化も違う!」と叱られるかな ・・・・・のスリランカ旅行
春と秋の年2回旅行に出る習慣になっている。特別強くどこかに行きたいというわけでもないのだが、日頃ずっと同じ場所で暮らしているから、たまには遠くへ出かけたくなるのですね。
今回はスリランカ。昔はボルネオと呼ばれた島をぶらり周遊してきた。
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古都キャンディ
首都コロンボが東京だとすればキャンディは京都にあたる、とガイドブックに書いてある。そう聞くと全然行きたくないのだが、交通の要所なので一泊。街は車で通過しつつ見物し、郊外の植物園でバードウォッチングをした。そう、今回は鳥見旅だ。そういう事にしておくと旅の輪郭ががくっきりして、なにかと便利なわけですね。ヨーロッパからの旅行者が多いから、鳥見は納得されやすいし、名所旧跡に行かない口実にもなる。
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スリランカ、首都はコロンボ
広大なインドにぶら下がるようにしてインド洋に浮かぶ島がスリランカ。北海道の8割ほどの国土に2000万人が暮らしている。仏教徒のシンハラ人が7割、ヒンドゥのタミール系が2割、イスラムとキリスト教徒で1割、という構成らしいけど、実際に行ってみると、その人的区別が全然分からない。赤道のすぐ北だから当然むちゃくちゃ暑い。ただし、キャンディ方面に行くと高度が上がってやや涼しくなるし、もっと登ると長袖が必要になったりするからうれしい。首都コロンボは、古い西欧の建築と庶民の暮らす雑踏のミックスで完成していた都市を、急速な近代化が破壊する、というアジアのどことも同じ混乱にある。近代的な高層ホテルに泊まり、西欧人が残した古い建築を眺め、庶民の街でバナナを買うのであった。
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インド洋の海辺にて
コロンボの南にあるゴールの街はアラブ商人、ポルトガル人、オランダ人、最後にイギリス人という風に砦の所有者が変遷した古い都市だ。砦周辺は面白かったが、今回はジェフリー・バワという「南洋建築家」の作った高級リゾートに泊まることにした。バワの建築はあらかじめ写真で見ていて、実物にそれほど感銘を受けなかった。西欧の団体客が多く、イギリス、ドイツ、フランスという順位だった。それに混ざって日本の中高年の皆さんが登場したので他人のふりをした。近くの漁港に魚の市があり、シーフードのレストランがあった。このあたりは2004年の津波の影響を受けたところだ。
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シンハラジャ森林保護区
実はここが目的地のひとつで、昔のセイロンの自然が残された聖地とされている。ゾウやジャガーのいるサファリ的国立公園ではなくて、森なので野鳥や昆虫なども多いらしい。情報不足でどう探索していいのか分からなかったが、現地に行くと案内システムができていた。入り口で入園料を払い、するとガイドが現れてこの人の案内で決められたコースを歩くのだ。しかしガイドは誰も結構知識があるし観察力も鋭い。あれこれおもしろいものを見せてくれた。ぼくのガイドはペマチャンドラさん48歳、うんと遠くの猿を見つけたり、10センチの子ヘビを捕まえたりすごい。
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シンハラジャの生き物たち
森の探索路は平坦な林道のようなもので、距離もそれほど長くはない。ネット情報にあったもっとワイルドな探索はどこかの宿のおじさんが独自にやっているものらしい。公式案内コースには西欧からのバードウォッチャーが多くて、結構ベテラン風の人もいた。皆さん一様にスワロフスキーの双眼鏡で、たまにぼくと同じライカの人がいる。かなり沢山の鳥を見たが、写真に撮るのはやはり難しい。写真右上下はスリランカの固有種。といってもカケスと野鶏。色が似ているのは偶然だろうか。左上は珍しいサル、下は地味なナナフシ。
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ヌワラエリアの茶園にて
バードウォッチングと並んでもうひとつ、有名な紅茶の産地を見物しておこうと思った。セイロン紅茶はもちろん有名なのだが、それはまた地区別の特産になっている。標高による区分が大雑把な分類だが、それをたとえばキャンディとかヌワラエリアとかウバとかの地名で呼ぶ習わしだ。キャンディからヌワラエリアへと登る道沿いに英国人が作った茶園が並んでいる。写真はマックウッドという茶園で、遠くの看板はハリウッドの看板のパロディらしい。上から下まで山全体が茶園だ。
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茶園で働く皆さん
お昼になったら斜面の上の方から茶摘みの皆さんが降りてきた。収穫した茶葉の袋をかつぎ、それぞれ竹棒をもっている。棒は摘み高を見る目印に使うのだそうだ。この人たちはタミル系なのだと思うが、茶園の歴史を読むと英国人によってインドから連れてこられたらしい。急斜面に作られた茶園の労働は過酷だと思うし、決して楽な暮らしをしているわけでもなさそうだ。あれこれ言いいながら紅茶を味わうだけで申し訳ない。右はお茶売店のお姉さん。
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●2016年1月
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さあいよいよ新しい年だ。まずは心機一転、がんばっていきましょう。
今年の冬は全体としては暖冬ということになりそう。比較的雪が少なくて、除雪作業が楽だ。
なんて言ってるとまたドカンとくるんだろうけど、これもやっぱり温暖化の影響なんだろうか。
今年は参議院選の年。なんとかしてアベ自民右翼政権をやっつけたいものだ。皆さんよろしく。
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1966年、ぼくたちは20歳だった
大学のクラス会をやることが決まり、誰かが昔々の写真を発見してみんなに配ってくれた。1966年(昭和41年)の春、一般教養から学部に移る際の記念写真だ。場所は立教大学の本館前で、クラスのほとんど全員が写っている。写真と氏名が一致するのはおよそ半分だが、50年前のことにしてはよく覚えている。不肖私は最後列で笑っているが、その左右に柔道部の友人がいる。山岳部のぼくを入れた我々3名だけが運動部に所属していた。残念なことに結構多くの級友が逝去していることが判明したが、中央にいる指導教授、原川先生は健在だ。
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それから50年、再集合することになった
昨年の11月立教大学経済学部N組のクラス会が開かれた。昔からある学生食堂の一角にクラスのおよそ半分ほどが再集合した。おおなんと、誰も彼もしっかり50歳分年をとっていて、いやはや名前を聞くまで誰だか分からなかったりするのである。英文学の原川恭一教授は80歳になられるそうだが、すこぶる健在でかくしゃくとしておられた。これがなにより嬉しいことだった。クラス随一の有名人はワイルドワンズの鳥塚しげきで、先生と彼を中央に50年前と同じ集合写真を撮影した。体育会3名は中央ですこぶる健在。
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バグパイプの皆さんが来てくれた
机周辺にカメラがたくさん散らばっていて、その都度適当に使うものだから、中には写したまま忘れているようなものもある。この写真も昨秋に撮影したままになっていたのだが、ちょっとおもしろいのでここに掲載させてもらう。バグパイプの団体は「余市パイピング・ソサイアティ」という名称で、もう25年も前から活動を続けている。昨年はNHKのドラマの影響でひっぱりだこだったらしい。祖父の故郷スコットランドの楽器だし、ずっと以前の訪問で練習用のパイプを入手していたこともあり、皆さんの指導を受けることにした。中央の新谷さんがグループのリーダーだ。もと余市の副町長で、現在は余市医師会の事務局長をされている。ランちゃん尊敬のまなざし。
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エゾマイマイカブリの怪
これもまた同じカメラに入っていたカットで、エゾマイマイカブリという甲虫の写真だ。オサムシの仲間で全長が4センチ近くある割合大型の昆虫だ。名前の「マイマイ」はカタツムリのことだが、これを食べる様子がまるでマイマイをかぶっているようなので、こう名づけられた。オサムシの仲間はきれいなものが多く、前に載せたオオルリオサムシなど、芸術的ともいうべき色彩になっている。このマイマイカブリも胸の部分が緑できれいだ。そしてこれがなぜか毎年晩秋になると2階の物置部屋にやってきて、そこでこと切れるのである。おそらく越冬のためにレンガ壁をよじ登って3階上の換気口から建物に入り、そこから2階へ下るのだろう。経路は不明だが、嬉しい秋の贈り物なのである。
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コラ!そこからどきなさい!
と窓越しに声をかけても一向にひるむ様子のないエゾリスの「キキ」あるいはその仲間である。本部建物の南端にあるウィングにも今年から鳥のエサ台を設置したのだが、鳥とともに早速やってきたのはリスの諸君である。いつもの北側勝手口のエサ台に2頭、ウィング側に2頭の合計4頭ぐらいが建物回りで暮らすようになってしまった。キツツキのヤマゲラが空けた「破風」の穴に住んでいる様子もあって、時々そこから断熱材を外に放ったりするからちょっと不安になっている。この写真はカメラからリスまでおよそ40センチほどで、間にガラスがあるからだろう、彼はまったくこちらを気にしない。もしかしたらすごい近眼なのかも知れない。
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まずはともかくお正月なのであった
有巣、仁木のふたりの息子はどちらも勤務医で、若いからあまり勝手なこといは言えず、勤務シフトも自由にはならないらしい。大晦日から新年にかけて集合しようと思ったがどちらもダメで、結局2日になってからの全員集合になった。数日ずれた新年のお祝いはおせち料理を食べるぐらいしかやることもなく、みんなで卓上ピンポンに興じたりするのであった。中心になるのはやはり仁菜で、4歳の彼女は実に利発でかわいい。目に入れても痛くないという種の「孫かわいい」ではなくて、その成長ぶりに驚いたり感動したり、あるいは将来への希望や期待がふくらむのである。仁菜の成長とともに仁木の父親としての成長にも瞠目している。
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間違いだらけの車選び<その3>
長男有巣の愛車は写真のボルボ240だ。ステーションワゴンの原点とも呼びたい歴史的名車だ。もちろんワゴンだけでも数々の名車があるのだが、240は広く使われたいわゆる「大衆車」だった。そこに価値があるようにも思うし、仁木が使っているボルボのV70などもここを原点として進化した車だ。残念ながらボルボはこの240から70への進化のあとで迷走しているようにも見える。次号にでも紹介するが、P44とかアマゾンなどから車暦を始めたぼくからするとボルボの衰退は残念だ。ところでこの240、昔ながらの二輪駆動だ。春から喜茂別町の診療所長になる有巣君、どこまで二駆でがんばるのだろう。もうひとつ冬用車を持とうか、なんて軽くおっしゃるのであった。
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●2015年10月−2
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夏から秋へ季節はどんどん深まって、白銀の冬がすぐそこまできている。
植物も鳥たちも昆虫も、春から続く最後の季節を惜しむようだ。
ベリーや庭木の冬囲いに忙しい毎日です。
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オオスズメバチの襲来
9月の下旬、菜園の片すみにある野鳥観察小屋の壁がにぎやかだった。近づいてみるとスズメバチが騒いでいる。としか最初は思えなかったのだが、よく見れば大小のハチがいて、大きい方はその姿からしてオオスズメに違いない。何年か前に目撃したから分かったのだが、これはオオスズメバチが別のスズメバチを襲撃しているところだ。襲われているのはモンスズメバチ。普通に言えばモンスズメだって充分脅威なのだが、この日はひたすら守勢の弱い存在だ。オオスズメは防衛隊を次々にかみ殺し、巣から幼虫を奪っていく。観察小屋の床のあたりに巣があったみたいだ。ノコギリを出してきてオオスズメを一匹叩き落とし、「アマゾン・ボンド・コレクション」に加えておいた。
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ギンちゃんとうとう7歳!
なんだかついこの前に来た気がするギンちゃんだけど、1 0月の誕生日で7歳になった。犬の一生は短くて、わが家のプードルたちは平均して12年程度だ。だから一年ごとというか一日ずつが大変貴重になる。とりわけギンのようにこちらの暮らしにぴったりなじんで、いわば家族の一員になった犬は大切だ。時にそんな感慨をもって彼女を見つめたりすれば、なんだか気持が伝わったかのように見返してくるのでいささか切ないのである。その点ぼんやりランについてはあまり心配がいらない。二頭飼ってみて「プードルの白」に結論が出たのだが、彼らは奔放で無邪気なぼんやり犬だ。だからランについてはあきらめつつ可愛いがる、ということで気が楽だ。プードルはやはり黒かシルバーですね。
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銘木エゾヤマモミジ
本部の建物を建てた時から本格的に庭づくりを始めたのだが、最初にやったのは大きな庭木を配置することだった。母親の家が完成した3 0年ほど前に敷地一周にスプルスやカエデの若木をぐるりと植えて、畑だった丘を住宅用地に模様がえした。その後、本部のレンガ建築は1996年の完成で、今からちょうど20年前になる。札幌のKさんという園芸屋さんにお願いして、十本ほどの大きな木を探してもらい、大型クレーンを使って庭に配置したのだった。中でも一番立派だったのが写真のヤマモミジで、K さんによればこういう木を「ロータリー木」と称するそうだ。以来このヤマモミジは建物正面の位置にどんと控えて庭全体の重心のような役割を果たしている。新緑も紅葉もひときわ見事で、重鎮と呼びたい風格である。
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間違いだらけの車選び<その2>
東京にレンジローバーを見物に行った時には、旧友でもとジャガージャパンの小石原君が案内してくれたのだが、その彼が乗っていたのが写真と同じデイムラー・ダブル・シックスだった。さすがにおしゃれな小石原ならではの車選びだと感銘したのであった。レンジローバーの新型を見に行ったはずがデイムラーに感動して帰ってくるという変なことになったのである。そのダブル・シックスが思わぬことから手に入ってしまった。いきさつは省くけど、勢いで決断、ということです。容姿に惚れて見境なく結婚、後で苦労する、という典型的な悲劇に突入した、この車を知る誰もがそういう主旨のことを言うが、新婚時代にあるぼくの耳には入らない。あくまで優雅で上品なこの車を目下のところ大いに愛しているのです。
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仁菜ちゃんのハロウィン・ランタン
仁木からラインで連絡があって、仁菜とハロウィン・ランタンの写真が送られてきた。不鮮明だけどこの際だからここに加えてしまおう。先週に一家で遊びにきた時に畑で収穫したカボチャで、おばあちゃん(宇土巻子のこと)が種から育てたものだ。早春の温室で野菜の種を蒔き、初夏に苗を菜園に運んで育て、秋になって収穫をする、という各種野菜の栽培に入っていたアイテムだ。ずっと昔、有巣や仁木がまだ幼かった頃、秋になるといつもこのランタンを作っていた。中にキャンドルを入れていくつも並べてはみんなで見物したものだった。それから30年、仁菜が登場してずっと昔の行事が復活したみたいだ。30年というのはつまりこういう時間のことなのだ、と深く思った。次の30年が過ぎて仁菜の子供が4歳になった時、彼女は庭にカボチャの種を蒔くのだろうか。
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いよいよ本格的な雪だ
このページを作っている今日、10月25日の日曜日、昨夜からミゾレ混じりの雪が舞っていたが、とうとう本格的に雪になった。夕方になって光が見えたので、犬たちと外に出てみた。紅葉がほとんど終わり、落ち葉の上に湿った新雪が積もっている。いつもながらの光景だが、やはり人をして寂しく思わせる晩秋なのである。もっともこの雪も数日すれば解けて、また枯葉の風景にもどるだろう。そうなってもらわないとまだ冬の準備が終わっていないこちらとしては大変困る。写真のベンチも倉庫にしまう予定だし、バラも背の低い庭木も縄で巻き上げて雪に備えることになっている。カツラの生垣は専用のすのこ状の板で全部保護しなくてはならない。
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●2015年10月
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夏から秋へ季節が大きく変化していく。
秋は風景がきれいで嬉しい季節だ。
9月から10月へ、あたりを眺めながら過ごす毎日だ。
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●スコットランドへ行ってきた
8月下旬、スコットランドへ旅をした。エジンバラで「ミリタリー・タトゥ」という軍楽隊のフェスティバルがあるので、これを見物するのを一応の目的にして、あとはいくつか買い物とぐるっと観光が目的だ。前回の訪問はもうずいぶん前になるが、エジンバラから東海岸を北上して、最後はシェットランド島へ行った。その時は羊やウール関連に集中していて、シェットランド訪問もそれが目的だった。
今回はもう少し北上してネス湖を眺めたり、ハイランド地方の山道をドライブしたりして、その荒涼たる風景を楽しんだ。母の世話であれこれの旅行計画がどんどん狂ったが、いよいよ挽回、あちこち出かけようと思っている。
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スコットランドのハチ公
渋谷駅前のハチ公像は有名だが、エジンバラにも同じようはワン公がいて、名前をボビーという。正式には「グレイフライアーズ・ボビー」というそうで、さすが犬の国だけあって苗字がある。ハチ公の苗字は上野博士が飼い主だから「上野ハチ」になるんだろうか。なんだか格調に欠ける気がする。渋谷のハチ公は上野博士を9年待ったというが、ボビーはなんと14年も飼い主の墓に通ったというからすごい。
エジンバラの古い街を歩いていたらこの像に出会ったのでひとまず記念撮影。みんなが触るからボビーの鼻はそこだけ地金の色になっていた。背後のパブの看板にボビーとあるが、ロイヤル・マイルのあたりは一大観光地であった。
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「エジンバラ・ミリタリー・タトゥ」を見物
「タトゥ」というのは入れ墨のことだと思っていたら、もうひとつ意味があって「軍楽隊の行進」をそう呼ぶのだそうだ。毎年夏になるとエジンバラ城の広場にスタジアムが作られて、ここで軍楽隊のフェスティバルが開かれる。有名なお祭りらしく世界各地からこれを目当てに観光客がやってくる。スコットランドの軍隊とその楽団が中心だから、当然バグパイプ音楽になるわけで、数百人がこの楽器を演奏すると猛烈な音響、大迫力である。少女たちの民族舞踊があったり、ゲストとして外国の楽隊が演奏したり、次々とプログラムが展開する。ぼくの席はV IP席のすぐ前だったが、いかにも貴族という人たちのそばでこちらにも圧倒されるのであった。まずはおもしろかった。
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バグパイプを注文する
今年の冬から余市のパイプバンドに通ってバグパイプの練習をしている。ずっと前のスコットランド旅行の時に練習用の「チャンター」を買ったのだが、先生がいなかったのでそのまま放置してしまった。最近になって余市にバンドがあると聞いておそるおそる門を叩き、入門することにした。年寄りの冷や水、だけどほっといて。バグパイプの練習は専用の小型パイプでやるのだが、いずれは本格的な楽器を演奏するはずだ。その日に備えてパイプメーカーの名門、ファイフ郊外の「シェファード社」を訪ねた。工場長のロス・ワトソンさんが親切に案内してくれ、製造工程を見せてくれた。ほどほどのバグパイプ一式を揃えて送ってくれることになっている。
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ハイランド・ゲームを見物する
夏になるとスコットランドの各地でハイランド・ゲームというお祭りが開催される。どちらかというと「村祭り」というようなものだろうが、プログラムが結構おもしろい。バグパイプの行進やコンテストは当然メインだが、少女たちのダンス競技もあるし、丸い石を投げる砲丸投げとか丸太をかかえて放る競技とか、愉快千万。ある晴れた土曜日にアバディーン方面の田舎町で開かれたゲームを見物した。近隣の町村がそれぞれのパイプ・バンドを持っていて、それらが次々と演奏を披露する。自慢の腕前を披露するわけだが、見物していて楽しいのはその衣装のバリエーションだ。写真のバンドはユニークなグリーンで、ひときわ見事だった。
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ネッシーはいなかった
スコットランド北部にはたくさんの湖があるが、なかでも有名なのがネス湖だで、「ロッホ・ネス」と呼ぶ。インバネスという北海沿いの町から西に向かって、延々と湖が続いていく。暗く重たい空の下、朝夕は霧が立ちこめていて、これじゃネッシーのひとつも出てきてもらわないとやりきれない。湖岸をずっと南下するとフォート・ウイリアムという町に至る。この町の裏にベン・ネイビスという山がそびえていて、わずか1 3 0 0mだけど英国最高峰なのだそうだ。山の名前を使ったウイスキーの醸造所があるのだが、これをわが地元ニッカウヰスキーが買収したらしい。訪ねてみたが、残念ながら日曜日なのでお休みだった。
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「ニュー・ラナーク」訪問
その昔、ロバート・オーエンという人がいた。19世紀に生きた英国人で、ある種の社会改革家であり空想社会主義者とも呼ばれる。労働者階級に生まれたが、グラスゴー郊外にあるニュー・ラナーク紡績工場の経営者になり、これを大成功させた。産業革命以後の英国社会では労働者が過酷な環境に置かれたが、オーエンは工場の利潤よりも労働者の生活改善や子供の教育に力を入れた。後にアメリカに渡り、「ニューハーモニー」という共産社会を作ろうとするが失敗、全財産を失った。シェーカー教団の成功とよく対比される。広大なニュー・ラナーク紡績工場一帯は世界遺産に登録されていて、建物のひとつがホテルに改造されている。ここに泊まってオーエンについて少し学んだ。
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●2015年8月
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いやはや滅茶苦茶暑い夏である。
北海道でこんなに暑い夏なんて、在住30年にして初めてのことだ。
こっちはもっと暑いんだから、と本州方面の方は言うかも知れないけど、
代償として極寒の冬を耐えた上でのこの猛暑、空に向かって抗議したくなるわけですね。
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今年もドロームで「エコキャンプ」
札幌の「エコネットワーク」と北海道新聞共催の「エコキャンプ」が今年もドロームのキャンプ場で開催された。参加者は定員40名の親子組だ。ぼくの担当は池でニジマスを釣って夕食のおかずにするコース、といってもただ釣るのではなくて、魚の体の仕組みを理解しよう、という主旨になっている。もうひとつの担当は「昆虫相談所」の所長で、子供たちが捕まえてきたムシについて名前や性質を教えることになっている。といっても昆虫の種類は猛烈に多いし、こちらも初心者だから図鑑を片手に「きっとコレだね」なんていい加減この上ない。夜にやったバナナトラップが空振りで、「たくさん採れるぞ」と豪語したおかげで子供たち全員に非難された。
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アリス・ファームがフランスのカフェになる
香港台湾日本合同の撮影隊がやってきて、アリス・ファームとドロームでコマーシャルの撮影をやった。こちらは場所貸しなので気楽なものだが、炎天下本格的なムービーの撮影だった。監督という人はその筋では有名な人物なのだそうで、気に入るまで何度も同じカットを撮影する。聞くところによると、初老の夫婦が車でフランスを旅しつつ、30前の旅を思い返す、というようなお話らしい。聞いてすぐ思ったのは、昔々のヘップバーンの映画『いつもふたりで』だ。よく覚えていないが、若い頃はヒッチハイクかボロ車、中年になって成功してからはおしゃれなスポーツカーだった気がする。今回の撮影でも古いVWのコンバーチブルを使っていた。
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オオルリオサムシ!
北海道を代表する昆虫オオルリオサムシ、別名「歩く宝石」なるこの貴重品を今年は3頭ゲットした。去年の夏、初めて捕まえた時には手がふるえたが、同じ場所で今年は一挙に3頭。写真ではなかなかその光沢が伝わらないが、光の角度によって微妙に色合いが変化して妖艶に美しい。ずっと昔には他の甲虫と同じく飛ぶことができたのだろうが、やがて羽根は退化してひとつながりの甲羅になった。以来ひたすら歩行によって種を維持してきたので、地域差がどんどん広がり、色あいや光沢に大きな違いがある。わが赤井川村産は上ふたつの緑金色と下の銅金色の2色があるらしい。3頭も採ったのでそれ以後はオサムシ用のピットトラップをやめている。もうひとつアイヌキンオサムシという珍種が次の目標だけどしばらくはお休み。
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新式バナナトラップの威力絶大!
樹液に集まるムシを採るのは昆虫採集の基本的だが、その樹液を人工的に作って昆虫を集めてしまおう、というのがトラップだ。教科書に出ているバナナトラップは普通、バナナに焼酎などを加えてからストッキングのような網状のものに入れ、それを木に吊す、という方式だ。このトラップがうまくいって甲虫類が集まった、ということもあるが、各地での経験からしてどうもいまひとつの印象だ。ランカウイ島ではトラップごとサルが持ち去ってしまって話にならなかった。なにかもっといい方法がないかとネットを検索していたら、ある人が画期的な方式を紹介していた。同じくバナナを使うのだが、各種材料を加えて発酵させ、それを直接木の幹に塗りたくってしまうのだ。やってみたらこれがすごかった。クワガタが大量に来てびっくりした。
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ハウチワカエデに再挑戦 伊藤さんありがとう!
去年の誕生日に植えたハウチワカエデ、別名メイゲツカエデは春になっても芽を出さず、結局枯死が明らかになった。購入した苗木屋が言うとおり鉄砲虫、つまりカミキリの幼虫が幹に入っていたらしい。原因は分かったが墓地の中心位置の木がなくなってしまったので大変困る。
これとは別に、札幌農林の伊藤さんという人に庭木をいくつか頼んであった。長年おつきあいがある信頼すべき人物だ。春先に庭木を届けにきてくれた伊藤さんに、ハウチワも探してもらえないか依頼した。主幹型のハウチワというのは少ないのであまり期待していなかったのだが、さすが伊藤さん、どこかから探し出して遠路届けてくれた。木の種名をラテン語でさらりと口にする伊藤さん、写真中央の人物である。
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猛暑の夜は外に出て・・・・・
レンガの家はいわば洞穴住宅だから、外気温と無関係に内部は割合一定の温度になっている。冬の外気温をレンガに貯めこみ、夏の暑さをまたレンガに貯める。その蓄熱をゆっくり放出するので、夏に涼しく冬に暖か、ということになる。外気温が描く温度グラフを半年分ずらして室内の温度曲線が描かれる。ひとまずそういうことになっている。しかし問題は開口部だ。レンガ壁の厚さは50センチを越えるから充分なのだが、ドアや窓は圧倒的に薄い。おまけに木材やガラスは熱を伝えやすいから、内外の温度を簡単に通過させてしまうのだ。というわけで、クーラーボックス的住宅のはずなのに、それでも夏は結構暑いのだ。夜9時、犬と庭に出る日課だが、外のひんやりした空気がとても嬉しい。
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●2015年7月
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7月中旬になってようやく夏めいてきたが、それでも夜には10度近くに気温が下がる。
涼しく爽やかな北海道の夏だ。
ずっと低温だったから昆虫が少ないのが残念だが、もう少し待つことにしよう。
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仁菜ちゃんのブランコ
小樽に係留しておいたヨットを処分したのだが、使わなくなったロープ類を家に持ち帰った。何に利用しようか考えて、まずはブランコを作ることにした。仁菜がブランコ好きだと聞いていたから、彼女へのプレゼントだ。もちろんブランコなんて初めてだから、どう作っていいのかよく分からない。アメリカのネット情報を探ると結構たくさん画像があったので、それらを参考に適当にやってみた。結果はまずまずの仕上がりで、木部を赤く塗ったらそれなりにかわいいデザインになった。仁菜ちゃんが大喜びしてくれたのがなによりだ。ロープが長いのでかなりのストロークになるのだが、彼女は勇敢にブランコ遊びに興じていて、「大人はダメ」とか言って誰にも渡さないのである。
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ランちゃん1歳の誕生日、「返品」の危機
早いものでランもとうとう1歳になった。毎日元気に飛び回っていて、見ているだけでおもしろい。しかし問題も多い。ギンが散々小さいと言われ続け、プードルじゃなくて「プドル」だ、なんて非難されたから、今度は大型を、と希望してそれらしき子犬を入手したはずなのに、一向に大きくならないのである。1 歳になってもまだギンより小さくて、この先もあまり見込みがない。イギリス人がきて「本当にスタンダードか?」というので「ジャパニーズ・スタンダードだ」と答えたら納得していた。宇土有巣に言わせると「プードルの軽」ということになる。「大きくならないと返品だぞ!」と毎朝脅かしているが、本人はそんなこと全然気にせず、今日も元気に遊んでいる。かわいいといえばかわいいが、やや困った「小型ぼんやり犬」だ。
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「アマゾン標本箱」が増える
昆虫採取には一定の流儀があって、その教科書などもあるのだが、去年からぼくはどこにも載っていない独自の方式を試みている。と威張るほどのものでもないのだが、拾ったり捕まえたりした虫をそのままボンドでボール紙に張りつけてしまうのだ。整形しないから手足はバラバラで、並びも順不同、割合貴重な虫も平凡な虫もぎっしり張りついている。
このボール紙はアマゾンに本を頼んだ時に配送されてくる箱に入っていて、ついでにその箱を標本箱に使っている。フタを閉じると重ねて置けるから増えても大丈夫だ。散歩していて虫がいたら毒ビン( これも独自開発のプラスチック容器) に放りこみ、帰ったら即ボンドで張りつけ。イージーで申し訳ないようなものだが、結構楽しんでいる。
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カミキリムシはかわいいなあ!
「アマゾン標本箱」には特に決まりはなくて、そこらで見かけた虫ならなんでも張りつけてしまうのだが、蝶や蛾は展翅が面倒なのでパスすることにしている。ひとまず蝶蛾は写真で記録、ということにしている。
春から菜園や散歩道の雑草で虫探しをしているが、花に来るカミキリやハナカミキリの類が楽しい。1−2センチ程度のものが多いが、ルーペでよく見れば結構きれいな種も多い。写真左はハンノアオカミキリで、緑の光沢がすごくきれい。こんな宝石みたいのがそこらを歩いているなんてなんだか奇跡みたいに思える。写真右はモモブトハナカミキリ、菜園のルバーブの花にいたカップルを捕まえた。名前の通りモモブトなのがおかしいでしょ。
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仁菜ちゃんカヌーに乗る
札幌のスポーツ店「秀岳荘」が主宰する「カヌーキャンプ」も今年で30周年、最終回になる。というニュースを前の週にドロームで開かれた「スノーピーク」のキャンプで聞いた。最終回ならやっぱり顔を出そう、と決めて仁木一家と洞爺湖の会場を訪ねた。このイベントでずっとゲストを続けているのが野田知佑御大で、昨夏以来久しぶりに会って旧交を温めた。野田さんの他にも獣医の竹田津実さんや元テレビマンの杉本さん、秀岳荘の金井さんなどたくさんの人たちと再会して楽しかった。カヌー体験というようなプログラムがあったので、飛び入りで仁木一家が参加させてもらった。仁菜ちゃんは生まれて初めてのカヌーに大喜び。
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間違いだらけの車選び
というシリーズがあったけど、車選びはいつも間違っているといえるし、どれだって正解といえなくもない。動く限りみんな同じ、という開き直った見解がある一方で、より素敵な車を求める気持も押さえがたい。無茶苦茶種類のある車の中から自分の好みのものを選び、ひとたび選んだらそれを「愛車」として長く大切に使う、これが正しい車選びなのだと思う。そう思うのだがあれこれ予期せぬ問題も生じてくるわけで、昨年手に入れたばかりのEタイプのステーションワゴンを早くも手放すことにした。誠にもったいないことをしているのだが、ともかくそう決断したので居合わせた仁木君と一緒に最後の記念撮影をした。仁木の車はぼくが譲ったボルボのV70だ。さて次は。
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●2015年4−5月
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嬉しい春が今年もやってきた。
何度くり返してもやっぱり春がくると嬉しくて、毎日あたりを眺めつつ暮らしている。
大げさで笑われるかも知れないが、この日常こそ人生の目標だったのだ、なんて思ってるわけです。
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ここが春の本拠地
いきなり自分の写真で恐縮ですが、春の暮らしの中心地はこの「ウィング」と呼ぶ部屋にあるのですね。もともとは犬たちの部屋として付け加えた木造部分だけど、窓を大きく取ったので大変見晴らしがいい。犬たちには囲いを作って夜はそこに入ってもらうことにして、ウィングはもっぱら自然観察部屋になっている。正面の庭から菜園側、下のベリー園側と3方向を眺めわたすことができて、あたりに来る野鳥の類をのんびり観察できる。春先は鳥が多いから、困ったことにひとたび双眼鏡を手にするとここから離れられなくなってしまう。窓の向こうはわきたつシラカバの新緑、ぼくは限りなくハッピーなのです。
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「おしどり池」にオシドリが来たのだが
上の写真の左側、シラカバ林の下に池を作ったのは去年のことだった。本庭の池から続く水流には途中いくつかの池があるのだが、ここにはよくカモの類がやってくる。こっそり観察するが彼らは結構神経質で、ちょっとしたことで飛び立ってしまう。そこで、少し離れた建物から見物してやろうと思ってこの池を作ったわけ。時々オシドリが来てるから名前を「オシドリ池」ということにしたが、期待どおりにオシドリが多い。最大では3組6羽に独身オス1の7羽が池にひしめいたのである。そのうちひと組が常住するようになり、裏にある大ヤチダモの樹洞に営巣するそぶりであった。よーしこれで子供も見ることができる、と大いに期待して毎日ウィングからの観察したのであったが‥‥‥‥
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容疑者2名について
オシドリはドングリが大好き、ということになっているが、実際にはかなり色々なものを食べているらしい。ネット情報ではマメ類などを提供するとあったから、ぼくも収穫のあまりなどをあげることにした。そんな幸せな関係が続くある日、早朝に窓から眺めるとメスの姿がない。双眼鏡で詳しく見ても見あたらず、もしかしたら産卵に入ったのかなと思った。ところがよく見ると池に羽毛らしきものが浮かんでいる。一瞬にしてぼくは悟った。そうかあいつらにやられたんだ。少し前にテンの姿を見かけたし、キツネも時々歩いている。夜にどちらかに襲撃されたに違いない。かわいそうに残されたオスはひとり池に浮かぶばかりだ。写真左は急遽池端にしかけた箱ワナに入ったテンで、余市方面に移住してもらった。キツネの方は今日もあたりを徘徊している。
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ランちゃん大手術、でも元気
犬が好きで犬なしで暮らせないのだが、飼う犬には一応方針のようなものがある。長年の経験から「洋犬大型長毛種のメス」という路線が定まってしまい、結局スタンダード・プードルがわが家の犬になった。ボンちゃんからランちゃんまでに20年を越えて4代目になる。
メスを選ぶのにはいくつか理由があるのだが、マイナスもなくはない。そのひとつが婦人科系の病気にかかる、という問題で、対策を立てないとほぼ全員に子宮や乳房の異常が現れる。対策というのは子宮を切除することで、一歳未満でこの手術を受けることにしている。アンジェリーナ・ジョリーなのである。手術後はカラーをつけて暮らすのだが、こちらが思うほど本人は気にしていないみたいだ。
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変なムシがいたぞお!
二階の東側の窓からは裏山のふたつの池が見渡せる。遠いけどカモたちに気づかれずに観察できるので、時々こちらからも池を眺めている。そんなある日、ふと窓枠の片隅にもぞもぞ動くものを見つけた。ワッ!変なムシ!というのが最初の印象だが、ひとまずビンに入れて自室に持ち帰り、素性を調べることにした。ところが図鑑類には一向に姿が見あたらず、半分諦めかけた。そんな時、ふと思い出したのが「羽根のない蛾」の話で、それを読んだ本を苦労して探し出した。ビンゴ!である。彼女の名前は「チャバネフユエダシャク」という。チャバネかどうかは不確かだけど、エダシャクのメスには違いない。なぜ冬なのか、なぜ羽根がないのか、の話は『蝶を育てるアリ』(矢島稔・文春新書) に詳しい。決して愛すべき姿とは言えないが珍しいムシに出会って幸運だった。
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「もしかしたら」のバードウォッチング
春は野鳥観察の季節だが、領土内でしか鳥見物をしないからほとんどの鳥はおなじみさんだ。姿や声で「ああ、ことしもアレがいるな」というぐらいで、双眼鏡で眺めるのは念のための確認。と言っても野鳥の姿や声がかわいいことには違いなく、やあやあと挨拶を交わす気分だ。みんな知り合いのはずなのだが、時として見慣れぬ鳥やなんだかちょっと違う様子の鳥に思えることもある。初対面の鳥が来ることももちろんあるわけだから、そういう時は慎重にその特徴を覚えることにしている。今春ではいつものウソの他に「もしかしたらベニバラウソ」がいたし、写真のノスリも「もしかしたらケアシノスリ」だし、おしどり池に来たカイツブリは「もしかしたらカンムリカイツブリ」だ。多分違うけど、ついそう期待してしまうのである。
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春のツグミ大集合!
春の雪解けに必ず帰ってくるのが大型ツグミ類で、いずれの皆さんも雪の下から現れる落ち葉をめくって下にいるムシ、特にミミズを補食する習慣だ。その落ち葉めくりが結構おおげさで、見ていておもしろい。サイズも大きいし動きも派手だから建物から見物するにはもってこいの鳥たちだ。
写真左上がツグミで、かっては焼き鳥のためにかすみ網で大量に捕獲された。右上はトラツグミ、大きくて堂々たる姿だ。夜にヒューと鳴き、「ヌエ」と称されたこともある。左下はアカハラで、数が多い。右下はクロツグミ、春一番の歌い手だ。姿がちょっとひょうきんで、ぼくの好きな鳥ベストワンだ。この他にシロハラ、マミチャジナイ、マミジロなどがいるが、いずれも数回しか見てない。
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仁木宅に「つるバラフェンス」を作る
仁木の家は賃貸住宅だが庭が広くてなかなか住み心地がよさそうだ。一家はここに腰を落ち着けるつもりらしく、周辺の整備に力を入れている。家主の承諾をもらいつつ放棄されたような灌木を整理したり、土に埋もれたブロックなどを取り除いたりしている。その彼らの庭の向こうにアパートがあって、窓どおしが向き合う格好になっている。できれば穏やかな形のブラインドが欲しいんだけど、という希望を聞いて、バラ用のフェンスを提案した。高さが2メートル、長さが9メートルのフェンス工事を請け負って、何回か札幌を往復することになった。写真は完成の時のもので、近くに住む有巣も見物にやってきた。
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●2015年3月
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今年の冬はいつもと少し様子が違っていて、年末年始頃は結構雪も降ったし気温もそれなりに低かった。ところが2月の中頃からは急に気温が上がり、降雪もぐっと少なくなって、なんだか楽な冬になってきた。道東方面は低気圧の通過で厳しかったみたいだが、我々の住む道央は2月以降いわゆる「暖冬」状態、季節がひと月早くなっているように感ずる。楽でいいけど、これもまた温暖化の影響かと思うとそう心おだやかではない。
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窓口受付係2名
本部建物の通用口を入ると事務所があって、ちょっとしたカウンターがそこにある。郵便や荷物を受け取ったりする場所だが、最近は来客があると写真の2名が最初に挨拶に出ることになっている。黙って尻尾を振る場合もあるが、大概はワン!と比較的小声で鳴いて応対する。犬はいつもそうだが、来客の姿風体に応じて反応が違っていて、作業着姿の農家の人などには割合大きく吠え、背広ネクタイだと声は小さい。彼らなりの来客警戒度があって、その指数に応じて吠え声が異なる。ぼくが帰ってくるともちろん大きな声で鳴くが、これは声の質が違っていて、「お父さんお帰り!」と歓迎している、のだと思う。
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仁菜ちゃんの初スキー
昔、有巣や仁木が小さかった頃、3月はクロカンスキーの季節だった。本部裏手の牧草地を中心にあっちの林、こっちの丘をスキーで歩き回った。3月になると雪が締まって歩きやすくなるし、野鳥も増えて散歩が楽しい。時によってはイタヤカエデの木からメープルシロップを採るようなこともやった。その後少年ふたりは村の「クロカン少年団」に加わって本格的にレーススキーをやるようになり、雪上散歩は犬の散歩の一部になっていった。
今年の3月、仁木の子供仁菜がいよいよ3歳になって、彼女も伝統に従ってスキーで丘を登ることになった。週末ごとに一家でやってきて、3人で歩いている。ほほえましい家族の姿をぼくは庭から遠望するのである。
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嶋田忠さんの新ギャラリー・カフェ訪問
札幌4人組の新年会がのびのびになったので、遅ればせながら嶋田忠さんの新ギャラリーをみんなで訪問しよう、ということになった。忠さんは札幌の事務所を畳んで、もともとの住まいがある千歳にギャラリー兼カフェを作ったところだ。ずっと前から撮影場所としていた千歳川のそばで、奥さんや娘さん夫妻がカフェをやっている。大きなガラス越しにエサ台が配置されていて、そこに次から次へと野鳥がやってくる。カフェの隣には撮影小屋も用意されていて、野鳥ファンには楽しい場所だ。ギャラリーには忠さんの写真が効果的に展示されている。写真右から嶋田忠、小川巌、岡田実の3氏、楽しい仲間である。
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まっ赤なウソです
毎年3月に入ったあたりから庭の野鳥が増えてくる。冬の間にずっといたカラの類やキツツキなどに加えて、新メンバーが顔を出し始めるのだ。そんなメンバーの中にこのウソもいるのだが、今年はどうしたわけか団体の訪問で、それも連続一週間も滞在していった。よく見るとカエデの新芽を食べているようで、それも新緑の早いギンカエデを選んでいる。更によく見るといつものウソとは違って胸の赤みが強い。これは図鑑で見たアカウソかベニバラウソに違いない、そう思って小川巌師に写真を送った。返事ではベニバラウソ、ということだったが、ネット情報をあさるとやはりアカウソの可能性が強い。「大雨覆先端の白」と「尾羽根裏の白線」がベニバラの決定的証拠なのだそうだ。いずれにしても嬉しい春の使者である。
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「またカメラ買ったんですかあ?」
そう言われても仕方ない。去年の春には昆虫撮影用としてペンタックス2台とレンズ5本を買い、超接写ポケットカメラのオリンパスTG3も買った。それぞれ購入理由ははっきりあるし、今後ももちろん使用するつもりでいる。以前から持っているキャノンの高級機種もレンズ群もいざという場合に出動するよう待機している。方針に変化はない。しかし、人生には予想外のことも起きる。「これはもう買わざるを得ない」というようなカメラが忽然と目の前に現れてしまったのだ。購入はもう不可抗力なのである。
キャノンの「パワーショットSX60HS」。この小型軽量カメラはなんと65倍ズーム、1365mmの撮影が可能なのだ。接写もできる。すごい!上のウソの写真もこのカメラを使って撮影したものです。どうもすいません。
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●2015年1月
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昨年末、クリスマスの時期にマレーシア、シンガポール方面に行ってきた。目的は「蝶の宝庫」といわれるランカウイ島で乱舞する蝶たちに囲まれることだったが、いやとんでもない、滞在期間中ずっと雨降りで時には嵐のようだった。日頃の行いをしっかり反省してみたが、天よここまでひどい目に遭う覚えはないぞお。
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ヨットハーバーにて
ランカウイ島の北端にヨットハーバーがあったので寄ってみた。旧英国領ということで、島のあちこちで英名の表札がかかった豪邸を目にしたが、おそらくヨットもそういう人種のものなのだろう。後ろに見える山にはケーブルカーが架かっていて、マレーシア本土からの観光客で大にぎわいだった。チケットを買うのに並んで、乗車するのにまた並んで、という様子にげんなりして、結局ケーブルカーは乗らなかった。ここが典型だが、島中が同じような観光地になっていて、その様子はずっと昔の江ノ島とか熱海とかのようで、どこもかしこもヒジャブなる頭巾をかぶった人たちでいっぱいだ。悪天候で蝶探しの山歩きはできないし、あたりは江ノ島だし、どうしていいのか途方に暮れる毎日なのであった。
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島で会った人たち
肝心の蝶にはまるで会えず、カメラの接写レンズはほとんど出番がない。しょうがないのであまり意味もなく望遠であちこち写して回る。帰ってから見ると、道ばたの犬とかネコとか猿とか、人間だと子供ばかりが写っている。要するに撮影が容易なものだけ撮ったということ。写真左上の子はインド系、右上下はマレー系、左下はサル系である。このサルはシロマブタザルといって、そうどこにでもいるわけではない。とある廃墟に登ると、その裏のジャングルで偶然発見した。とてもかわいいが、結構警戒心が強くて撮影はむずかしい。島には犬とネコがすごく多くて、おもしろいことにネコがどれも大変友好的だった。ネコ!と声をかけると必ずナオと答え、どこで生まれたの?聞けばニャンカウイと返事する。
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ランカウイ島の蝶
連日の雨天と思いがけない低温で蝶は全然だった。日本の蝶マニアがかなりたくさん押しかけて、その人たちの自費出版も2冊あるのだが、教えの通りの場所に行ってもさっぱりなのである。記録の最後が10年前ぐらいになるから、きっとこの10年で島はかなり変化したのだろう。10年前の本の中でも変わった変わったと嘆いているのだから。
というわけで期待した蝶との出会いは少なく、有名なキララシジミも見ることができなかった。蝶は目撃回数を10とすると、捕虫網の捕獲は5、撮影は2ぐらいの成功率だ。今回も少ないとはいえあれこれ目にした蝶もあるのだが、いずれもあっという間に消え去ってしまうのであった。
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ゼイタクは言わない、 なんでもいいから虫を見せてくれ
蝶が不作だとしても裏に熱帯雨林をかかえる島ではないか、なにかおもしろい虫が出てきてぼくを歓迎してくれてもいいはずだ。と思って目をこらしてあたりを歩き回るのだが、これまた全然なのである。夜になったら灯火に虫が飛んでくるのでは、と期待して宿まわりを歩くが虫はおらず不審者としてとがめられそうな気配。腐ったバナナをストッキングに包んで山にしかけたが、これはサルの諸君がすぐに持っていってしまう。そんな中でわずかにお会いしたのが右の諸君。左上はハムシの類で色がきれい、隣りはヨコバイで平凡。左下は枯木の皮をはいだらいたサソリ、その隣は渋いがどってことないトカゲ君。こんなことなら日本の夏の方がずっと虫が多い。北海道だってもっといるぞ!とひとり怒るのであった。
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宿で読書の日々なのであったる
連日連夜の雨模様だし、出かけてもあたりは観光地熱海である。やむをえず読書の日々になる。西欧の旅行者がよくプールサイドで本を読んでいるが、それを眺めて「大人だなあ」としばしば感ずる。休暇を心の休暇としてリラックスするのだろうが、貧乏性のぼくなどは「せっかく遠くまで来たんだからなにか収穫を」とせわしく思ってしまうのである。ところが今回は強制的に「ゆったり休暇」を押しつけられた格好で、読書の日々を送ることになった。テラスの向こうにはパディ(田圃)が広がって、自慢の風景らしいが日本人には特におもしろくもない。それよりたまにやってくる鳥の方が楽しくて、いつも双眼鏡をそばに置いておいた。White throated Kingfisher なるとてもきれいなカワセミがきた。野鳥を目的にした方がよかったかな。
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帰宅したらお正月だった
年末の帰郷ラッシュの中を北海道までたどり着いた。往路は吹雪で高速道路が不通だったし、帰路は大混乱の飛行機だし、どうも今回はアンラッキーな旅だった。しかし帰ればギンとランのふたりが熱狂的に歓迎してくれる。おおランちゃんは10日の間に成長しているではないか。荷物を解いてひと息つくともう大晦日、有巣や仁木がやってきていつもの年末年始パーティになるのであった。クリスマスとお母さんの誕生日も一緒だからプレゼントが行き交っておもしろい。一番いっぱいもらうのはやはり仁菜で、彼女はまるで女王様のようである。ふとこんなんでいいのだろうかと心配になったりする。写真は1月元旦の朝、みんな夜更かしで眠たそうな顔をしている。
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●2014年12月
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いよいよ本格的な冬、しっかり雪が降り、気温もぐんぐん低くなっている。 いつもと同じ冬、いつものように除雪作業をやり、いつものように野鳥にエサをあげる毎日だ。
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エゾリスのキキ君が今年もやってくる
玄関先のハシドイの木には今年も野鳥用のエサ台を吊している。 台というよりも筒状の給餌装置で、これだとカケスやヒヨドリなどがエ サを取りにくい。かわいがっているのはカラの類で、シジュウガラなど5 種がメインのお客さんだ。北海道のエナガは顔が白いシマエナガなの だが、残念ながらヒマワリにはやってこない。小さな雑穀類だと呼べる と聞いたが、するとスズメが大挙して押し寄せそうで躊躇している。カ ラの類以外にもアカゲラとかシメとかも時々来るのだが、毎朝必ずい るのが写真のエゾリスだ。リスにしては大柄で、あまり人を恐れず両 手でヒマワリを食べている。同じ個体かどうか分からないが、ひとまず 名前を「キキ」ということにした。時にキキと鳴くのである。
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トラクターの出動です
改めて言うまでもないのだが、トラクターというのはとても偉い機械なのである。都会の人はただ「畑を耕す機械」ぐらいにしか思わないだろうが、それは半分ぐらいの正解。実際には後ろに(時には前にも)取りつける作業機がそれぞれ専門の仕事をこなすようにできている。写真の緑色の作業機は雪を飛ばす「ブロアー」で、作業幅が2.3mある。トラクターの動力がこの機械に伝わって、後ろの大きな羽根(オガー)を動かす。これが雪を飲み込んで遠くへ放るのだ が、問題は作業を後進でやらなくてはならないことだ。作業中ずっと後ろを向いているので、首がとても疲れるのである。
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ランちゃんとうとう6ヶ月
これまた今更だが、子犬の成長は本当に目まぐるしいもので、週単位でサイズがぐんぐん大きくなっていく。ランちゃんの体重は2ヶ月5キロで来て以来、月ごとに3キロずつ増加して、8キロ、11キロ、14キロ、 そして6ヶ月を迎えて17キロ近くになった。
体全体はまだ子供の直毛コートでふかふかしているが、バリカンで顔を剃ったらとたんにプードルの表情になった。やることは子供だが、姿はいよいよスタンダード・プードルになっている。ギンと並ぶと足の短さが目立つがいずれ体高も伸びてくるだろう。あまり吠えないので事務室に置いてもまずまず大丈夫、いずれギンとふたりで事務室勤務、接客係になるだろう。犬が嫌いな来客には大迷惑。
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コウモリ君は冬眠中
アリス・ファーム本部周辺の建物にはあちこちに写真のようなコウモリの巣箱が設置されている。もうずっと以前のことだが、窓の木製ブラインドの裏にコウモリが住みついていることを発見し、しかし建物にはツタが茂るようになって、ブラインドへの出入りが難しくなってきた。そこでコウモリ用の巣箱を作って設置したのだが、なかなか利用してもらえないでいる。2枚の板のすき間とか、板の古び具合とか、サイズとかなにかコウモリの気に入らない要素があるのかも知れず、あれこれ仕様を変えて設置してある。わが家のコウモリは「ヒナコウモリ」という種類で、夏にはここで出産、子育てをするが、雪が降る頃になるととこか山中へ行って冬眠、越冬するようだ。
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ギンちゃんモデルになる
ある婦人誌の子供服特集でわが家で撮影があったのだが、掲載紙が送られてきた。ずっと前の話だけどギンちゃんが立派にモデルをやっているので、あえ てここで紹介させてもらう。版権のようなものがあるのかも知れないが、ネタ不足の折なので勘弁してもらおう。
スキャンが悪いのであまりきれいな写真になっていないが、グラビアでは光がとても美しく、さすがに高名な写真家の撮影なのである。もともとギンはこの撮 影をぼくと一緒に見物していただけなのだが、急遽かり出されてモデルになった。担当編集者によると、ギンちゃんの「所属事務所はどこですか」という問い合わせが他誌からあったそうだ。東京にいたらギンちゃんもスターになったかも知れないが、本人はカントリーガールの方がハッピーだろう。
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●2014年10月
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前々から申し上げているとおり北海道の季節は気前がよくて、9月1日をもってきっぱりと秋になり、11月1日をもって断固として冬になる。
今年もその通りに季節が変化して、あっという間にもう1 0月も末、冬がすぐそこまでやってきている。外の片付けやブルーベリーの冬囲いに忙しい毎日です。
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菜園の整備が終わる
本部敷地の南端にある菜園スペースには、かれこれ30年の歴史がある。丘を切り取った敷地なので赤土がむき出しだったが、そこを無理矢理畑にして、以来長い間土壌改良にこれ努めてきた。堆肥を入れては耕し、植物を植え、翌春になるとまた堆肥を入れて耕し、というくり返しである。そしてようやく近頃まずまずの菜園になってきたところ。300坪ほどの敷地を単純に幾何学的に分割したのだが、ずっと昔に防腐角材を埋めて仕切にした。その木材がとうとうダメになったので、思い切ってレンガを使うことにした。時間がかかったが、今年になってやっと完成、歩道部分に石の粉を敷いて仕上がりにした。写真はピカピカの歩道に足跡をつけるギンちゃん。
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シェッド(物置小屋)を塗り直す
菜園の一角にあるのが「シェッド」と呼んでいる物置小屋で、これはずっと昔、長野の「スウェーデンログハウス社」残間さんのお世話で建てた建物だ。たしか『BISES』の八木編集長の仲介だったはず。かわいい小屋だが20年を過ぎるとやはり老朽化して、補修工事をこの夏に終わらせたところだ。気分を変えて外壁の仕上げを赤にすることにしたが、塗料はいつもの「オリンピック・ステイン」を使う。スウェーデンの有名な天然塗料「ファ ールンレッド」をアメリカの塗料で代用している。ところが輸入業者がこの色の名前をずっと「ナバジョレッド」と明記している。恥ずかしい誤りなので20年来塗料屋経由で修正を要望してきたのだが、今回その会社にコンタクトしてみたら修正を快諾してくれて、ようやく「ナバホレッド」と正しく呼べるようになった。よかった。
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藤門政子98歳
余市の老人ホームで暮らす母、藤門政子が10月に98歳の誕生日を迎えた。札幌の仁木一家がお祝いに訪ねてくれたのだが、プレゼントと花を手にした仁菜は、教わったとおりに「おばあちゃんおめでとう」としっかり言い、おばあちゃんは感激する。「おばあちゃんじゃなくて、大おばあちゃんね」、というと次からはしっかりそのように言う仁菜は本当にかしこい子供だ。天才かも知れない。なんて身びいきだけど、その仁菜も11月で3歳になる。
ちなみに大おばあちゃんの誕生日10月11日は、わが家のギンちゃんの誕生日でもあって、彼女は今年で6歳になる。いや月日はどんどんと過ぎていく。大おばあちゃんも「もうすぐ100歳ねえ」となんだか人ごとのように言っていた。
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ランちゃんは4ヶ月
8月に大阪からやってきたランちゃんは10月17日に4ヶ月の誕生日を迎えた。来た時の体重は約5キロ弱だったが、いまではもう11キロを越えている。元気いっぱいではね回り、毎日どんどん大きくなっていく。対するギンは、なにしろもともと内気で繊細な性格だから、ランの天真爛漫さにタジタジで、むしろこのにぎやかなチビを避けようとすることが多い。気分によっては一緒に遊ぶが、あまりうるさいと「ウッ!」と威嚇の声をあげることもある。そのあたりの呼吸をしっかり分かるのはやはり血筋のせいだろうか、ランはきわめて聞き分けのいい子犬だ。ギンに拒否されるとぼくのところに来て、彼女流の「格闘」に誘うのである。本人は加減しているつもりなのだろうが、ぼくの手はキズだらけになっている。
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秋の虫、二態
左右の写真、どちらも分かりにくいと思うが虫の群れを写したものだ。左の写真に白い点のように写るのは空中を飛ぶ「雪虫」、右はガレージの窓ガラスに群れる「カメムシ」だ。嬉しい虫と困った虫、秋の風物詩の2種の昆虫だ。
雪虫は晩秋になると飛ぶ白い綿毛のある虫だが、正式にはトドノネオオワタムシという。名前のとおりトドマツを住まいとするが、秋にヤチダモの木に集まって交尾、産卵し、春にまたトドマツに移動するらしい。体長2mmのアブラムシの仲間で、今年は特に多かった。
カメムシは越冬のために室内に侵入する困った虫で、匂いはともかく排泄物が家や家具を汚す。スコットカメムシという種類が数万単位で襲撃してくる10月の晴天の日。敵は白い壁を好むようだ。
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オオムラサキの食草はエゾエノキ
オオムラサキという大型で美しい蝶がいて、昆虫学会によって日本の「国蝶」に指定されているのだが、北海道にもこれが生息している。昔は全道にいたが、現在の生息箇所は限られている。そのひとつに隣の仁木町があって、今年何回か探しにいったが、残念ながら見ることはできなかった。札幌にエゾエノキを植えて幼虫から育てている人がいると聞いたので、訪ねてお話しを伺った。札幌市南区のSさんは造園業を営まれているが、自社の土場にエゾエノキをたくさん植えて、オオムラサキを育てている。ご自宅で話を聞いた後で土場に行き、すでに越冬体制に入っている幼虫を探した。エノキの落ち葉を探すと、すぐに写真の幼虫が見つかった。おもしろい形をしているので容易に識別できる幼虫だ。さて、わが家でもエゾエノキを植えるかどうか思案中。
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●2014年9月
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いよいよ9月、秋が始まった。朝晩は空気がキリリと締まって外を歩くと気持ちがいい。時々寒いと感ずることもあるけれど、夏の熱気にふやけた身体にはいい刺激だ。
最近のトピックスはなんと言っても「ラン」ちゃんの到着だ。白のチビにギンもぼくも毎日振りまわされている。いやかわいいのなんの・・・・・。
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ランを迎えに関西空港を往復した
スタンダード・プードルのブリーダー國友さんは大阪の八尾市に住んでいて、6月の関西旅行の折にお訪ねした。その頃生まれたのが白のランちゃんだ。6月17日生まれ、大きな女の子だ。まだ目のあかない生後1週間のランちゃんに会って、よしこの子をもらおう、と決めたのだった。それからおよそ2ヶ月、ようやく移動が可能になった。最近は犬だけを飛行機輸送することができないそうなので、やむをえずぼくが大阪往復をすることにした。写真は8月20日の関空で、國友夫人からランを受け取った時のもの。ランはそろそろ5キロという体重で、環境の変化をものともせずに堂々とした大物ぶりだ。飛行機で札幌、車でわが家までの距離を平然と過ごした。ずっとふるえていたギンとはかなり違う。
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ギンちゃんは迷惑そうなのだが
ランは到着してすぐにギンに対面、まったくものおじせずに飛びついていく。驚いたのはギンで、なんなのこの白チビは?といいながらあわてて避難する。その後をどこまでも追いかけるラン。というような追尾関係がずっと続いて、しかし最近ではギンも少しずつ気を許すようになってきた。つきまとわれてうるさくてイヤだけど、やむを得ず同居人として認めることにしたらしい。時々は積極的に遊んであげるようにもなって、次第に関係緩和。こういう一連の手続きは毎回同じだ。ということはやがてふたりは姉妹のようになるわけで、まずは安心して見ていられる。ギンは目下ランちゃんの教育係で、新装なった隣り合わせの寝室で暮らしている。
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念願のオオルリオサムシと対面
北海道を代表する昆虫として有名なのがこのオオルリオサムシだ。北海道の固有種で、時に「歩く宝石」と呼ばれる美しい虫だ。ということを本や図鑑では知っていたのだが、まさかそれが領土内に生息しているとは思わなかった。宮川@小学館が来るというので、それに先がけてトラップをしかけてみたら、まさかの成果である。スコップ片手にあちこちの山道を歩き、使い捨てのプラスチックカップを地面に埋める。そこに「寿司の粉」なるパウダーを入れると、これにつられて虫が入るのだ。ピットトラップというシカケで、カルピスを使う人もいるらしい。ゴミムシ類が多いが、オサムシ類も入り、そしてとうとうこのオオルリが入った。飛ばない虫なので地域差が大きくて、色にもかなりの変化がある。わが赤井川村産は写真のような金緑色のようだ。この夏最高の収穫で、大事なコレクションになった。ああ嬉しい。
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墓地の完成と犬の墓
敷地の一角、菜園の奥に「墓地」を作り始めたのは一昨年のことだ。レンガで囲いを作り、木を植え、芝生をまいてようやく形になってきた。そこで次にワンちゃんたちの墓石を設置することにした。余市の墓石屋さんに頼んで4台の墓石を作ってもらった。現在の本部に移って以降の犬、パラ、モーリー、ボン、アンの4頭のモニュメントだ。そのうち最後の2頭は火葬をしたのでお骨もある。なので、ただ石を置くだけではなくて下に専用の容器を埋設して骨壺を安置した。本格的な墓である。墓地を作るには正式には許認可が必要だが、家族の祈念碑ということでOKにしよう。とりあえず家族全員の場所が確保されている。
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子供モデルはやっぱりかわいかった
とあるファッション誌が子供服の撮影をしたいということで、自宅とホテルを撮影場所に提供した。たまにこういう撮影が来るのだが、子供モデルというのは初めてで、ちょっと興味があった。以前に来た10歳の少女モデルというのが鼻持ちならないガキだったのでどうかなと思っていたら、今回の5歳ふたりはなかなかかわいい子たちだった。見かけがかわいいのはモデルだから当然だけど、ふたりともすごく性格がいい。もしかすると競争時代にあって、性格もまた選ばれる要素のひとつなのかな、と思ったりした。もうひとり札幌から現地参加した3歳は困った子だった。同じ日に宇土巻子は別な雑誌の料理撮影をやっていて、なんだかにぎやかな日曜日になった。
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ブドウの収穫
ホームセンターで買ったブドウの苗木を温室に植えてみた。温室は冬期間すごく冷えるので、果してブドウが越冬できるのかどうか半信半疑だったが、案外大丈夫なものですくすく育った。今年で3年目になるのだが、とうとう花が咲き実ができた。夏の暑い温室に日陰ができればいいかな、ぐらいの構えだったのでなんだかすごく得した気がする。ちょっとつまんでみると、おうこれはたしかにブドウの味ではないか。根元のラベルを見ると「ナイアガラ」と品種が書いてある。ブドウの実が育っていくのを初めて見たが、最初は小粒の実が離ればなれについて、それが肥大しながらやがてぎっしりとつまった房になるのだった。途中で心配してしまったけど、まずはめでたく立派なブドウで、全部で5キロの収穫になった。
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●2014年7月
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今年の北海道は暑い。暑いだけでなく雨が極端に少なく、その上毛虫が大発生、植物には辛い夏になっている。毛虫の主力はカシワマイマイで、いつもいるマイマイガの幼虫とは別種。植えたばかりの
大切な庭木も大被害だ。
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キアゲハ観察をもう一度
菜園のフェンネルにキアゲハの幼虫がいた。ちょうどその頃、村役場に小学校の教科書が展示してあって、理科教科書に「チョウの幼虫を育てよう」という項目を見つけた。いくつかヒントになるようなこともあったので、水槽を用意して飼育を始めた。キアゲハの食草はニンジンなどのセリ科の植物で、特にフェンネルが好きみたい。すでに終齢幼虫だったので、飼育を始めてすぐにサナギになった。これを蛹化と呼ぶが、幼虫からサナギへの変化がひとつのポイント。左の写真はサナギの直前で「前蛹」の段階。糸のようなもので体を固定している。この糸を固定したまま幼虫の衣を脱ぐのだが、この時糸を巧みにくぐる。という瞬間を今回も見のがしてしまった。右は前回の羽化の様子。
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京都の宇納工房を訪ねる
アリス・ファームの家具工房では長い間シェーカー教団の家具の復元をしてきたが、新しい本部を作って移転する時に仕事としての工房運営は休止することにした。しかし、長年続けた仕事のノウハウや機械、道具類もたくさんあるので、これをアリス・ファームOBですでに工房を開いていた宇納正幸くんに譲ることになった。家具工房OBはたくさんいるのだが、ずっと木工を続けているのは少数で、その中でも一番しっかりやっているのが彼なのである。そういういきさつで時々連絡はしていたが、直接工房を訪ねるのは最初のことだ。京都の北、京北町に素敵な工房とショールームがあって、若い人がふたり一緒に仕事をしていた(教室の生徒) 。宇納くんの奥さんの中野さんもアリスOGで、成人した娘さんがふたりいるとのこと。
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ギンちゃんの実家、 「フランソワ王国」訪問
わが家の愛犬ギンの実家は大阪の八尾市にある「フランソワ王国」であり、このケンネルを運営している國友さんご一家だ。関西方面の旅で、久しぶりに國友さんを訪問した。ブリーダーだから当然なのだが、ここにはスタンダードプードルがものすごくいっぱいいて、猛烈ににぎやかである。それぞれ名前を聞くものの一向に記憶ができないが、いずれもギンちゃんの親戚筋にあたることは間違いない。國友さんには「次の犬」について相談するつもりだったのだが、こちらの希望ぴったり子犬がちょうど誕生していていて、話は俄然リアルになってきた。写真左が國友夫人、奥はダンスの先生、前のどちらかがギンのお母さんのはずだ。
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岡田さんご苦労さまでしたBBQ会
北海道新聞の専務岡田実さんが会社を退職することになった。岡田さんとはもう3 0年来の友人で、アリス・ファームの今日があるのは彼のおかげ、という恩人のような存在なのである。退職と聞いたのですぐに皆さんに連絡して「ご苦労さまでしたBBQ会」を企画したのだった。嶋田忠さんが来れなかったのは残念だが、ちょうど北海道を旅行中の野田知佑さんが加わって、みんなで楽しい昼を過ごしたのであった。ラム、シカ、ブタ、ウシ、トリの5種の肉を思い切り食べる「コレステロールデイ」で、満腹の面々。右から野田さんの犬、小川巌、岡田実、宇土巻子、小川夫人、岡田夫人。野田さんと手前に座ったらなんだか大きく写ってしまって申し訳ない。
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「白髪五人男」奄美大島集合! なのであった
昨秋に宮川勉@小学館と四国の野田御大を訪問した折に、なにかのはずみに奄美大島はいいぞお!という話になった。それなら次の五人組集合は奄美にしましょう、ということで、7月中旬に奄美の離島、加計呂間島に全員集合したのであった。残念ながらモンベルの辰野さんが不参加だったが、ゲストが何人か加わってにぎやかで楽しい数日を過ごしたのであった。
写真後列右から林家彦いち(落語家) 、宮川勉(小学館) 、佐藤秀明(写真家) 、野田知佑(作家) 、藤門、佐藤俊( アーティスト) 、前列右から夢枕獏(作家) 、浜田太(写真家) 、遠藤昇(編集者)、本松みどり(野田助手)。
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加計呂間島の昆虫採集
奄美のベテラン宮川によると、山が深く未開の部分が多いので奄美大島の生物層は相当に深くて魅力的なのだそうだ。行ってみるとたしかに蝶がわんわんと飛んでいて、まずは個体数の多さにびっくりした。最近は写真に転向したので網は持参せず、ひたすらカメラで蝶たちを追いかけた。宮川君は甲虫に興味があるので、一緒にバナナのトラップを作って、あちこちにしかけて回る。翌日に回るといくつかの甲虫が来てはいたが、あまり収穫はなかった。数日置いてからの方が効果がでるのだそうだ。宿のまわりの林には野鳥が多くて、リュウキュウアカショウビンがたくさんいた。メジロが小さいなあ、と眺めていたら、昆群を作るシジュウガラがそのメジロサイズなのでびっくりした。島はおもしろい。
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獏さんグループは 今日も釣りなのであった
夢枕獏さんと林家彦いちさん、それに「フィッシング・カフェ」の遠藤昇さんは一年中釣りばかりしている。会う時がいつも釣りの時なのだというエクスキューズだが、3人とも釣りだけで人生を送っているに違いない。うらやましいけど、一体いつ小説を書き高座をつとめてるんだろう。不思議だ。
という3人組に便乗して加計呂間島でも釣り三昧だった。写真はリーフの先端で潮の変わり目を狙って大物を釣る、という高度な釣りをやった時のもの。獏さん大当たり、彦いちさんまあまあ、ぼくゼロという成果が表情に表れている。悔しいけどその順番がそのまま技術の差であるらしい。しかしいずれまた逆襲の機会もあるはずだ。モンゴルの大イトウのように。
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●2014年6月
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いつまでも雪が残っていて中々春にならない、と嘆いていたらいきなり春めいて、かと思うとこれはもう夏ではないかというような暑さも襲ってきて、いやはや季節は目まぐるしい。
6月に入ってまずは一段落、たおやかな新緑に囲まれた心やすらぐ毎日を送っております。
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有巣くんと魚釣り
内科医として多忙な毎日を送る有巣君、週末も別な病院で当直などして働きづめらしい。たまには遊んだほうがいいよ、と声をかけて一緒に魚釣りをすることにした。ホテル・ドローム付属の「ドローム・フィッシング・エリア」という釣り堀があって、ここにはニジマスの大群が待っている。以前に手ほどきしたフライフィッシングの練習を兼ねてふたりでマス釣りをやった。フライ釣りは道具だてを含めてあれこれやっかいで、一時のブームは下火になったらしい。練習方々ロッドを振るとそれでもマスの諸君が相手をしてくれて、ひとまず楽しい春の日を過ごしたのであった。ギンちゃんも一緒で嬉しそうだった。
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泊原発廃炉訴訟
泊原発の再稼働を許すな!泊原発を廃炉にしろ!という主旨の訴訟があって、ぼくもその原告のひとりに加わっている。この訴訟の第9回の口頭弁論があって、意見陳述のために札幌地方裁判所に行ってきた。裁判所は大通公園のすぐ向かいにあり、この写真は大通りを出発するときのものだ。
原発から25kmの赤井川村に暮らす立場から意見を述べたのだが、北電側の弁護士が「ただの意見に過ぎない」などと不届きなことを言うので怒った。全国の原発すべてが廃炉になる日を願って、運動を続けたい。
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アゲハチョウの春
今年の春はアゲハチョウがすごく多い。最初は気のせいかと思っていたのだが、やはりそんなことはなくて、家の周りのタンポポにはほとんどいつも蝶が舞っている。「日本で最も美しい蝶」と言われているミヤマカラスアゲハは春からその優美な姿で飛び、オナガアゲハという真っ黒な蝶も多い。そしておなじみのキアゲハやナミアゲハ。いずれも冬をサナギで過ごして羽化した「春型」の個体だ。蝶の春型は一般に小型で、これらの子供になる次世代の「夏型」はぐっとサイズが大きくなる。
成蝶で冬を過ごすタテハチョウの類は春早くから飛ぶが、その次の世代も家の周囲にやってくる。越冬個体と違って、春生まれはとてもきれいなのである。
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誕生日には木を植えよう!
5月末の誕生日、去年もその前もこのあたりに木を植えた。意図して日を選ぶわけではないのだが、植樹のタイミングがちょうどこのあたりにやってくる。建設中の「墓地」の中央に、今年はメイゲツカエデを植えた。メイゲツカエデはハウチワカエデの別名で、秋になると深紅のとてもきれいな紅葉を見せる。イタヤカエデなどと違ってあまり背丈は高くならず、園芸用には株立ちが多い。札幌の「植木村」の造園屋さんから譲り受けたこのメイゲツカエデ、根巻きが大きかったので猛烈に重かった。
来年はブナとウメを植えるべく、別の園芸屋さんに予約をしてある。楽しみだ。
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親戚が集合だ!
このところ入退院の多かった母親を見舞いに、東京から妹やその息子夫妻などがやってきた。母も今年で98歳になるが、ひとまず元気で大いに結構なことである。
いとこどおしの子供は多分「またいとこ」とか呼ぶのだと思うが、ちょうど年齢が一緒でおもしろかった。2歳半の子供にもそれぞれ個性があって、なるほどこの頃からすでに別の発展をするのか、といまさらだけど感じ入った。自分の息子が2歳だった頃のことなんかもうすっかり忘れているのだが、孫というのは昔の子育てやその時代のことを思い出させる役を果たす。
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OBが集合だ!
春のある日、大工の木沢君がやってきた。最初に会った時には18歳だった彼ももう60歳になるという。あれこれ話すうちに久しぶりにみんなで集まろうか、という話になった。彼から昔のアリス・ファーム関係者に声をかけたのだが、あれこれ事情もあって集まったのは4名だった。前列左から小松左官さんもうすぐ70歳ギャンブラー、小樽市議で「サカナクション」父の山口保さん、10歳の子供がいる還暦木沢大工、ひとり飛んで足寄の九大演習林いまだ新妻不在の新妻さん、の面々である。雨模様なので会場を温室に移動、場違いなバラの花に囲まれる面々であった。
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●2014年4月
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1月号からずっとさぼってしまった。「全然更新しないけど、どうしたの?」と親切にも尋ねてくれる人がいて、誠にありがたいことだけど、別段冬眠していたわけではありません。冬眠はしなかったけど、なんだかぼんやり雪を眺めて毎日を過ごしたような気もするから、結局あまり生産的な冬だったわけではない。
がしかし、4月1日となれば待望の春である。本年度の最初の行事として、バリ島へ昆虫採集の旅をしてきた。以下はその記録写真。
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蝶を求めてバリ島を行く
南の島だからきっと蝶がわんわん飛んでいるに違いない、そう当てずっぽうに思ったが、実はそうでもなくていささか失望した。狭い島に人がぎっしりでどこもかしこも耕しているし、農薬もかなり使われているらしい。きっと蝶には生きにくい環境になったのだろう。
人でぎっしりの島は道路もバイクや車で無秩序に混んでいて、アジアはどこも同じようなものだが、バリは道が狭い分だけ混乱の度合いがすごい。なにを急ぐのかしらないが猛スピードで走るバイクと車の群れにマニュアル車で参戦したのだが、大いに疲れた。そこで隔日ごとにドライバーを雇うことにしたのだが、この写真は運転手Mの撮影。
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バリの蝶
左上:オビモンフタオチョウ
右上:ハイイロタテハモドキ
左下:オビモンアゲハ
右下:ネプティスミスジチョウ
という具合に種の特定を試みたのだが、これはもちろん「多分そうだろう」ぐらいのことだ。蝶は類似の種や亜種がすごく多いから、なかなかきちんとした同定ができない。
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バリの蝶 その2
左上:ハイイロタテハモドキ
右上:アオネアゲハ
左下:ナガサキアゲハ
右下:キシタアゲハ
バリの蝶旅で一番楽しみにしていたのが右上のアオネアゲハなのだが、何回か見かけたものの飛ぶのが早くて、ちゃんとした写真が撮れなかった。
もうひとつ、カザリシロチョウの固有種が何種類かいると聞いていたのだが、これらはひとつも見なかった。きっと季節が悪かったのだろう。
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バリの人々
左上:村の道を走っていたら、「おじさーん、この先は行き止まりだよー」と声をかけてくれた少女達。ちょっと気取って記念撮影。
右上:結婚式をやっている家を撮影したら中に入れと誘ってくれた花嫁の親戚ギャルたち。なかなか可愛かった。
左下: モンキーフォレストの猿。しっぽを引っぱったらものすごい勢いで怒った。
右下:街角の少年達はぼくの持つiPhoneに異常な興味を示し、奪って逃げそうな気配だった。
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撮影機材のこと
カメラ歴はいたずらに長いのだが、大学時代からヒマラヤ、田舎暮らしの初期まではずっとニコンで、F 2からF 3 、F4まで使ってキャノンに転向した。ニコンは新型カメラにレンズが対応しなかったりして不親切に思えたからだ。キャノンも各種使ったが、銀塩カメラ最後はEos1で、『世界の川を旅する』の撮影では水没してカメラをダメにしたりした。デジタルになってからもキャノン派なのだが、昆虫旅行用に軽いカメラが欲しくなった。あれこれ調べてたどりついた結論がペンタックスで、アマチュア向けのK30 とK 50の2台を使い始めたところだ。値段も重量もキャノンの半分だが、大変よく作られている。上の蝶写真はこのカメラを使って撮影した。 |
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ナキイスカ!
冬の間ずっと玄関先でカラ君たちにヒマワリの種をあげてきた。恒例のことなので、鳥たちもなんだか当たり前のようにして集まってくる。今年はエゾリスが常連になって、毎朝玄関ドアのすぐ前に陣取っている。
さて、春が近づくと真冬にはいなかった鳥たちが少しずつ顔を出すようになってくる。嬉しかったのはイスカで、体の赤が雪景色に映えるきれいな鳥だ。このイスカの群れに混じって現れたのがナキイスカだ。専門家に尋ねると大変な珍鳥なのだそうで、おおいにラッキー。新聞記事になったので各地からたくさん問い合わせがあった。
写真中央がナキイスカ、左上がイスカ、右はメス。
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仁木君の新居
仁木の勤務が倶知安から札幌に変わった。長い研修医期間が終わっていよいよ一人前のお医者さん、札幌の病院に勤務することになった。住まいを札幌に移したのだが、新居は「スウェーデンハウス」で、とてもかわいい。もちろん借家だが、そのまま住み続けてもいいような上等な家だ。札幌のまん中なのに庭も広くて、クリの木がそびえていたりするから楽しい。おまけに向かいが公園で、旅行中にギンを預けるのに最適だ。
4月のある日、仁木の誕生日が近づいたのでお祝いをすることにした。仁木もとうとう30歳なのだ。よく喋る仁菜を中心にみんなでワイワイと、楽しい午後のひと時でありました。 |
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●2014年1月
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皆さん新年おめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたします。
さて、このダイアリーなのですが、一応は月刊ということにしておりまして、前月の報告を今月する、ということになります。かてて加えて毎月とも遅れ気味になり、時として次の月に合併、などということもあります。というわけでいつもやや旧聞ということになりますが、当分はこのまま続けますのでどうかよろしくお願いいたします。
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ハワイヨット事情調査の旅へ
昨年1 2月、ハワイへ行ってかの地のヨット事情を見て回ってきた。ワイキキ市街のすぐ前に有名なアラワイ・ヨットハーバーがあって、ここがハワイのヨットの中心地になっている。たとえばどこからかやってきてここにヨットを係留する場合、あるいはここを本拠地にする場合、などについて色々聞いて回った。ハーバーオフィスの人は誠に親切で、詳しく説明してくれた。ざっと言って日本の半分の料金で船を係留できるし、料金を払えばヨットで暮らすこともできるそうだ。そう説明してくれたのはフジモリさんという日系の人だった。中古艇も安くて沢山あるし、心は大幅にハワイに傾いている。さあどうしよう。
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「日立の木」を見にいった
ガイドブックによればホノルル近郊に例の「日立の木」があるとのことで、他にあまり見るものもないのでここを訪問してみた。ハワイならのんびりしているだろうと思った交通事情はしかし全然そんなことはなくて、高速道路はロスと同じようなものだった。ずっと前には高速道路なんかなくて、地上をゆっくり走ったはずなのだが、いやハワイも結構すごいことになっている。という高速道路のすぐ脇にモアナルア・ガーデンがあって、ここに例の木が立っている。日立が立てた案内看板によればこれは「モンキーポッド」という木なのだそうだが、これはよくない。ハワイ語の名前で呼ぶべきだ、日立よ。
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ダイヤモンドヘッドにて
ヨット事情の調査に来たのだが、一週間もいると時間が余ってしまい、やむをえずあちこちドライブして回った。写真はおなじみのダイヤモンドヘッドの登り口あたり。木の杖を拾って、さあこれから頂上を目指すぞ!という気分だったのだが、なんだかむやみと暑くて、結局あたりをぐるっと歩いておしまいにしてしまった。しかしこの後で回った東海岸の風景はなかなかよかった。オアフ島だけだったが、それでもワイキキを出ると太平洋の火山島らしい風景が嬉しい。話は飛ぶが、ハワイについて書かれた本はくだらないのが多い。その中で抜群に読めるのが池澤夏樹の『ハワイイ紀行』、名著だ。
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白内障手術と白衣の天使
クリスマス頃しか部屋が空いてないということだったので、この期間に白内障の手術を受けることにした。有巣が勤務する札幌の渓仁会病院の眼科だ。5年ほど前に右目をやったので一応は経験済み、今度は左目の手術だ。病院によっては日帰りもあるぐらいの手術だが、ここでは2 泊の入院が必要だ。写真は手術の当日、部屋で本を読んでいたらいきなり乱入してきた「クリスマス慰問団」だ。ぼくの隣が執刀医、あとは看護婦さん。変な写真でおかしいが、この看護婦さんたちが本当に優しくて、ぼくとしてはちょっと本気で「白衣の天使」と呼びたくなったのであった。
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誕生日プレゼント
持つべきものはいい息子だなあ。母親宇土巻子の誕生日は1月2日なのだが、それに先だって年末の集合日に息子たちから誕生日プレゼントがあった。珍しく宇土巻子女史が自ら欲しがった車があって、それを聞いた息子たちが秘かに用意して「サプラーイズ!」を実行、これがその時の記念撮影だ。
車はジャガーのXタイプ、最近製造を中止した型式だ。本人は緑のステーションワゴンと言っていたのだが、サイズ的にセダンを選んだらしい。ボディの曲線がきれいで、小型だけど古き良きジャガーの面影を残す車だ。お母さんはとてもハッピーなお正月を迎えるのでありました。 |
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●2013年11月
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1 0月に急に寒くなったと思ったら1 1月はそうでもなくて、割合緩やかな日が続いている。一度雪がドンと積もったが、それも解けて、今のところ平穏な1 1月下旬である。ブルーベリーも庭木も全部しばったし、タイヤ交換も終わって、あとは雪を待つばかりだ。
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タイから美人がやってきた
日本のテレビ番組「遠くへいきたい」に続いて、タイからも同じような旅番組の取材がやってきた。タイ航空のフライトが札幌に来たからか、いまタイでは北海道ブームなのだそうだ。小樽方面を取材中とのことで、ついでにアリス・ファームにもやってきた。どういう番組か分からないが、美人の来訪はともかく大歓迎、一緒に記念撮影をした。右が番組レポーターだそうで、大柄な西欧風美人であった。タイ純血とのことだが、ちょっと分からない。一緒に村のソバ屋に行ったら、すごい量のトウガラシをかけるのでびっくりした。美女なのにやることがすごい。
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恒例の野田さん訪問
毎年秋になると徳島の野田知佑御大を訪問することになっている。同行は小学館の宮川選手で、彼はかってBe-Palなる雑誌で我々両名の担当をやっていた編集者だ。今は小学館らしく幼稚園とか保母さんとかの雑誌を作っていて、相変わらず多忙な毎日らしい。
秋の徳島行きは一応野田さんのお兄さんの蝶コレクションの手入れ、ということになっている。見事なコレクションが虫に喰われないように防腐剤を毎年入れ替える。近くの港の堤防五目釣りや四国式うどんなどが恒例のオプションでひとまず南の秋を楽しむのであった。
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冬囲いの季節だ
雪が降る前に樹木類の冬囲いをしなくてはならない。最大の仕事はブルーベリーの囲いで、なにしろ4000本もあるから大仕事だ。村の「高齢者事業団」にお願いして、一本づつ縄で巻き上げる。それが終わると庭木の類になるのだが、生け垣は写真にあるような木製の防具を使うことにしている。あれこれ試みたのだが、この方式が生け垣には一番いいみたいだ。
バラやその他の灌木などはブルーベリーと同じように縄で巻き上げるが、バラだけはムシロを使って特別扱いしている。
もっとも、ここでいう「縄」も「ムシロ」もどちらも現代ではビニール製になっていていささか味気ないのである。
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クリを拾ってみんなで食べた日曜日
とある秋の日曜日、有巣や仁木たちがやってきて、昼食会を開催することになった。食後の運動に外に出たが、ふと思いついてクリ拾いをすることにした。季節がやや遅いから全部地上に落ちているし、すると大半が虫にやられているだろう。しかしなにしろ数が膨大だから、中には無事なものがあるかも知れない。
家の近くにあるクリの大木3本は見事な枝ぶりなのだが、こちらにはあまり実が多くなかった。そこでブルーベリー園の丘にあるクリ林に行くと、こちらは今年も豊作らしい。いっぱい拾って家に帰り、イタリアで買った焼き栗フライパンで煎ってはハフハフと食したのであった。
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そしてブルーベリー園に雪が降る
冬囲いと積雪がうまくいく年とそうでない年がある。今年はタイミングがよくて、冬囲いが終わったちょうどの頃に初積雪になった。この雪はすぐに解けてしまったが、まずは冬支度が間にあってほっとした。
年によっては積雪が早いことがあって、もう10年も前のことだが、1 0月上旬にどかんと大雪になって、そのまま春まで地面が見えなかった。この時はブルーベリーの冬囲いも終わっておらず、畑もかたづけておらず、大いに苦労した。雪解けの頃に忘れていた道具類などが続々出現してがっかりしたものだ。 |
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●2013年10月
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むやみと暑い夏から一転して、ぐっと冷え込む秋になってきた。9月も末になると早朝の気温は零度近くて、外に出るとドキリとする。もうすぐ紅葉の季節、そしてその向こうに冬が待っている。
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船底を塗る
船が海に接している部分、つまり船底にはいつのまにか藻や貝の類がぎっしりと付着してしまう。すると船底にある給排水口が詰まったり、計器類や船の速度にも影響がある。そこで、一年に一回は船を陸上に上げて船底を洗い、塗料を塗ることになっている。
業者に頼むこともできるのだが、今年から自分でやることにして、またしても木田先生の指導を仰ぐことになった。写真はジェットクリーナーの洗浄が終わって船底塗料を塗っているところ。主要部分はローラーを使い、細部は刷毛塗りをする。もちろん塗料は専用のものを使うことになっている。
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北海道一周航海に挑戦
船底がきれいに仕上がった船に乗って北海道一周の航海に出た。ノンストップ2週間の強行軍で挑むのは、いずれやりたい長期航海のトレーニングのつもりである。「機帆走」といって、ヨットの帆はもちろん使うのだが、主たる推力をエンジンに頼る方式の航海だ。いわばすごく遅いモーターボートのようなもので、昼夜ゴンゴンというモーター音に揺られる。ノンストップと言ったが燃料の補給だけは必要なので、途中3カ所で港に入った。ついでに2カ所で銭湯に寄ったが、これは内緒。しかしそれにしても木田氏はすごい。エンジンが故障してもビクリともしないし、セールを使ってしっかり船を接岸してしまうのである。
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海上保安庁をどう思う?
小樽のヨットマンと話していると海上保安庁について、親しみとまでは言わないにしてもある種尊重するような態度があって、ぼくなどはそれに結構違和感を覚える。自衛隊、警察、海保などの制服官僚への漠たる反発は、ぼくたち全共闘世代に独特なものなのかも知れない。いい歳していまだに「反体制」なのですね。ところが今回のクルーズでその海保と二回にわたって接触することになった。一度は「臨検」だから愉快ではないが係員は実に丁寧だった。もう一度はロシア国境に近い知床付近で、ご親切なことに安全航路を先導してくれるのであった(写真)。
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スズメバチのバトル
船旅から家に帰ると勝手口のあたりがなにやらにぎやかである。一瞬なんだか分からなかったが、よく見ればスズメバチの乱舞ではないか。しかしそれにしても様子がおかしい。飛び交う蜂を見ていると、どうも大小2種類が混ざっているような気がする。しばらくして気づいたのだが、これは軒先の屋根裏にあったキイロスズメバチの巣をオオスズメバチが襲っているところなのだ。2種のスズメバチの空中戦は貴重な生態だが、通路なのでいささか危ない。そこで役場に頼んで小樽の専門家に来てもらった。
昔ミツバチを飼っていた頃、よくオオスズメの襲撃があったが、久しぶりにその勇姿に出会った。
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原日出子さん来訪
ずっとずっと昔、あるテレビの取材でやってきた女優の原日出子さんがまた別な番組取材で来訪、旧交を温めることになった。「遠くへいきたい」という長寿番組だそうで、日出子さんはずっと昔のことをとてもよく覚えていてくれた。持参してくれた写真にはうんと小さな有巣が映っていて懐かしかった。その頃、仁木はいまの仁菜ぐらいだったはずだ。鮭をさばいてイクラ丼を作り夕食会を開催した。番組は10月20日に放映されるらしいので見て下さい。日出子さんとは共通の友人が多いので次は東京で夕食会の予定。 |
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有巣と仁菜の不思議な関係
どうしてそんなに有巣がイヤなのか、本当に不思議でおもしろい。有巣は内科の外来をやっていて、まことに温厚かつ丁寧に人と接している。患者にはもちろん子供もいるわけで、本人は子供には親しみを持たれるはずだと言っている。ところが仁菜は有巣が嫌いなのである。苦手と言った方がいいのかも知れないが、ともかく有巣が登場するととたんに硬直してしまい、うなだれてしまうのである。いつまでもそれじゃまずい、ということで最近はつとめて両者の接触を増やしているのだが、ようやくひざに乗せても泣かなくなってきた。不安げな仁菜を心配して仲良しのギンちゃんが見に来たところ。
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●2013年7月
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春がいつまでも寒いと思っていたら、むやみと暑い7月が来て、しかし後半になるとまずまず北海道らしい夏になってきた。結局いつもと同じにおさまるのが季節というものなのだろう。
7月になるとお客さんが多くなってくるし、行事も増えるし、昆虫もにぎやかなので、毎日が楽しくも忙しい。夏の暑い時期こそ爽やかな海風を受けてヨットに乗る季節なのに、なかなか家から離れられないでいる。
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宮川くんと蝶々とり
今年も蝶々仲間の宮川くんがやってきた。ずっと昔、Be-Palなる雑誌で連載を担当してくれた編集者だが、時を経て今では一緒に蝶々遊びをする間柄になった。
毎年夏の早い時期に彼はやってくるのだが、近頃はどうもいまひとつ蝶とタイミングが合わない。今年は春の寒さが尋常ではなかったので、昆虫界もやや異常で、彼が来た7月最初は種類も数もかなり少なかった。せっかくなのになんだか申し訳ない気がしてがんばったのだが、あんまり収穫がなかった。そしていつもそうなのだが、彼が帰ると突然蝶が乱舞し始めるのだ。宮川、すまん。
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オオイチモンジが庭にくる
オオイチモンジはとても美しい蝶だ。内地では中部山岳方面でしか見られないそうで、だから愛好家はわざわざ北海道まで採りにくる。以前大雪山系に釣りに行った時にいっぱい見かけたので、あのあたりが中心地だと思っていた。ところが、昨年あたりからわが家の周辺で結構多くとんでいて、なぜか窓の網戸に止まったり、今年などは温室の中で休んでいたりする。最高級品なのでとても網で採るようなことはできず、静かに観察するだけだ。どういう事情で毎年訪問してくれるのか分からないが、ともかく大歓迎。
ゼフィルスは今年もたくさん発生していて、谷間の林を乱舞している。ミヤマカラスアゲハもいつものように美しい。
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久しぶりにバーベキュー
仁木一家に有巣、その友人という内々のメンバーで久しぶりにBBQ、楽しい昼食会だった。サトウカエデの樹が大きくなって、木陰もずいぶん広がった。この樹を植えたのはもう20年以上前で、その時はまさかこの木の下で、こんなメンバーで集まるなんて思いもしなかった。樹は場所に歴史を作ってくれる。だからやっぱりどんどん記念日をつくって記念樹を植えることにしよう。
ところで集まった大人6人のうち、3人が医者、というのもすごい。仁菜ちゃんも将来は医学部を目指すらしいから、周辺が医者だらけになってしまう。誰かファーマーを引き継いでくれないだろうか。
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仁菜ちゃんと芝刈り
仁菜がジョンディアの三輪車を買ったというので、一緒に芝刈りをすることにした。芝生に大小並べるととてもおかしいのだが、仁菜の機嫌がいまひとつよろしくない。その原因は端的に有巣にあって、彼女は有巣がどうしても嫌いなのだ。
せっかくみんなで楽しく遊んでいても有巣が来るととたんに表情がこわばってしまい、うつむいてしまう。この写真の仁菜の視線の先には有巣がいる。冬のソリ遊びの時に温室に激突したことを仁菜はいまだにネに持っているらしい。もっとも、「仁菜が有巣を嫌い」ということ自体が笑いの種で、やっぱり家族というものはぬくぬくといいものなのである。
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安全祈願祭に参加してきた
出光興産という会社があって、ここが赤井川村の山の上に地熱発電所を作る計画を進めている。ぼくは全面的に原発に反対する立場にいるから、およそ自然エネルギー的なもの一切に賛成だし、支持したいと思う。
その出光の試験的な掘削が始まることになり、村の幹部とセレモニーに参加してきた。左から議長、村長、神主だが、どうしてぼくが呼ばれたかというと、現場に至る道路がわが社の所有になっているからだ。
それにしても泊原発の再稼働を目指す北海道電力はとんでもない会社だ。原発再稼働のために自然エネルギーによる電力に買取制限をするのだから許せない。 |
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小川寿美子さん一家来訪
キャンプ場にお友達がいらしてます、と聞いて誰のことかと思ったら、沖縄の小川さんだった。彼女からことづかったという新聞記事を見てびっくりした。小川さんのご主人、ユージーンさんが昨年、亡くなったという。しばらく前にやはりキャンプ場でお会いしたのが縁だが、有巣が琉球大に在籍していた関係で、お宅におじゃましたこともある。ご夫妻とも沖縄の大学で教鞭をとり、たしかユージーンさんは医学部の教授だったはずだ。本当にびっくり。ご冥福をお祈りします。
小川寿美子さんがふたりのお子さんと訪ねてきた日に、ちょうど仁木と仁菜がきて、みんなで記念撮影。
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竹鶴さんと道新キャンプ
ニッカウヰスキーの創始者竹鶴政孝さんの孫、竹鶴孝太郎さんとはかなり前からの知り合いで、時々どこかでお会いする。彼がニューヨークに住んでいた時には、ちょうどシェーカーの取材に歩いていたので、かの地で色々お世話になった。その竹鶴さんが家族の夏休み旅行でこちらに来ることになった。期間がちょうど道新の親子キャンプの時期だったので、参加するようお誘いした。ところが、どうしたわけか今年は参加者が少なくて、ほとんどスタッフだけのキャンプになった。子供が2人だけで寂しかったが、それでもしっかり魚を釣り、クワガタを捕まえて遊んだのであった。 |
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●2013年5−6月
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5月になっても寒い日が続いてなかなか本格的な春が来なかったが、6月に入る頃からようやく春の風景が始まった。山が緑になり、鳥が歌い、花が咲く、いつもの春だ。きっちり5月3 1日まで裏のルバーブ畑に雪が残って、おそらくこれはわが家の記録になるだろう。鳥を眺め、花を愛で、木を植える、いつもの春を楽しんでいる。
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ジョンディアの諸君、出動ですよ!
春の最初にする仕事は、冬の間に使った機械を整備して格納し、かわりに夏期間使う機械類を出して点検する作業だ。畑を耕したり、牧草を刈ったり、芝生を管理したり、雪のない期間は仕事が多い。各種の機械を使うのだが、ひとまずジョンディア組に整列してもらった。左のキャブつきにはまだ除雪のブロアーを装着しているが、これは土を耕すローターリーに交換する。中央のビンテージには牧草地で使うフレールモアがついている。右端は出番が最も多い芝刈りのロータリー用マシンだ。「ジョン・ディア」というのは昔、アメリカで農機を売り歩いて成功した人物の名前。
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窓からウォッチングの鳥たち
毎朝7時頃、自分の朝食が終わってからギンにエサをあげるのだが、春先はその時間がとても楽しい。というのは、彼女の部屋は本部建物の南側のウィングにあって、周囲がぐるりと窓になっている。その窓から外を眺めるのと、春先は周囲に鳥がすごく多い。こちらにもあちらにも鳥がいて、時々ギンのエサを忘れてしまいそうになる。
写真は今年の5月、ウィングから撮影したキビタキとオオルリだ。どちらも裏庭のナナカマドに止まったところを窓ごしに撮った。この2種はいわば春のクィーンで、姿も声も大いに優雅だ。こういうのを室内から親しく眺められるあたりが田舎暮らしの醍醐味だ。それにしてもヒタキ科の鳥はかわいいなあ。
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職場訪問をしたらひどい目にあった
「肺炎球菌のワクチンがあるから、接種しておいた方がいいよ」有巣にそう言われて、それじゃ職場見物方々行ってみよう、ということになった。場所は札幌の渓仁会クリニック、指定された時間に行くと、宇土先生が診察室2で仕事をしていた。「いやいや・・・どもどもハハ」とお互い挨拶に困って、その時撮ったのがこの写真。あれこれ世間話などして、予定通りワクチンも打ってもらって帰ってきた。ところが、この訪問でノロとかロタとかいうようなウィルスに感染したらしくて、その日の深夜からひどい下痢、嘔吐が続き、初めて経験する深刻な症状になった。連休だったので病院も閉まっており、結局有巣に来てもらって余市の当番病院で手当を受けることになった。「みんな有巣のせいだ。ワクチンなんか受けるんじゃなかった」と、以後ずっと彼に文句を言っている。
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温室のバラが満開だ
5月末から6月の初めにかけて、温室のバラ15種がそれぞれに第一回目の開花をした。外はまだ寒々とした風景なのに、そこだけ南国のような色彩なのである。いや温室の威力はすごい。
●左上から 1/ アプリコットネクター 2/イエロー・クィーン・エリザベス 3/ムーン・スプライト 4/ニコロ・バガニーニ 5/アリスター・ステラ・グレイ
●2段目左から 6/ダイアモンド・ジュビリー 7/マダム・アントワーヌ・マリー 8/フレンチ・レース 9/ラ・フランス 10/ゴールド・バーニー
●3段目左から 11/アイス・バーグ 12/ジャスト・ジョイ 13/フラウ・カール・ドルシキ 14/ドゥブツア・ウバ 15/ドクター・エッケナー
6月中旬、バラはますます盛大になっている。
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誕生日には木を植えよう!
以前から5月1日は植樹の日、と呼んでいたのだが、実際にはそれではやや早くて、今年などはまだあたり一面雪景色だった。ぼくの誕生日は5月3 0日なのだが、ちょっと遅いがこれを植樹の日ということにしてもいいかもしれない。
今年は札幌郊外にある「植木村」を訪ねて、いくつか庭木を購入した。写真は「墓地」の用地で、後ろに見えるのはブナとツリバナの2種だ。この場所にはそれ以外に、ヤマボウシ、ハナミズキ、モクレン、クラブアップル、シャラなどを植えた。背丈の低い若い木では、サクラやモミジ、カツラなどをあちこちにたくさん植えた。写真右はスタッフの「カマちゃん」こと鎌田、ブルドーザーなみの馬力人間である。
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誕生日にはカレイを釣ろう!
6月9日は有巣の誕生日だ。恒例のバーベキューという線もあったのだが、今回は趣向を変えてヨットでお祝いの会を開催することにした。昼に全員集合、ということにして、午前は男3人でカレイ釣りをした。ヨットの釣りはクルージングしながらのトローリングしか経験がなくて、船をとめてやるエサ釣りがうまくいくのかどうか分からない。そもそも広い海のどこで竿を出したらいいのかも分からない。という初心者組でひとまず沖に出て、当てずっぽうにやってみるとこれが結構釣れるのである。防波堤から投げて釣るよりもずっと大きなサイズを10匹ほどゲットして大満足であった。有巣くん32歳、まずはめでたい春の一日であった。来年も誕生日にはカレイを釣ろう。 |
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●2013年3−4月
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3月、4月、それなりに毎日なにかやっていたはずなのに、過ぎてみるとなんだかみんな昔のことのようで早くもおぼろげな記憶になりつつある。困ったものだなあと自嘲気味に思うのだが、しかし年齢の影響かと思えばいささか恐ろしくもある。
それはともかく、北海道は大変寒い春を迎えている。それほど珍しいことではないのだが、4月に入ってからも雪が降るし、積もった雪は全然減っていかない。もうすぐ連休だというのに、わが家の周囲はいまだに冬のような風景だ。朝夕の散歩はいまだにダウンジャケットを着ているが、しかしともかく、いつか必ず緑の春がやってくるはずなので、まずはじっと我慢の毎日だ。
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ボートショー見物に横浜に行った
3月の初旬に横浜港のあたりでボートショーがあり、見物に行ってきた。ヨットそのものと関連する各種の機器類が沢山展示してあって、大変参考になった。小樽のマリーナの皆さんもブースを作っていたので、そこを訪問した時の記念撮影がこれだ。
ボートショーはともかく、横浜滞在がおもしろかった。なにしろそこはぼくの故郷であり、思い出の土地なのである。会場の港から丘を登れば外人墓地があり、その向かいには子供の頃通った聖公会の山手教会がある。礼拝の後、母親に手を引かれて坂を下り、中華街でお昼を食べるのが習慣だった。なつかしの丘から遠く富士山や丹沢の山並みを眺め、感傷にふけるのでありました。
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仁菜ちゃんのイス
秋に1歳を迎えた仁菜ちゃんはいよいよ歩行を始め、あれこれ言葉なども発するようになった。両親にかわいがられて彼女は大変幸せに見える。その仁菜のためにお父さん(仁木のこと)がイスをプレゼントすることになった。屋根裏の倉庫から以前に作ったシェーカーの子供用ロッキングチェアが2脚見つかったので、座面テープを張って完成させよう、という企画である。イスが小さいのでテープの幅も狭いものがいいのだが、手元にない。そこで京都の宇納君に連絡をしてわざわざテープを送ってもらった。写真はテープ張りをがんばっている父とそれを指導する祖父、完成したイスの座って満足の仁菜、という3世代。
宇納くん、どうもありがとう。
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カリフォルニアでヨット見物
ヨットの本場が世界のどこなのか分からないが、どうやら日本がかなりの辺境に位置していることだけはたしかなようだ。あちこち見回してみると、どうやら我々は極端な辺境的環境に囲まれているようで、たとえば輸入ヨットの価格は欧米の倍にも達する。色々と事情はあるのだろうがどうにもこの特殊な辺境的環境を受け入れるのは悔しい。国産の航海機器を買うのに、日本よりもアメリカの方が安くて、しかしそれを買って帰ると日本では使えないようにブロックしてある、なんていう困った国なのである。
それじゃいっそ片足をカリフォルニアにかけたらどうだろう、というようなことを考えて、太平洋の対岸を見て歩いたのであった。写真はロング・ビーチ。
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憧れのヨットと対面、感動
アメリカで作られているヨットにはかなりの種類があるようだが、外洋の長期クルーズ向けの船はそう多くはない。「プロダクション艇」と呼ばれる規格艇だとメーカーは3カ所ぐらいで、しかしそのうちの1社が操業停止をしており、もう1社の船は成金的に豪華でその分高額。という風に選択肢が狭まって、残るのはP社だけになる。
そのP社の船を見せてもらったのだが、誇張ではなくて本当に感動した。そのシルエットの優雅さ、優美さ、格調の高さ、あるいは風格、品格、どう呼んだらいいのか分からないが、素晴らしいヨットだった。艇体の仕上がりなど、ぼくが今持っている船とは雲泥の差なのである。いや、感激でした。(デイナ・ポイントにて)
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はっきり言えば英語力の問題なのだ
日本のヨット界が鎖国的商売をやっていられる理由は、端的に言うと日本人の英語力が劣っているからだ。消費者が英語を苦手としなくなったら、日本の業者はやっていけなくなるはずだ。
といいながら、実は今回ほど自分の英語力の貧弱さを痛感したことはなかった。写真に写るK氏はP社の代理店をやっているのだが、その彼から聞くあれこれの説明がおおよそ半分ぐらいしか理解できないのである。船そのものについての解説は分かりやすいが、アメリカでの船の売買や契約などの詳細について、彼の早口の英語についていくのが一苦労。それでもがんばるつもりなので、英語の学習が当面のテーマになった。
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メキシコで会った人々
写真の2 カ所に写っている人物はそう見えるかもしれないがメキシコ人ではなくて、小樽の木田修二氏である。彼が今回のカリフォルニア行の同行者で、氏は小樽のヨットスクールの講師であり、ぼくのヨットの先生なのである。その木田さんにヨットの専門的なアドバイスと車の運転をお願いして、ふたりで西海岸を走って回った。サンディエゴでI社のヨットを見た後、近くだからということでメキシコに入ってみることにした。アメリカ側に車を停めて徒歩で入国するつもりが、高速道路でそのままメキシコに入ってしまい、国境でひともめ。しかし無事アメリカに再入国できて、再び今度は徒歩で国境を越えた。写真は死にそうな様相の音楽家2名と寄付をつのるかわいい看護婦さん。
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北海道はまだ雪だった
蒼い空のカリフォルニアから北国北海道に戻ると、分かってはいてもその落差はやっぱり大きくて、時々ふと移住を考えてしまったりする。という気分を急いで封印して、日常に復帰するのだが、まずは冬体制の後始末だ。冬の間ずっと除雪作業に貢献してくれたトラクターの手入れが春の作業ルーティンのひとつ。エンジンオイルの交換のついでに、今年はミッションオイルも交換することにした。体が大きいので、20リットルのオイル缶を3缶も必要になり、それだけで5万円になるから恐ろしい。
オイルを交換したというだけなのだが、なんだかエンジン音がとても快調になった気がするから不思議だ。
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●2013年2月
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この「フォト日記」のページも昨秋からずっと更新せず、なんだか放置しているようで気がとがめていたのだが、実は昨12月の衆議院選挙を境にすっかり意欲活力を失ってしまい、深い雪の中で文字通り「冬眠」をしている状況だ。新聞もテレビニュースもあまり見たくないし、あのアベの顔が出てくるといそいでページをめくり、チャンネルを変える、という後ろ向きな毎日です。
原発ももとどおり、ダムももとどおり、その上憲法も変えて戦争ができる国にするのだという。国民によって選ばれた極右政権だが、日本は一体どうなってしまうのだろう。
というようなことを延々と述懐していた以前の「北海道通信」から、気楽な「フォト日記」に移行したはずなので、気をとりなおしてもとどおり身辺雑記風にやらせてもらいましょう。
毎回同じようで恐縮だけど、ご勘弁を。
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札幌四人組の新年会
毎度おなじみの四人組で新年早々に新年会をやった。右から北海道新聞常務の岡田実さん、動物写真家の嶋田忠さん、酪農学園大の小川巌さん、といういつものメンバーだ。
みんないい歳なのだが、ここで熱心に話されるのは、野鳥にあげる脂身は豚と牛とどちらがいいか、とか、アライグマの捕獲ワナに新種のものがある、とか、ウチのエサ台の鳥は手からエサをとるよすごいでしょ、とか、すこぶる牧歌的な内容なのである。
ぼくをのぞく皆さんは毎日社会的なお仕事で多忙なはずだが、この時だけはなんだか少年の会合のようになって、料理屋の仲居さんがやや怪訝そうにするのである。
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大雪だあ!
なにか気象上の理由とか背景があるのだろうが、今年はかなり雪の多い冬だ。降り始めも早かったし、年を越してからも勢いは一向におさまらない。2月下旬になった今も連日の降雪で、毎朝早くから除雪作業に追われている。工場や事務所に来るスタッフの皆さんの出勤時間の前に作業を終わらせる必要があるのだ。朝の5時に起きるとまだ外は真っ暗だし、ギンも寝ぼけてるし、新聞もまだだったりする。急いで朝食、ギンも朝食、それからトラクターのエンジンをかける。
写真は本部前の雪の廊下。現在はこの壁がさらに高くなっていて身長をはるかに越えている。
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Left Alone/レフト・アローンのギンちゃん
アメリカのジャズ歌手ビリー・ホリデーが死んだ後、長い間彼女の伴奏をしてきたマル・ウォルドロンが「Left Alone」という曲を発表した。ずっと昔の話だけど、そうかひとり残されるという情感はこのように言うのかと思いながら曲を聴いたものだ。
アンの死後ギンはすっかり元気を失って、見るのもかわいそうな状態だった。それでもなんとか立ち直りつつはあるのだが、以前とくらべると活発さを失ったように思える。つくづく思うのだが、犬はやはり複数で飼ってあげるべきだ。長期の旅行を計画中で次の犬が飼えないでいるのだが、ギンには申し訳ないと思っている。なので、彼女は日中のほとんどを事務所で過ごしている。
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「指令フタマルマルフタ、イラスト送れ!」
北海道物産展のために出張中の宇土巻子から時々指令が届いて、するとこちらの補給部隊は急遽新しい仕事にかかることになっている。ある日届いた指令は「ブルーベリーパフェ」をイラストにして送れ、というもので、さてどうしたらいいのか頭をかかえたのだが、期日までに送らないと厳しい叱責を受けることになる。
やみくもに試みたのがこのイラストで、描いた本人としてはまずまずこんなもんだろう、というぐらいの仕上がりだ。
そもそもこのソフトクリームパフェはホテル・ドロームのカフェのメニュにあったもので、ソフトクリームとブルーベリーという大いに北海道的なメニュである。最近よく売れているのがブルーベリーのマフィンだが、このパフェにまで参加することになった。地下のマフィン工房は連日大忙しである。
お近くの百貨店、北海道物産展で探してください。
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屋根の雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降り積む
三好達治の詩はたしか中学校の教科書にあったはずだが、その頃はまだ自分がそんな北国で暮らすことになるとは思ってもみなかった。
しかし問題はその雪の重量である。雪の重さというのは相当のもので、現にアリス・ファームの機械倉庫は見事に倒壊したのである。だから住宅の屋根はなるべく急勾配にしてあり、トタンも塗装して滑りをよくしている。するとこの写真のように屋根の雪は左右に滑り落ちるのである。
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雪国生まれなのに・・・・・
宇土仁木・あつみ夫妻の長女仁菜ちゃんは1歳を越えて元気いっぱい、わが家に遊びにくると広い家の中を走り回っている。犬たちが寄ってくると泣いていたのに、いまや彼らに食べ物をあげたりしている。子供はどんどん成長する。
ところが、なぜか外に出ると調子が悪いらしい。防寒衣料に身を包んで散歩をしようとすると、なんだか急にご機嫌が斜めになる。寒いのイヤなのか、服や靴がきついのか、どうも理由が分からない。このままインドア少女に育っては困ると思って無理矢理雪の中を連れ回したりするが、しかし賢いお母さんがついているから、きっとそのうち寒さも雪も克服することだろう。
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雪の廊下が完成した
アリス・ファーム入口には自作のレンガ門柱があって、そこから道がずっと家まで続く。この道路の除雪は日課の仕事なのだが、毎年2月頃になると雪の壁の高さが身長ほどに達する。除雪の時にはなるべく真っ直ぐに、垂直に壁を作るように心がけている。2月のある日、仁木一家が来たので立派にできた雪の壁をバックに記念撮影をした。仁菜が座っているソリは、有巣や仁木が子供の頃のもので、北欧製なので氷や堅く締まった雪用にできている。もう少しすると仁菜は仁木たちが使った幼児用のクロカンスキーで遊べるようになるだろう。
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●2012年12月
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今年最後の魚釣り
雪が降る前にぜひ、と約束していたフライフィッシング教室を1 1月の末に敢行した。生徒はグレッグ、オーストリア人で宇土仁木・あすみ夫妻の英語の先生、その先生に英語で釣りを教える先生がぼくなのである。そもそも仁木医師も先生だから、先生の先生の先生、というわけで限りなくぼくは偉いのであった。
ドロームの池で楽しく遊んでから家に行って、みんなでランチにした。写真は右端はグレッグの奥さんのアミさん、中央が仁木の奥さんのあすみさんと仁菜ちゃん。みんなで暑いような寒いような格好をしているのがおかしい。
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直井さんご夫妻来訪
本当に久しぶり!数えてみれば30年ぶりにもなるではないですか。飛騨時代の野鳥の先生、直井清正さんと奥さんの陽子さん夫妻がはるばる訪ねてくれた。夫妻は傷病野鳥を救う貴重な仕事をずっと、本当にずっと長い間続けてこられて、その記録を最近本にまとめられた。という記事を野鳥の会の機関誌で知ったので、早速取り寄せたのであった。
ちょうどそんな時、夫妻は札幌の「ソロプチミスト」という団体から長年の活動を評価されて表彰されることになった。その表彰式の帰路にアリス・ファームに立ち寄ってくれたわけである。
あれこれの野鳥話ですっかり盛り上がったひとときであった。
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さよならアンちゃん
11月29日、アンが永眠。
その2週間ほど前から具合が悪くなり、段々と食べなくなり、最後は寝たきりになり、やがて息をひきとる、という、他の犬たちと同じ経過をたどった。何度も同じ経験をしているが一向に慣れることはできず、犬本人もこちらも大変辛い最後の日々であった。
だからもうペットは飼わない、という人も多いが、ぼくはそういう態度はとらない。それでは先立った犬に申し訳ないではないか、「君との暮らしを経験してぼくはもう犬なしではいられなくなった」というのが最大のはなむけではないだろうか、と『藤門弘の愛犬講座』に書いてあるとおりだ。
だからアンちゃん、残されたギンちゃんとこれからも楽しく暮らすことにするよ。Left alone のギンちゃんは突然一人になって呆然自失の様子だけど、そのうち彼女なりに立ち直るだろう。本来ならすぐに次のチビがやってくるはずなのだが、あれこれ計画があるので当面はギン中心の一人っ子政策でいくことにする。アンちゃんさようなら。君はとてもユニークな犬だった。
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温室バーベキューは煙かった
仁菜ちゃんの1歳の誕生日を記念して温室でBBQをやろう、ということになった。誕生日は1 1月28日だが、みんなの都合でパーティーは1 2月最初の週になった。このあたりはなんだかすごく天気が悪くて、連日連夜の吹雪だ。それでも全員でおばあちゃんを訪問し、温室にはジェットヒーターをゴウゴウと焚き、外の寒々とした風景に負けずにB B Q を敢行するのであった。しかし、それにしても煙いではないか。グリルから立ち上がる煙は行き先がないからあたりに立ちこめてしまい、温室内の視界はどんどん不良になるのであった。やむをえず換気ファンを回すと今度は寒くて、どうやら企画は失敗のようであった。
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仁菜ちゃんの初ソリ体験
B B Q に必要な資材を母屋から運ぶのに大型のソリを使い、それが入口にあったのでソリ遊びをすることにした。昔、有巣や仁木とよくソリ遊びをしたねえ、という思い出いっぱいで、これはいわば伝統だから仁菜にもやらせなくてはならない。
最初は彼女ひとりをソリに乗せて上から滑らせたが、それだとただ寝転がっているだけでおもしろくない。そこで有巣おじさんが運転手を務めることになり、それなら、というのでぼくが思い切り上から押し出した。ソリはかなりの速度で温室入口に向かって滑り、仁菜の両親はわが子の危機よりも自らの安全のために素早く左右に逃げた。ソリはそのまま落下を続け、最後は左側の雪山に激突して停止することになった。
ほとんど逆さまになった有巣と仁菜の様子がおかしてく、観客は大笑い、すると仁菜は強い抗議の意志をこめて大声で泣き叫ぶのであった。ソリの激突以後、仁菜は有巣おじさんを危険人物と見なすようになり、この日は最後までとうとう許さなかった。
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手乗りハシブトガラ
今年も玄関前には野鳥のためのエサ台を設置しており、連日カラ君たちでにぎわっている。常連はカラの5種類、ハシブトガラ、ヒガラ、ゴジュウガラ、シジュウガラ、ヤマガラの皆さんで、これにシメとかアカゲラとかが時々加わる。
カラちゃんたちはかわいい。ヒマワリの種をひとつずつつまみ、つつましく食する姿やいとし。最近は手から直接ヒマワリを取るようになって、いよいよ手乗りカラになってきた。写真はハシブトガラがぼくの手に乗っているところ。軽い軽いその体重の重みがいつまでも手に残るあたりが結構ハッピーなのである。
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キロロで旧交を温める
いや驚きました。キロロの所有がヤマハから三井不動産に移り、次に日本とタイの合弁会社に移った、というのは聞いていた。その会社の経営陣に旧知の水野誠一氏がいる、というのも文書では知っていた。
ところがキロロの2 1周年記念の式典に参加してみると、社長の森肇さんは以前西武百貨店にいた人物だし、奥様のルミさんは昔親しくさせていただいた方ではないか。
写真右は元西武百貨店社長で、元参議院議員の水野誠一さん、その隣が森ルミさん、左端がキロロリゾートの新社長の森肇さん。楽しいひとときでありました。
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●2012年9−10月
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忙しくも暑い8月に続いて、9月もまたあわただしくかつ暑かった。
あちこち出かけたり、来客が続いたりしているうちにもう10月だ。
雪が遅いとありがたいのだが、さて。
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お祭りの当番だった
神社の秋祭りは地域ごとに当番があって、今年はわが「日の出区会」が担当することになった。4年に一回当番が回ってくることになっている。
当番区会の仕事はあれこれあるが、子供たちを引きつれて神輿をかつぐのが大変。どうしてぼくだけネクタイをしているかというと、「背広」と呼ばれる集金役を担当しているからだ。村民各家を回ってお賽銭をいただくこの仕事はなかなか重要な役割なのである。無茶苦茶暑い9月の第一週、終わる頃にはヘトヘトだった。
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ソウル訪問
所用があって韓国はソウルへ行ってきた。一緒に写っているのは宇土巻子の友人Parkさん夫妻で、一緒に韓国名物の冷麺を食べたあとの記念撮影。しかし冷麺はもともと北朝鮮の食べ物なんだそうだ。
ソウルの観光地はどこも日本人であふれていた。円高だから海外旅行が楽なのかな。
お土産に団扇( うちわ) をいくつか買った。韓国の団扇はとても良くできているし、デザインもいい。
ソウル散策はiPhoneが通じるので、迷子になる心配がない。
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虹が好き
今年はカミナリの多い年だけど、夕方に雷雨があって雲の切れ間から夕陽が差すような日には決まって虹が建物の上に浮かぶ。
あわててカメラを持って外に出るのだが、なかなかいい写真を撮るのはむずかしい。この写真のように裏に青空があると虹が引き立たないのですね。以前に一度だけ見事な虹の光景を撮影できたのだが、そのポジフィルムが見あたらなくなってしまった。
虹写真の撮影は個人的な懸案の課題なのです。
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「川の学校」へ行く
1 0月の初旬、野田知佑主宰の「川の学校」へ行ってきた。別名「川ガキ教室」というこの学校はすっかり有名になって、テレビや雑誌によく登場する。元気な子供たちを愛する野田さんの方針は、ひたすら子供たちを川で遊ばせることにあって、水に飛び込む子供たちを嬉しそうに眺めるのである。
最初の数回に参加してから久しぶりになるのだが、今回は吉野川の支流の鮎喰川に行ってきた。写真は夜、テントの中で北海道のお話しをしているところ。
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スカイツリーと東京タワー
赤井川村村議会の「研修旅行」で東京へ行き、スカイツリーに上ってきた。こんなことでもないと行かない所だからまあいいか、と思ったのだが、やっぱりやめればよかった。だって全国津々浦々からすごい数の人が押し寄せて、それを係員が機械的にさばいて、まあ観光というのはそういうものなのだろうけど、それに参加している自分がなんだか情けないのである。展望台に上って、人混みを半周してすぐに降りてきてしまった。上の写真の8人が議員なのだが、この後浅草へ行き、国会を見物し、宴会をやって、ようやく解散。
翌日、今度は東京タワーに行った。東京電波塔株式会社の社長(つまり東京タワーの持ち主ね) 、前田伸氏に会うのが目的だ。前田さんとは一緒にニュージーランドを旅行したり、ウランバートルのホテルで偶然会ったり、同じ経営のマザー牧場で仕事をしたりの間柄なのだが、このところしばらくお会いしてなかった。旧交を温める、という訪問だった。
しかし東京タワーはいいなあ。タワーが完成したのはぼくが小学生の頃で、何回か学校の行事で登ったことがある。東京暮らしではいつも風景に東京タワーがあったし、昭和の風景にはなくてはならないものなのだと思う。そんなノスタルジックなタワーに久しぶりに上って、前田さんから展望を解説してもらい、名物を色々とごちそうになり、最後は歩いて地上まで下った。マラソンに目覚めた前田さんのエクササイズ提案だったが、翌日足が痛かった。それはともかく、皆さん、スカイツリーはやめて今こそ東京タワーに行きましょう。
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●2012年8月
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とうとう8月、夏の盛りに突入だ。北海道でもそれなりに暑い日がある。
ドロームのキャンプ場は家族づれで大にぎわい、イベントも多い。
久しぶりの「五人組」集合で四万十川に行ったけど、いや暑かった。
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宮川一家来訪
毎年夏になると宮川くんが蝶々採りに来るが、今年は家族で来訪。それでは、というので得意のバーベキューで出迎えた。写真はBBQが終わってサクランボとメロンのデザート段階に入ったところ。みんな満腹、満足の様子。
ワン公たちの部屋から出た前庭にはサトウカエデの木があって、ずっと以前にひとりで運んで植えた苗木がいまや大木に育っている。その木の作る木陰が大きくて、強い夏の日差しの中でもこうしてくつろぐことができる。カエデは偉大だ。
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「カルデラ祭り」なのである
毎年8月最初の週末に赤井川村の「カルデラ祭り」が開催される。村の農産物を広めようというお祭りで、近隣から多くの人たちがやってくる。今年はぼくの住む地区の人たちが自家製の野菜などを陳列して即売をやり、結構な売り上げになったみたいだ。地区の活動なのでお手伝いに参加した。
ぼくはお祭りの実行委員会、副委員長なので「閉会の辞」をやることになっている。ところが、終了の挨拶なんか誰も聞かないので、挨拶終了後に「モチまき」をやる作戦だ。モチを拾おうという人たちを待機させておいてすかさず閉会の挨拶をやるのである。
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北海道新聞の「エコ・キャンプ」開催
北海道新聞と共催の「親子エコ・キャンプ」も今年で4年目になった。ドロームのキャンプ場が会場だ。結構人気のキャンプで毎年定員以上の応募があるらしい。ぼくは自然一般と魚釣りを担当するのだが、ホームグランドなので、あたりの生き物に詳しい。この日も授業開始前にミヤマクワガタを見つけて、写真はそれを紹介しているところ。
このキャンプの校長先生は仲間のひとり、小川巌さんで、最近は彼が主宰する「エコ・ネットワーク」が全体をとり仕切っている。昆虫学者、北大の稲荷さんの話がいつも楽しい。
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四国で「イカダ釣り」をやった
四万十川のイベントの前に釣りをやることになった。夢枕獏さん、林家彦いちさんと羽田で合流して、高知空港。元小学館編集長の黒笹さんが出迎えてくれて、彼の案内で高知のどこかの海へ。そこから船に乗って入江の奥にあるイカダに上がる。釣り専用の大きなイカダで、屋根つきトイレつきで立派なものだ。
さて、イカダにはイカダ専用の釣り方があり、道具からして違う。主な狙いはチヌことクロダイで、エサのエビをこませの団子で包むという特殊ぶりだ。名人のじいさんの隣に座ったので大変勉強になりました。写真は右から獏さん、黒笹さん、彦いちさん。
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「白髪五人男」のそろいぶみ
もう2 0年も前のことになるが、ある居酒屋で盃を交わした五人が、その場の勢いで「五人組」を結成して一緒に遊ぶことになった。ハシ袋の裏に血判状を認めて、以来あちこちへみんなで出かけて遊んでいる。その五人組のイベントが今年は四万十川であった。最初の日はカヌーで川下りをし、翌日にホテルの会場で座談会のようなことをした。
写真左から辰野勇( モンベル会長)、夢枕獏(作家)、野田知佑(作家)、ぼく、佐藤秀明(写真家)。前の傘は10年ほど前に雑誌の企画で「白波五人男」をやった時のもの。
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高知はうまい!
昨年の大雪山集合の時は佐藤さんがいなかったので、五人が揃うのは久しぶりのことだ。旧交を温めつつ3日間、毎日宴会の日々であった。モンベルの辰野さんとその旧友のホテル支配人が色々と段取りしてくれたおかげだ。四万十川方面に行く人はぜひ「新ロイヤルホテル四万十」をご利用下さい。支配人を始めとしてスタッフがみな誰も感じがいい。
それにしても「カツオのたたき」は旨いなあ。最近は塩で食するのが主流なんだそうだが、実においしかった。カツオは偉大な魚だ!
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●2012年7月
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季節はどんどん進んでいよいよ7月に突入、あわただしくもにぎやかに毎日が過ぎていく。
ニュースはファミリー関連に終始して申し訳ないのだけれど、最近あまり遠出をしないのでどうしてもこういうことになるのですね。そのファミリーニュースで最大のものが仁木君の結婚パーティで、下記のような展開でひとまず成功裏に終了したのでありました。
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仁木君、あすみさん、おめでとう!
「ジューンブライド」という言葉があって、6月に結婚した花嫁は幸せになれるのだそうだ。その因みにならったのかどうか、仁木君とあすみさんが6月の初旬に結婚披露のパーティを開いた。もっとも結婚そのものはもうずっと前のことだしすでに子供もいるのだけれど、遅ればせのお披露目のパーティということらしい。会場はホテルドロームのテラス、川沿いの屋外だから、万一雨が降ったらどうしよう、と前日までやきもき心配した。予報に反して当日は穏やかでうららの天気、いかにも野外パーティ日和だった。ドロームが会場なので、なんだかパーティの主催者のような気分になって、会場や料理の準備などにずいぶん気を使った。料理の方は幸いにも札幌の名門「豊平館」の杉山さんが引き受けてくれて、こちらはひと安心、素敵な料理が次々登場して大いに結構であった。当日の参加者はふたりの友人や同僚や先輩が中心で、いきおいお医者さんの比率がすごく高かった。わが家からは長男有巣が司会者として、母親は95歳の最年長として、アンとギンも蝶ネクタイをして参加したのであった。特別な余興はなかったが、仁木とラ・サール時代の同級生4人のコーラスが素晴らしかった。歌は下手だけど4人の友情が伝わって、ぼくにはとりわけ感動的に聞こえた。大勢の人に祝福してもらって、仁木夫妻の幸せな門出でありました。本人たちに成り代わりまして御礼申し上げます。
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本年度ツタの様子 (写真提供「日刊スポーツ」)
本部建物のレンガ壁にはツタがその枝葉を広げていて、毎年少しづつ成長している。建物の背面は表より1層高くなっているのだが、そちらの面はツタが見事に壁面全体を覆っている。ところが、表面の基礎部分は石造りになっていて、これが冬季にものすごく冷たくなるようだ。つまり、表面はツタにはあまりいい環境ではないらしいのである。ツタは日本でいう「ナツヅタ」、英名は「ボストン・アイビー」なのだが、表面の一部に緊急に「バージニア・クリープ」を補植した。不思議なことにボストンよりバージニアが寒さに強いというのだ。しかし、このバージニアは葉が大きくてみやみと野性的で、どうもいまひとつなのである。そこで思い切ってこれを処分することにした。写真にあるツタのすき間はそいう事情で生まれたもので、これが埋まるにはまだ数年かかりそうだ。
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オオイチモンジの訪問
蝶が好きな人に言えば必ず「そりゃすごい!」と反応してもらえると思うのだが、オオイチモンジなる希少種の蝶が今年もわが家にやってきた。事務所のバースで宇土巻子が大声を上げるので何事かと思ったら、窓の網戸の向こうにこのオオイチモンジがとまっているではないか。写真はその時のもので、彼女が指指しているのが問題の蝶だ。オオイチモンジはタテハ蝶の仲間だが、名前のとおり割合大型で、表面は黒に白のストライプ、オレンジや青が縁取りにある。裏面も見事でオレンジや白で複雑な模様を作っている。
昨年は温室に入ったのを網で採ったし、大雪山ではこれが乱舞しているのを目撃した。希少種で、長野県では県の天然記念物になっているが、いるところにはいるのである。ともかく嬉しい蝶の訪問であった。どうですか宮川くん、すごいでしょ。
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初めての3人組ヨット
有巣が北海道に帰ってきて、札幌の病院に勤務しているので、これで全員が札幌・後志圏内の近隣に暮らすことになった。ところがそれぞれに勤務の事情などがあって、なかなか全員が揃うことができない。そんな情勢の中でふと男3人がOKな休日があったので、ヨットに乗ることにした。有巣が釣りを希望したので、沖に出てあわよくばヒラメなど釣ってやろうと準備をした。ところが、誰の心がけが悪いのか知らないが、当日はかなりの強風が吹き、波も大きかった。それでもがんばって出航したのだが、とてもセールを出すところまでいかず、エンジンで近場を一周して帰ってきてしまった。
それが7月の1日のことだったのだが、その前の週には有巣とふたりでクルーズし、翌週の7月8日には仁木一家に宇土巻子まで加わったファミリークルーズを敢行したのであった。どちらもいい風で、楽しいクルーズであった。ぼくは日曜日に3週連続でヨットに乗っていることになる。
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カンバンが勢揃い
道路沿いの建物をいま流行の「カフェ」に改造して、7月1日に正式オープンした。冬の「失業対策事業」で始めたカフェ工事だったが、本当に営業にまできてしまった。ここまできたら後に引けないから、しっかり商売をしなくてはいけない。そのためにはお客さんに来てもらうことが第一で、そのためには存在をアッピールしなくてはならない。
ということで始めたカンバン作り、割合本気で取り組んだのであった。写真左上はぼくの労作で、カツラの一枚板横60センチ、縦45センチを楕円に加工して、彫刻ノミで文字や絵柄を彫ったものだ。写真では伝わらないが、ブルーの塗装がちょっとおしゃれ。その隣はカフェの名物マフィンのカンバン。文字はカッティングシートだが、マフィンの絵は不肖私が描いたもの。下左の大カンバンはヨットの先生、木田さんの作品、下右は赤井川観光協会で作った村のロゴ・カンバンだ。これだけカンバンがあればカフェの商売繁盛は間違いないのである。
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直売所の季節である
アリス・ファームのある赤井川村日の出地区では、「直売所通り」という企画で農業振興をやろう、ということが決まった。最初はアリス・ファームの敷地内で共同の売店を運営する企画だったのだが、諸事情によってそれぞれの農家が独自に直売所をやることになった。道路沿いに農家のお店が並んで、「直売所通り」というわけだ。アリス・ファームでも独自に直売所を作って企画に参加することにした。お店作りに登場したのが、昨年までドロームで子供たちを乗せていたトラクターとカートだ。カートの座席を取って鉄骨で骨を作り、テント屋さんに写真のような幌を作ってもらった。これで「直売ワゴン」の完成だ。このワゴンで自家製野菜、近隣農家の野菜などを販売することなっている。ワゴンセールの始まりだ。 |
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●2012年6月
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ようやく北海道も春になった。その春先に「日本海クルーズ」に参加してしまったので、いつもの作業が後手に回り、なんだか季節に追いかけられているような毎日だ。とはいえ、写真を見るとどれも遊んでいるものばかり。すいません。
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新しい伝統
北海道はバーベキューが盛んで、夏になるとあちこちで焼き肉パーティをやっている。わが家にも焼肉用の大型コンロがあり、羊丸ごと一頭焼く装置も用意してある。こういう北海道の焼肉も悪くはないのだが、そろそろ独自の路線を行こうか、と相談して「洋式バーベキュー」を始めることにした。イメージどおりのグリルを購入し、メニュ会議などもやり、まだ外に雪が残る5月に温室で第一回目を開催した。これが大成功。秀逸なラムチョップを知り、ハンバーガーの本質を発見し、画期的な一日だった。いよいよ新しい伝統、「温室バーベキュー」の始まりである。
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日本海クルーズ
小樽マリーナに所属する皆さんに誘われて、日本海を南下、韓国を往復するクルーズに参加してきた。艇長は石川さん、アドバイザーは木田さん、クルーは駒井さんとぼく、という4名の構成だ。インストラクターの木田さんの門下生一行、ということになる。目的はヨットによる航行、つまりクルージングそのものなのだが、艇長たる石川さんはひたすら「訓練」の人だから、結局「訓練航海」なのであった。ひとりぼくだけのんびり読書などさせてもらって、申し訳ないことをした。スケジュールの都合で博多でヨットを降り、飛行機で帰ってきた。
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日本海のブリ
ヨットの後ろから疑似餌を流す「トローリング」をやったら、ブリが釣れた。ブリは出世魚で名前がいっぱいあり、イナダ、ハマチ、ブリという風に大きくなるらしい。人はそれをイナダというだろうが、釣ったぼくからすればこれはまぎれもないブリなのである。用意した出刃包丁を使って3枚に降ろし、フリーザーで締めてみんなで食べたが、どちらかというと翌日の方がおいしかった。能登半島沖での収穫だが、この後船は揺れに揺れ、バウキャビンで寝ていると体がそのまま10センチぐらいは空中に浮くのである。それでも船酔いしない自分を発見した。
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単独航海70歳
佐渡の小木港で会ったのは日本一周中の武田治郎さん、70歳だ。岡山からスタートして日本海を北上中だと聞いた。ひかえめな人であまり多くを語らないのだが、ずっと前にヨットで世界を一周する航海をしたことがあるそうだ。マゼラン海峡を航行した時の話などは迫力があった。今はリタイアして悠々自適、のんびりとクルーズを楽しんでいる様子だった。
話を伺って、内心密かに「これだな!」と思った。ぼくにあったクルーズはきっと単独行なのだと思う。そのための技量を習得することが当面の課題。
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仁菜の木を植樹
仁木の所に赤ちゃんが誕生して半年ほどになる。記念になにか木を植えたらどうか、ということになって苗木を探した。といってもいつもお世話になる苗木屋さんに聞いただけだが、結局キタコブシの木に決定した。チシマザクラ、クラブアップルなども候補にしたが、北国らしいコブシの木を選んだ。
春早くに咲くコブシの花はなかなか魅力的で、近くに寄ると花が10センチを越える大きさであることが分かる。写真の左、リボンのあるのがコブシの苗木。ちなみに英語名はマグノリア。
ギンちゃんも祝福に駆けつけた。
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●2012年4月
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ようやく4月になったのに、なんだか一向に春めいた気候にならない。まだ結構寒いし、いつもなら帰っているはずの鳥たちの姿も見えず、いささか寂しい気分で始まった4月である。
とはいえ、天気がいい日は多くなり、雪上散歩はいまだけの特権だからその贅沢を楽しまなくてはいけない。双眼鏡片手に毎朝遠出をしている。もうすぐゴールデン・ウィークだ。
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日本海のマス釣り
3月の最後の週、夢枕獏さんと林家彦いちの両氏が来て、一緒に釣りをした。去年の夏に大雪に行ったときに約束したサクラマス釣りだ。荒れる冬の日本海に漕ぎ出して果敢に挑んだのだが、釣果はいまひとつであった。サクラマス釣りに出たのだから、いくらホッケがたくさん釣れてもあまり嬉しくはないのである。大雪のフライフィッシングも今回のサクラマスも釣り雑誌『フィッシング・カフェ』の企画であり、編集長の遠藤昇さんのディレクションで実現したものだ。その『フィッシング・カフェ』の今月号にぼくの記事があるので、よかったら見て下さい。巻頭グラビア、堂々の10ページなのであります。
写真左は積丹沖で彦いちさんとツーショット、右は小樽のマリーナで、おふたりをぼくのヨットに案内した時のもの。
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「いまさら」カフェを作る
アリス・ファーム前の道路にトンネルが開通し、車の流れが変わりそうだ。ということで、以前やっていた製品販売店を「カフェ」として再改装することにした。いまはやりの「カフェ」である。昔はカントリーライフというと、男は家具づくり、女は機織りあたりだったのだが、最近はそれがパン屋とかカフェになっているらしい。全国津々浦々カフェだらけなのになにをいまさらという声もあったのだが、冬の間ヒマだったこともあって、いわば失対事業的工事であった。ホテル・ドロームに次いでふたつ目のカフェだが、ブルーベリー園の一角にあるここの目玉は評判の「ブルーベリーマフィン」、ぜひご来店を!
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木下さん、ありがとう!
カフェの入口ドアを作ってくれたのは、「恵泉ノア製作所」の木下さんたちだ。写真中央が木下さん、左右はそのスタッフのおふたり。安い費用でとても素敵なドアを作ってくれた皆さんに心から感謝。
木下さんたちは「恵泉グループ」というキリスト教団に所属していて、余市町の山際に集落を作って暮らしている。ということをおぼろげに知るだけで、その目指すところについて詳細は分からない。
木下さんは、鳥見仲間で仁木町に住む鈴木薫さんの実弟で、御尊父はたしか北大の名誉教授だったはずだ。経歴その他について大変興味深いのだが、いずれゆっくりお話しを伺うことにしよう。
木下さん、皆さん、ご苦労さまでした。
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羊蹄山はいつも見事
わが赤井川村から倶知安に抜ける国道が開通したこと、次男仁木が倶知安の病院に勤務していることなどあって、最近しばしばこの道を通る。ホテル・ドロームから上り始めた道は頂上で「樺立トンネル」になり、これを抜けると倶知安町に入る。そのまま少し下ると眺望が開けて、正面に見事な景観が広がる。右にニセコ山塊、左に羊蹄山がどちらも堂々とそびえている。ふたつの山波を両手に花状態で車を進めると、やがて平坦な農業地帯に至るのだが、ここまで来ると山々は見上げる高さになる。それにしても羊蹄山の見事さよ。独立峰というのはどこもそうだが、雄々しく気高く自尊心に満ちている。栄えあるわが「マッカリヌプリ」なのである。
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お帰り、有巣くん!
4月の初旬に久しぶりに全員集合をやった。長男有巣がいよいよ北海道に帰ってきて、札幌の手稲啓仁会病院に勤務することになった。琉球大学に6年、沖縄中部病院に2年の計8年間を沖縄で過ごしてのようやくの帰還だ。全員が北海道に住むことになったので、これからは集合がしやすくなる。その第一回目、というわけ。
おりしも次男仁木くんの誕生日も重なって、なんだかとても目出度い4月のひと夜であった。有巣、仁木、それぞれに夢があり計画があるようで、話を聞くのがたのしかった。記念撮影をしたら、ワン公を除く全員がしっかりカメラ目線で撮影成功。
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●2012年3月
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いつもながら長い冬である。冬にも雪にも慣れているはずだが、毎年2月頃になるとなんだか冬に飽きてくる。特に冬がイヤだ、とは思わないが、それにしてもちょっと長すぎる気がする。いまさらこんなこと言ったって仕方ないのだが、もう少し短ければもう少し冬を愛せるのではないかと思う。
今年はまた雪が多い。1月がすごくて、2月に入るとやや納まった印象だ。というのはぼくの住む場所での印象で、近年にない大雪、という地域もあるらしい。もう少し短く、もう少し穏やかに、と一応冬に向かって要望しておこう。
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たまにはこういう日もある
冬まっただ中の2月なのに、唐突に天気のいい日がやってきて、朝の散歩でいきなり羊蹄山と対面したりする。村は雲海の下に沈んでいるから、なんだか一人で羊蹄と向き合っているように感じる。ただし、こういう日はとても寒い日であって、気温も零下2 0℃前後になっている。いつまでも羊蹄を眺めていたいぼくに、犬たちが早く家に戻ろうとせっつく。普通は逆だと思うんだけど。
写真の中央を横断しているのは、育成中のカエデ並木だ。ギンカエデは生育が早いから、もう何年かするとこの並木が工場の建物をさえぎるようになるだろう。楽しみなことだ。
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札幌モーターショーに行ってきた
北海道で初めてだというモーターショーに行ってきた。ずっと以前に東京のモーターショーに行ったことがあって、同じようななものだと思っていたら、全然規模が小さくてかなり寂しいものだった。
車が少ない、キャンペーンガールが少ない、でも観客は多い、という札幌ドームなのである。いくつか見たい車種があって参上したのだが、ことごとく出展してなかった。レンジローバー、ポルシェカイエン、ベンツEタイプワゴン、レクサスLS 、ベントレーコンチネンタル・・・・・いつか手に入れよう!という車がことごとくないのである。どうせ北海
道じゃ売れないよ、というディーラーの姿勢が露わな会場であった。見たい車がなく人ばかり多いから、30分で帰ってきてしまった。わざわざいったのに。
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村の悲願、冷水トンネル開通!
赤井川村と余市町を結ぶ道道(北海道の道ね)は冷水峠という難所を越える必要があった。この峠はカルデラ村を見渡す大変展望のいい場所なのだが、冬になるとカーブの多い雪道になって、交通事故が多発する地帯でもある。トンネルで下をくぐることができたら、というのがずっと昔からの村民の希望だった。アリス・ファームは以前、この峠の一帯を本拠地にしていたのだが、村側に移住してみるとやはり峠は難所だと実感するようになった。それがいよいよトンネルの開通である。写真は開通式で、ずらりと並んだ
のは村長と村議会議員(タハ!)
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ドロームも大雪に埋もれて・・・・・
今年は雪が多くて建物の管理が大変だ。雪というのは積もると非常な重量物になり、建物を押しつぶすこともある。しばらく前にアリス・ファームの大倉庫が倒壊して、中にあった貴重品が全部押しつぶされてしまった。日本に一台というボルボの古い車など、今になってもまだ悔しく思う。そういうことがないようにあちこち建物を見て回わり、必要に応じて屋根の雪を降ろす。アリス・ファームには常勤のキン肉マンがいるので、これは主として彼の仕事なのだが、問題は見回りが十分ではない、という点にある。
3月に入って雪もそろそろ峠を越えたか、と思った途端にキャンプ場の炊事場倒壊のニュースである。ホテル入り口にあるロボット君が危険かと思っていたら、思わぬところで雪の被害が発生した。がっかりの3月3日ひな祭りであった。
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吹雪の日だってちゃんと散歩
雨が降ろうが吹雪だろうがワン公たちとの散歩は必ずやることになっている。朝昼夕、そして寝る前、この一日4回を欠かしたことがない。と威張るほどのことでもなくて、彼らにとっては楽しみの日課だしトイレタイムでもあるから、吹雪だからパス、という具合にはいかないのである。
ところが、深く雪が積もった朝などは散歩といってもなんだか形式的なものになってくる。犬たちは率先してラッセルをし、先を歩くことをしないのだ。膝を越えるような積雪だとぼくが頑張って先頭を歩き、後ろからワン公たちがしぶしぶついてくる、という変なことになる。ふり向くと写真のようにふたりは止まり、「だるまさんが転んだ」状態なのである。
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●2012年2月
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早いもので年が明けたと思ったらもう2月だ。 今年の冬は結構厳しい寒さで、ニュースなどでご承知のように気温は低いし積雪も多い。毎日雪かきに追われていると、ふと自分がなにをしてるのか分からなくなって、そもそも頼りない人生がますます頼りなく、視界不良でぼんやりしてしまうのである。いっそどこか暖かい国に行ってしまいたい気分である。
とはいえ、どちらかというと暑いよりも寒い方を選びたい自分であり、南国も行けば三日で飽きるような気がする。だからここはひとつ我慢してやがてくる春を待とう、と結局はいつもの平凡な結論に至るのである。
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エサ台にぎわう
玄関脇のエサ台には晩秋からずっと毎日カラちゃんたちがきている。カラ類5種。ハシブトガラ、ヤマガラ、シジュウガラ、ヒガラ、そしてゴジュウガラだ。このうちゴジュウガラだけは科が違うらしいが、ひとまずカラの仲間といっていいだろう。
写真の一番上がヤマガラ、その下がシジュウガラ、左下にいるのがハシブトガラだ。このカラ類に混じって時々アカゲラというキツツキが加わり、ごくまれにヤマゲラもくる。歓迎してないのにくるのが、スズメでありカケスでありシメである。スズメはともかく、カケスもシメも見るからにギャングの風情だ。
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冬のヨット
北海道では普通、冬期間はヨットに乗らない。もちろん乗って乗れないことはないのだが、寒いばかりでまるで楽しくない。しかし中にはことさらにこの寒さと厳しさを愛するような特異な人もいて、係留場所でご近所のIさんなどは冬でも雄々しく外海に向かっている。一緒にどうですか、と誘われたが、聞こえないフリして逃げた。軟弱。
わが愛艇リベルタ号は係留されたまま静かに眠っている。デッキのために専用のシートを作ってもらい、全体が覆われている。上に乗った雪を時々降ろしにいくのだが、あまり積もってないように見えても、雪を降ろすと喫水がぐっと上がる。3月になったら海に出よう。
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積雪が背丈になった
村の道からわが家に至る200メートルほどの私道は自分で除雪をしなくてはならない。自分の思うような除雪ができる、とも言える。というのは道路の除雪は使う機械によって仕上がり違うのだ。業者
は通常前にバケツのついた大型機械を使うが、これだと雪を押しのけることになり、決して仕上がりがきれいではない。道路の除雪に仕上がり云々というのもなんだが、トラクターにつけたブロアーなら、路側が垂直になり、両側をやると廊下のようになるのだ。ぼくはこの雪の廊下が好きで、それが背丈を越えるとなんだかとても嬉しくなるのである。
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新年会・札幌の部
札幌、東京、小樽、赤井川村とあちこちに友人がいるのだが、最近ではもう新しい人とつきあうのも面倒になってきていて、それぞれに5人組だの4人組だのとメンバーを固定して遊ぶのが快適になっている。
さて札幌のメンバーはというと、ここに揃った4人組である。左から写真家の嶋田忠さん、酪農学園大教授の小川巌さん、一番手前は北海道新聞社常務の岡田実さんである。錚々たるメンバーに加わらせてもらっているのだが、ともかく話がおもしろい。一応「自然派」というくくりになるのだろうが、現場の体験とインテリジェンスとの振幅がとても刺激的。
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歩道も廊下になってきた
建物の正面玄関から外にでる歩道は、普段はあまり使わない。だから冬の間そのまま放置しておいてもいいのだが、ワン公たちとの散歩道として楽しいので小型ブロアーで除雪をしている。玄関からずっと長い廊下ができるのが視覚的にもおもしろい。
朝、気温が低いと犬たちも足が冷たくて不機嫌になる。マイナス15℃が彼らの限界らしいのだが、今年はすでにマイナス20℃を3回越えている。犬用の靴を用意したのだが、慣れていないので、靴を履くとアンちゃんはうまく歩けない。写真のギンは若い分だけ寒さに強く、ひとまず元気にやっている。
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●2011年12月
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暖冬気味の1 1月だったが、さすがに12月に入ると冬らしくなり、毎日雪が舞っている。気温も割合高めだが、それでもマイナス15℃を越える日もあって、外に出てドキリとする。
最近の最大のニュースは次男仁木君のところに赤ちゃんが産まれたことで、とうとうぼくもおじいさん。年貢の納め時なのである。仁木は近くに住んでいるので、このところよく行き来をしている。
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「仁菜」ちゃん誕生
仁木が勤務する倶知安の病院から母子が退院すると、奥さんのお母さんが手伝いに来てくれた。こういうのはやはり女性軍の担当事項であって、ぼくなどは写真を撮るぐらいしかやることがない。もっとも仁木は結構マメで、なにやかやと赤ちゃんの面倒を見ているから驚きだ。仁木もついこの前まで子供だったのにすでにしてお父さんなのだから、いや月日の経つのは早い。
写真は赤ちゃんが産まれて1週間後に仁木宅を訪問した時のもの。未熟児ではないが、かなり小さく産まれた赤ちゃんは「仁菜」と名付けられた。両親からひと文字づつ取った名前らしい。なにはともあれめでたいことである。
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カッコー時計
赤ちゃん誕生を祝って贈り物をしようと思ったが、なにを選ぶか考えどころだった。最後にたどり着いたのがこのような「カッコー時計」で、日本では普通「ハト時計」と呼ばれているものだ。ずっと以前にドイツを旅した時にシュバルツバルトこと「黒い森」地方で初めて本物を見た。日本でいうハト時計はドイツのカッコー時計を勝手にアレンジ、翻訳したものだと知った。
ゼンマイではなく、ましてや電池ではなく、吊り下げられた錘の力で機械が動く、というのが興味深い。木部は手仕事でひとつずつ彫り上げられてなかなか精巧な作りになっており、時間ごとに窓からカッコーが飛び出して鳴き、オルゴールとともに人形がダンスをしたり働いたりするしかけである。ドイツで見たような超高級品は届かなかったが、きっと赤ちゃんの人生分ぐらいは時を刻んでくれるだろう。
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雪が続く
12月に入ると急に寒くなり、雪の日が多くなった。暖冬だのいや通年並みだのと言いあっているうちに、結局いつもと同じ冬になっていくからおかしい。
ホテル・ドローム周辺にはトドマツの木が多いが、いずれも雪をかぶって重そうにしている。葉を落として冬を越すいささかずるいカラマツは日本の信州方面から来た木である。その点わが北海道のトドマツは偉い。舞い降りる雪を受けとめつつすっくとたち続けるその姿やよし、態度が立派でいさぎよいではないか。
写真は12月上旬、その後雪はどんどん積もり続け、いまでは道の両側に1メートル以上の壁ができている。
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久しぶりの東京
年々東京へ行く回数が減っている。以前は毎月必ず上京する習慣だったのだが、いま思うと一体どこでなにをしていたのかよく分からない。というのはちょっとウソで、アリス・ファームのお店があったのだから、まあなにかビジネスらしいことをしていたのだろう。おもしろかったのは西武百貨店がぼくを主人公にしたブランド「アーサーズ・ビーイング」というのを立ち上げた頃で、様々な人たちと出会い、一緒に仕事をした。
そのひとりが写真の小石原で、麻布にある彼の豪邸によく遊びに行ったものだ。12月の中旬、久々に小石原家を訪問して懐かしい一日を過ごした。お嬢ちゃんふたりもすっかり大きくなって、明るく楽しい家庭であった。左端は小石原のお母さん、そのずっと奥におとぼけワンちゃんが寝てる。
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クリスマスの全員集合
毎年、大晦日から新年にかけて「全員集合」をやっていたのだが、有巣や仁木が仕事をするようになって、今年はそれがむずかしい情勢だった。有巣はどのみち帰省不可能だが、それ以外ではクリスマスあたりの連休が集まれる唯一の日程だと判明。カトリック信者の母親はクリスマス日程が混んでいたが、無理を言ってホームから連れ出した。
そういう調整をしてようやく集まったのがこの写真なのだが、こんな家族内事情など細々述べて申し訳ない。来客が見たくもないアルバムを見せられるようなホームページになりつつあるのだろうか。いや申し訳ない。各種忘年会が5回あってそれなりにおもしろかったのだが、いずれも写真を撮り忘れてしまった。
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大晦日の過ごし方、神社当番の年
赤井川村には神社があって、この運営は各区会(町内会のようなもの)が交代で担当することになっている。今年はぼくたちの区会をふくむ3区会の担当で、だから大晦日とか節分とか秋祭りとかを受け持たなくてはならない。「祭典副委員長」のぼくは大晦日の一日ずっと神社に詰めることになった。
朝はみんなで建物の雪おろしをやり、午後は祭典用の飾り付けなどを担当し、夜は儀式やお参りの人の応対が仕事だ。写真は2012年を迎えたまさにその時で、こういう平均年齢の高い役員の皆様なのである。神社でお清めしてもらったので、今年はきっといい年になるだろう。
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●2011年11月
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今年はいつまでも暖かな日が続いてちょっと奇妙な晩秋だった。
いつもなら10月末には雪が舞い、早い年だと11月初旬に根雪になることもあるのに、この緩い空気は一体どうしたことでしょう。気候が変だとすぐに「温暖化の影響」と思ってしまうが、今年の暖かな晩秋はもう少し短期的なことだそうだ。
とはいえ、結局は雪に閉ざされた冬になることは間違いなく、ゆるゆると冬への準備を進める今日この頃であります。 |
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三人の先生
暖かな1 1月をいいことに、毎週のようにクルーズに出た。一人だと心細いので、毎回ヨットスクールの木田先生を誘い、指導をあおいでいる。写真右が木田さんだが、温厚にして控えめな大変優雅な人物である。
写真の後ろで舵を取っているのは、教室の同級生で精神科医の松実先生だ。その前で目をつぶっているのが我家の次男仁木君で、彼も精神科医。つまり先生三人と同乗している。
来春には長男有巣も北海道に帰ってくるので、彼も誘うことにしよう。
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泊原発 廃炉訴訟の集会 11月13日
福島の大事故を経験した以上この恐ろしい原発から脱却するのが当然だと思うのだが、どっこい原子力マフィアは首をすくめてほとぼりが冷めるのを待っている。政・財・官・学の原子力村は強力なのだ。
北海道も知事を筆頭に原発推進に向いており、なんとかそれを阻止したい。という人々が団体で起こしたのが泊原発の廃炉訴訟で、北大の小野先生や市川弁護士が中心になっている。この日は池澤夏樹さんの講演があり、ぼくは4分間スピーチで参加した。ストップ泊!
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遅い初雪 11月15日
今年はいつまでたっても雪が降らなかった。特段降ってもらいたいわけではないのだが、降らないと落ち着かない、という妙な気分。その初雪が1 5日になってようやくやってきた。不思議なもので、あたり一面真っ白になるとちょっと落ち着く。
さて今年はどんな冬になるだろう。積雪の量とその下で活動するエゾヤチネズミの動向が二大関心事だが、ネズミの方はどうも怪しい気配だ。前回の大発生からそろそろ1 0年だから、危険な時期かも知れない。
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冬に向かって機械整備
春と秋は機械整備の季節でもあって、夏の間に使った機械類を整備して格納し、反対に冬に使う機械を倉庫から出して点検整備をしなくてはならない。
アリス・ファームにはトラクターが大小4台、ユンボやタイヤシャベルなどの建設機械類、芝刈り機類、あるいは歩行式の除雪機や耕耘機などの小型類も多くあって、機械倉庫はぎっしりだ。
機械というのは買うのは簡単だが、絶えず整備を要求するものでもある。後手に回る整備にいつも追われている気分だ。写真は11月2 3日、フォードトラクターのオイル交換の様子。
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●2011年10月
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北海道の秋は9・10月の2ヶ月、11月はもう冬に数えなくてはならない。
10月になると朝晩はぐっと寒くなって、遠くの山には雪が乗り始める。朝の散歩の時にはダウンを着こみ、吐く息が白く見える。それでもお天気の日にはポカポカすることもあって、ちょっと得した気分になったりする。 |
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屋根を塗る
北海道の建物の屋根は圧倒的にトタン葺きで、寒いし雪が乗るからそれ以外の素材はちょっと考えられない。昔は「四つ切り」という手法でトタンが固定されていたが、最近は長尺ものが主流だ。内地的な目からすればトタンの屋根は味気なくも思うが、北海道ではこれ以外の選択肢はほとんどない。
欠点は表面が痛むことで、何年かごとに塗装が必要になる。写真の建物はもうずいぶん長い間手入れをしておらず、同じ黒を塗っているのに、びっくりするようなコントラストになる。屋根塗りも北国の冬支度のひとつだ。
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反原発の講演会
わが赤井川村は泊原発から直線で25kmに位置しており、事故があったら直接的に被害を被るエリアにある。福島の事故は決して人ごとではない。
北海道電力はプルサーマル計画を実現するために公聴会などで大がかりな「やらせ」をやっており、その北電から政治献金を受けているのが高橋知事である。
村の議会では知事、総理に向けた「意見書」を採択したが、それに次いで反原発の講演会が開かれた。村の主婦の皆さんが企画したもので、講師は北大の小野有五さんだ。小野先生の説得力のある反原発講義は大変有益だった。
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今年も雨の「紅葉フェスティバル」
ホテル・ドロームの前を通る国道393号には「メープル街道」という名前がついている。沿線にカエデの木が多いことからこう命名したのだが、毎年紅葉の時期にフェスティバルを開催している。今年で3年目になるのだが、なぜかいずれの回も必ず雨なのである。
そもそもぼくの主催するイベントに悪天はつきものなのだが、こう見事に的中するとむしろそれがおもしろくなってきて、皆さん嬉しそうに「やっぱり雨ですねえ」などとぼくを非難するのである。今年もイベント終了後、直ちに晴天になった。
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ギンちゃん3歳になる
ついこの前やってきたギンだが、10月11日に3歳の誕生日を迎えた。ボンちゃん、アンちゃんの系譜になるスタンダード・プードルであるが、先輩たちがニュージーランド出身なの対して、彼女は大阪八
尾市に生まれた。そのせいかどうか、これまでにない特異なキャラクターで、繊細にして臆病、かつ異常に人が好きなのである。大きな体なのにまるでお座敷犬のようにふるまっており、嫉妬にかられたアンは彼女を「チビのデブ」と呼んだりする。たしかにやや小さくやや太めではあるが、どうしてなかなかプリティなギンちゃんである。
ちなみにこの日はぼくの母親の誕生日でもあって、こちらはとうとう95歳、ますます元気なおばあちゃんなのである。
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日本一のドッグラン
おそらく、アンとギンは日本で一番広い専用ドッグランを持つワン公だろう。なにしろ2ヘクタールと4ヘクタールの2カ所があって、走り放題なのである。
日課の散歩は朝昼晩の3回だけど、午後の回は奥にある広い草地まで行く習慣だ。もともとリードなどつけてないから、そのまま全速力で走り出せばいい。ところが。これが全然走り回ったりしないのである。たしかに最初はちょっと走るのだが、すぐに地面の匂いなどかぎ始め、あちこちうろつくばかりである。せっかくの1万坪を有効利用しないふたりに、都会の犬に申し訳ないじゃないか、といい聞かせているところだ。
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ブルーベリーの冬囲い
秋の恒例行事はブルーベリーの冬囲いだ。毎年10月の中旬からおよそ2週間、園内のブルーベリーとカシスの木をひとつづつ縄でしばり上げる。冬期間の雪は2メートルにもなるから、当然ブルーベリーの背を越える。縄で枝を巻き上げておかないとブルーベリーは雪の重みでバキバキ折れてしまうのだ。北国では必須の作業。ところがなにしろ5000本を越える数だからこれが大変。人海戦術しかないので「高齢者事業団」に頼んで毎年人を派遣してもらっている。皆さん体のキレはいまひとつだが、口は達者だからおもしろい。作業が終わると、さあ雪よこい!という気分になる。
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●2011年9月
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ヨットで北海道半周の旅
根室のヨットマンが所有していた船を譲ってもらうことになり、北海道を半周、600キロの旅をして小樽のマリーナまで回航してきた。メンバーは写真左からポパイ菊池、アート木田、デシプリン石川の3氏とぼくの4人。ぼくを除く3名はいずれもヨットのベテランであり、先生なのである。ポパイ氏はケープホーンを回った経験のある「ケープホナー」であり、アート木田氏はヨットスクールの先生だ。デシプリン氏は訓練大好きの山屋で、スクールの先輩に当たる。という皆様との航海は大いに楽しくも有益であった。
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知床の岬に・・・・ハマナスはなかった
根室を出て最初の夜は知床岬の先端に係留した。 生憎の天気で夏だというのにフル装備、いや寒かった。同じ北海道でも東の方はやはりすごい。 このあたりはもうすぐ向こうに国後島があってロシア領だ。だからかどうか、不審なわがヨットを海上保安庁が追跡してきてスピーカーで誰何するのであった。 写真後方は知床半島だが、20年前に野田知佑師とカヌーで一周して以来の訪問になる。観光船が多いのにびっくり。
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ハマナスはなく、クマがいた
知床岬の先端で一夜を過ごして、朝に出航の準備をしていたらヒグマがやってきた。番屋のすぐ前を通ったと思ったら、そのままわれわれのヨットにやってくるではないか。あわててもやいを解き、船を岸から離す。クマまでの距離およそ1 0メートル、しっかりその姿を観察できた。 入港してきた漁師によれば、「いつものクマと顔が違う」とのことである。知床ではクマと猟師は平然と共生している様子だった。足跡ぐらいでピーピー騒ぐわが村とはずいぶん違う。
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野田さんを訪問する
9月初旬、徳島の野田知佑御大を訪問した。小学館の宮川勉もと青少年との年中行事のような訪問である。 野田さんとは8月に東川町で会ったばかりで、特につもる話はないのだが、それでもやっぱりおもしろい。数年前に突然、野田・宮川・藤門をつなぐ「好物」がカツサンドであることが判明したので、お土産はいつも「まい泉」のカツサンドと決まっている。ぼくは2 0年前からまい泉のファンなのだが、近頃は類似品が多くて困る。 写真両端は岡山からきた大学の先生で、なんとなくこういう記念撮影になったものである。犬はアレクシス君。
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野田悦宏コレクション
野田知佑のお兄さん悦宏さんはずっと故郷の熊本で農業をやってきた人で、豪放磊落な大人であった。野田さんよりかなり歳が上だから、元気なうちにまた訪問しよう、そんなことを話していた。野田さんの都合で延び延びになっていたのだが、ある日突然その悦宏さんの訃報を聞くことになった。 悦宏さんは蝶のコレクターで、膨大なコレクションを遺した。放っておくと虫にやられてしまうので、定期的に防虫剤を入れる必要がある。今回の訪問はこれが主目的だった。 写真は感動的に見事な「ゼフィルス」の標本。
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「リベルタ」号の誕生
北海道に帰るとポパイ菊池の手でヨットがすっかり様変わりしていた。船体全体を磨き、セールを改造し、内装やエンジンも全部きれいにしてもらった。妙に小さかったトイレも交換したし、電気系統も心配なく使えるようだ。 そしてなにより、船に新しいロゴが入った。ヨット教室の先生、アート木田氏の本業は看板屋さんで、彼がデザインした「リベルタ」のロゴは素晴らしいのである。言うまでもなくリベルタは英語のリバティー、フランス語のリベルテのスペイン語であり、「自由」の意だ。2011年秋、ぼくの新しい相棒が生まれたのである。
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