アリス・ファーム へようこそ! 北海道 赤井川村 から ブルーベリー ジャム と 北の暮らし をお届けします。


食卓日記マーク
#45 (2025.1.7)
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大根について学んだ
 かつて菜園の常連だった大根、その大根が菜園から姿を消して久しい。
 大根は子供たちにはあまり人気がなかった。「大根とハムのサラダ」甘めのゆず味噌を添えた「ふろふき大根」が主力2品目。これでは大量消費は望めない。先日、おでんはやっぱり大根だねという息子の言葉を聞いて、ようやくその域に到達したかと感慨を深くしたものだ。
 大根といえば、沢庵漬けを筆頭に多種多様な漬け物、おでんやぶり大根のような煮物、油揚げと組んでお味噌汁の実、なますに大根おろし。大根はご飯の友なのである。ごはんあっての大根なのである。主食はご飯という時代には大活躍できたけど、ご飯と副菜が入れ替わったような昨今の食卓では活躍の場が減ってしまった。
 栽培しても持てあますことが多くなったので大根はいつしか菜園から姿を消してしまった。

 その大根が最近、私の食卓に戻ってきた。このところ常食にしている野菜スープに大根は欠かせない。韓国の料理家が冷麺を食べながら発した「大根は出汁のもと」という一言を耳にして以来、私の野菜スープに大根は欠かせない素材となった。
 じゃあ栽培すればいいじゃないかと思うかもしれないが、何となく気が進まないのは大根との相性があまりよくないからだ。大きく曲がったり、三つ股に分かれたり、ひねこびていたり。菜園初心者の友人がすんなりと伸びた立派な大根を掘りあげて、当たり前のようにこれどうぞと渡してくれた時はかなりのショックをうけた。
 今更だが、人間の目の届かない地面の下で成長するいわゆる根菜類はどうも苦手だ。すくすくと育っているのか、何らかの困難にぶち当たって悩んでいるのか地上部を見ただけでは判断が難しい。キャベツやトマトの成長ぶりは誰の目にもあきらかだから、もし困ったことがあれば、困難を共有してそれを取り除こうと努力することができる。それに比べて秘密主義の大根やニンジン、ニンニクや玉葱は地下から発するサインを受け取るのが難しい。


日課のように温室周辺を散歩する蝦夷鹿の親子
 夏も終わりのころいつものようにホームセンターの野菜種子売り場を徘徊していると「おいしい小型大根」という種袋が目に入った。その種袋にはどうみても全長30cm以下と推測される大根の写真が印刷されていた。家庭菜園向き、生でも煮ても美味しいらしい。ミニサイズだって普通の大根と遜色ないということだろう。これからでも種を播けそうな野菜を捜していたところだったのでつい一袋購入してしまった。
 夏の菜園はいつものように足の踏み場もない状態だが、ほぼ収穫し尽くしたルッコラと最終段階に達したパクチーを引き抜いて、大根の種を播くことにした。ルッコラとパクチーの間には盛りの空心菜が陣取っているが、それはそのままにしておいた。空心菜を抜いて一畝全部を大根用地にするなんて、失敗したときのことを考えると恐ろしくてとてもできない。
 フォークとスコップを振り回して土を深く掘り返し、大きな土塊や石などの邪魔ものはていねいに取り除き、種袋の指示に従って、30cm間隔に3粒ずつ種を播いた。全部で15カ所。
 1週間もしないで一斉に発芽を始めた。なんて素直なんだろう。
 このまま放っておいてもよいものか。ネットで検索してもこれといった有益な情報はなし。大根はコツを伝授するほどの作物としては扱われていないらしい。普通にやれば普通に育つよということなのだろう。  そんな中、これはと思われる目から鱗的情報が見つかった。
 発芽した苗は間引きして最終的には本命の1本を残すのはどの作物も同じ。どれを残そうか大いに迷うところであるが、大根の間引きについては単純明快、「まっすぐに伸びた苗を残しなさい」選択の基準は葉の数や葉の色でもなく、背丈の高低でもなく「まっすぐ」これがキーワードなのである。大根の根が地中にすとんと潜るためにはとにかく苗がまっすぐでなくてはいけないのである。地上の苗が僅か5度でも傾いていると地下の根は地面を斜めに降りて行くことになり、隣の大根とぶつかったりして周囲に多大な迷惑をかけるばかりか、自分の領土を確保するのさえ難しくなるのだろう。

 先端がふた股に分かれた大根は隣の大根に突き当たって仕方なくふた方向に分かれて成長してしまったのか。いじけたような短い大根はまっすぐな大根とぶつかって行き場を失ったあげく、あんな姿になってしまったのか。
「まっすぐ、まっすぐ」と唱えながら間引きを重ねた結果、空心菜を挟んで15本のまっすぐな大根の苗が並んだ。ぐんぐん成長する。地面の下では15本の大根が誰からも邪魔されず与えられた自分の領土でまっすぐ育っているのだろう。そうだといいなー。有益な情報を得たので希望が沸いてきた。

 毎朝、起きがけに菜園の見回りにでかける。そして大根の畝に直行する。今日も元気、機嫌良く成長を続けているようだ。しかしどこかおかしい。大根は地面の下で密やかに生長していると思いきや天にも向かって伸びてきたのである。
 この大根は短根で長さは30センチにも満たない種類なのにもう地面から10cmほど頭を出しているのである。頭には青々とした元気な葉っぱをのせている。これ以上伸びたら地上部の長さが地下部のそれを追い越してしまうのではないだろうか。
 なぜなんだろう。土が固くて根が土中に潜ることができないので仕方なく上に伸びたと考えるのが妥当だろう。
 どうせ短根だからと侮らずにもっと深く耕しておけばよかった。
 しかし地上に頭を出している大根はのびのびと育っているようにみえる。その証拠に大根はどれもかなり太い。市販の大根と遜色ない太さ。固い地面にぶつかって思い悩んでいる様にはとても見えない。
 ではなぜ大根は天にも向かって伸びるのか? その真実を知りたくて再び検索。そしてついに真実を突き止めることができた。
 大根には根と葉の間に胚軸といって根と葉を結ぶ茎のようなものがある。頭に葉をのせて天に向かって伸びていたのは根ではなく胚軸という部分だったのである。
 胚軸は根が吸収した水分を葉に送り、葉で作られた栄養を根に届ける役割を果たしているらしい。胚軸は自分で光合成もできるので糖分や水分が多く、甘くて瑞々しいとのこと。確かに地表から突き出た胚軸は薄い緑色。青首大根ならぬ青肩大根。大根は地面に潜るばかりでなく地上にも伸びるのである。ちなみにカブについていえば私たちが食べているのは胚軸の部分、丸い球から下にヒョロヒョロ伸びているのが根だそうだ。

 そろそろ抜いてみようかな、早く会いたいなーと思いながら、抜く決心がつかずに日が過ぎていった。
 そんなある日、遊びに来た孫の春とあきの姉弟が菜園にやってきて、赤い実があれば摘んでは囓り、青い柔らかそうな葉っぱがあれば引きちぎって口に放り込みながら楽しそうに歩き回っていた。青い葉をのせた大根が目に入るやいなや二人して大根を引き抜いてしまったのである。大根は幼い二人でも簡単に抜けるほど短かったのである。
 短根とは聞いていたがこれほど短いとは! 青い胚軸の部分と殆ど同じ長さの泥にまみれた白い根っこ。
 しかし私は落胆しなかった。彼らが引き抜いた大根は種袋に印刷された大根とうりふたつ、太くてまっすぐ、これが正しい姿だったからである。
 放っておくと姉弟に全部抜かれてしまいそうなので3本引き抜いたところで彼らを菜園から追い出した。1本は私、2本は彼ら家族。煮ても下ろしても実に美味かった。

 久々の大根栽培で学んだことがたくさんあった。
 30センチ間隔で3粒の種を播く。
 まっすぐな苗を残す
 天に向かって伸びても心配はいらない。それは根ではなくて胚軸だからである。
 短根でも十分に美味しい
 もちろん来季も種を播くつもりでいる。中短根くらいに挑戦しようかな。


ビーツ!ビーツ!
 苦手な地下野菜だが、このところ毎年ビーツを栽培している。ビーツと聞くとたいていの人はボルシチを連想するらしいが、私は長い人生でボルシチを食べたのは多分10回未満、長い人生で自分でボルシチを作ったのは3回未満。ボルシチ以外の料理にも使われているようだが、記憶に残るようなひと皿には出会ったことがなかった。
 数年前に村の農家の方から聖護院大根のように立派なビーツをいただいた。ボルシチの材料としては10皿分は十分にある。
 せっかくいただいのだから無駄にしたくはない。久しぶりにビーツのレシピを検索してみるとビーツもだいぶポピュラーになったのか、煮込み料理やサラダ、スムージーやスープなど工夫をこらしたレシピが多数見つかった。その中ではスパイスを効かせたピクルスがわが食卓には一番なじみやすいように思えた。そういえばニュージーランドではハンバーガーの付け合わせにビーツのピクルスがよく使われていたのを思い出だした。
 ピクルスならサラダに散らしたり、肉料理の付け合わせとしても便利に使えるだろう。ボルシチ用に冷凍保存するよりは利用価値が高そうだ。

 ずいぶん前に読んだレシピ本にビーツを扱う際にはbloodに注意せよという記述があった。出血に注意という意味だと思う。ビーツを茹でるときは必ず丸ごと茹でること、皮をむいたり、スライスするなんてのはもっての外、ひげを切り落としてもbloodの原因になるからひげも切り落としてはいけないという注意書きが添えてあった。丸ごと茹でないと辺りが血の海になるよという警告なのだろう。そのことを思い出したので大きなビーツを大鍋で丸ごと1時間ほど茹でた。柔らかくなったビーツをビニールシートでガードしたまな板の上で小さくカット。瓶にぎゅうぎゅうに詰めてマスタードやクローブをきかせた酸味の強いピクルス液を注いだ。2リットル瓶に2本、地下の貯蔵庫に並べた。あんなに注意したつもりでも気がつくと赤いゆで汁はキッチンの壁をあちこち汚していた。
 今年収穫したビーツは茹でずに蒸し器に並べて蒸してみた。ゆで汁に比べると蒸し汁ははるかに量が少ない。予想通り被害はほとんどなし。切るより丸ごと、茹でるより蒸す、ビーツ料理のコツのひとつはそこにある。

 友達の兵藤ニーナさんが札幌でやっているロシアレストラン「ペチカ」にお邪魔したときのこと、メニューにウクライナ風サラダというのを見つけて注文してみた。茹でた角切りのジャガイモに同じサイズにカットしたビーツを合わせてビネグレットソースで和えたひと皿だった。マヨネーズで和えた普通のポテサラよりさっぱりした食味のサラダは大地の味がしてしみじみと美味しかった。お互いに地下生活者同士、相性がいいのかもしれない。しかしこのサラダは味もさることながら、その牡丹の花のような鮮やかな色でテーブルの主役となった。どちらかというと地味な色合いのボルシチやペリメニがのったテーブルがこのひと皿で何と華やになったことか。凡百の花束よりビーツ! ビーツにはそういう力があったのである。

 翌日、早速、貯蔵庫からビーツのピクルスを取り出して、夕食の菜園サラダに散らしてみた。様々な緑のベビーリーフ、赤やオレンジ、ピンクや黄色のカラフルなトマト、黄緑色のロマネスコ、これだけでも十分にきれいな色合いだが、そこにビーツのピクルスが加わるとサラダの雰囲気が一変した。菜園サラダは確かに彩り豊かではあるが、それはサラダボールに行儀よく収まった菜園、食卓に移動したいつもの菜園なのである。ところがここに少量のビーツが加わるとサラダボールの中は見慣れた菜園サラダとはまるで違って見えた。少々、否かなり大げさかもしれないが、中世の画家、アンチン・ボルドの絵画のような怪しげな様相を呈したのであった。

 肉料理にマッシュしたポテトとビーツのピクルスを添える、色合いのさみしい冬のサラダのドレッシングに牡丹色のピクルス液を加える、ビーツは味はともかくそこにあるだけで食卓を華やかにしてくれるのである。
 ビーツには失礼かもしれないが、ビーツの最大の魅力は他の野菜にはない濃い色にあると思う。芯の芯まで牡丹の色。ビーツはほうれん草と同類でヒユ科に属する野菜。赤い根っこのほうれん草は葉っぱに、ビーツは葉っぱより根っこに力を注いだ結果、現在のような姿になったのかもしれない。
 ほうれん草は努力が実って、おかかをまぶしたお浸しからポパイ愛用の缶詰、キッシュロレーヌまで世界中の食卓に遍く進出しているのに対し、わがビーツはまだまだスラブ系の地方野菜に留まっているようだ。色だけで世界制覇するのはやはり難しいのだろうか。


パッションフルーツ、花も実も
 色々な花の種が出品されているネットオークションのサイトはとてもおもしろい。大手種苗屋さんのサイトでは見かけない種子や名前を聞いたこともない珍しい種子が出品されていることがある。今年購入したのは「赤いコウリンタンポポ」「白ヤマブキ」「オトギリソウ」他多数。最近、海外から種子を購入するのが難しくなってきたのでこのところオークションを頻繁に利用している。
 以前、オークションで「白花ビロードモウズイカ」の種をみつけた。カレル・チャペックが踏切り花と名付けたビロードモウズイカ、仁木町の踏切脇でその黄色い花を見つけた時、モウズイカは洋の東西を問わず「踏切花」なんだなーといたく感動した覚えがある。白い花が咲くモウズイカなんて見たことがなかったので「白花モウズイカ」の種子に飛びついた。するとモウズイカのオマケにパッションフルーツ、時計草の種がついてきた。時計草は地味なモウズイカの対局にあるような南国に咲く大輪の花だ。
 白花ビロードモウズイカの種を播くついでにオマケの時計草の種も播いてみた。
 春とはいえ外には雪が残っているし、温室でも寒いのだろうか両者ともかたくなに発芽しない。播種から1ヶ月たって気温も上昇してきたのに両者とも変化なし。南国生まれの時計草はダメでも頑強そうな踏切花には何とかしてもらいたいなーと諦めかけていたころ時計草が先に発芽したのである。つややかな緑色の芽。翌日2つめが発芽した。ポットを日当りのいい一等地に移動させたり、めったに使わない液状の肥料を与えたりしてまめに面倒をみたら、苗は順調に成長して葉数も増えていった。他の3ポットは発芽しなかったが、2株あれば十分。やがてツルが伸び始めた。

 ツルは何かに掴まりたがっている様子なので3尺の女竹で株を囲った。花は咲かなかったが、秋になってもまだまだ元気なので温室で冬越しさせてみることにした。温室とはいえ最低気温が零度を下回ることも多い。南国生まれには無理だろうなと諦めていたところ、嬉しいことにひと株だけ生き延びて春を迎えることができたのである。快挙! 快挙!
 厳冬を生き延びた時計草は春の日差しを浴びてすくすくと育った。ツルがどんどん伸びるので支柱の女竹も3尺から4尺へ、4尺から5尺へと伸びていった。大きな派手な花もぽつぽつ咲き始めている。しかしこんなに勢いがあるなら温室に閉じ込めておくより、屋外に移動させた方がいいかもしれない。なにより奔放に成長する時計草自身が外に出たかっているように見えた。枯れてもいいではないか。
 移植先は菜園に新調したパーゴラに決めた。この殺風景なパーゴラに這わせてみようという作戦。パーゴラの両サイドは高さ2メートル、幅90センチくらいのラティスの壁になっている。ハニーサックルという先客がいるけどまあ我慢してもらおう。時計草は3度の鉢替えを経て今は直径60センチくらいの大鉢に植わっている。この鉢を温室から運び出してラティスのそばに掘った大きな穴に鉢ごと埋め込んだ。
 今やラティスという立派な壁を与えられた時計草は勢いよく縦横に枝を拡げた。そして緑の殻をまとった蕾みをたくさんつけた。朝、菜園に飛んでいくと緑の蕾みが開いてパーゴラの壁に大きな時計草の花が何輪も咲いている。予想もしなかった場所に不意打ちのようにして咲くのである。
 時計草の花を見たことがあるだろうか。花は直径10センチをゆうに超す。花弁やがく片はもちろんのこと、えんじ色のめしべも柱頭も黄色いおしべも葯もみんなでその存在を声高に主張するのである。昆虫を誘うための戦略なのだろうが、そんなに頑張らなくても大丈夫とひと声かけたくなるような花なのである。
 確かに美しい花ではあるが、時計草が北国の菜園には不似合いな花であることは否めない。とはいえ、毎朝、新しく開いた大輪の花を目にできるのはとても幸せなことだ。


 時計草は瞬く間にパーゴラの屋根に這い上り、反対側のラティスに到達しかけたところで、急激な寒さに襲われて勢いを失った。それでも花を咲かせ続けたが、いよいよ気温が下がってきたのでツルを切り、枝を整理して鉢を掘りあげて温室にしまった。
 株全体を保温用ビニールで包まれた時計草は今、雪を眺めながら温室で静かに過ごしている。今年も冬を越せるといいなー。
 オークションのオマケにもらった種がここまで育つとは思いも寄らなかった。たまにはこういうこともあるから種まきはやめられない。オマケじゃない方の白花ビロードモウズイカの種はついにひとつも発芽しなかった。

 余市お買い物ルートの最後はホームセンターコメリ。コメリは全国展開しているホームセンターのせいか、北海道では見かけない苗が時々見つかるので寄らずにはいられない。
 種まきが一段落した夏の初め、屋外の苗売り場に直行すると果物時計草、パッションフルーツの苗が5鉢並んでいた。一鉢1980円、栽培中の時計草は観賞用だけど、これはルビースターという品種でちゃんと実がなるらしい。でも1980円は高いなー、石垣島のメイクマンだったら多分、半値以下で手に入るだろう。と鉢を手に取ることもなく棚の前を通り過ぎた。
 2週間ほどして行ってみると5鉢のパッションフルーツは、以前と同じ状態で並んでいた。価格だけが980円とほぼ半額になっていた。買おうかな、もし私が買わなかったらきっとゴミとして処分されてしまうだろうなー、と思ったが、すでに値下げ品の花苗をたくさんかごに入れてしまったのでこれ以上、車には積めない。
 私は値下げ品の苗に目がなくて、半分枯れたような苗を再生して花を咲かせるのを無上の喜びとしているのである。私が買わなかったら明日はゴミとして処分されるに違いない花苗。そういう苗を温室につれて帰って、世話をしてやると必ず何倍ものお返しをくれるのである。

 買いそびれた5鉢のパッションたちはその後どうしているだろう。だれかに引き取られていっただろうか、それとも・・・。値下げ苗愛好家としてはその行方が気になってコメリまで車を走らせた。

 パッションはひと鉢も欠けることなく棚に並んでいた。ただ値段が1鉢198円と1ヶ月前の10分の1になっていたのである。他の値下げ苗とは違って順調に成長しているのに価格だけが急降下していたのである。よし、買ってあげよう。
 5鉢のパッションを温室に連れて帰った。ひとまわり大きな鉢に移してひと通りの世話をしてやるとパッションはすくすく育ち、蕾みをつけて順調に花を咲かせた。
 1メートル位に成長したので、5尺の女竹で囲いを作ってやると待ってましたとばかりに支柱にツルを絡めて縦横に枝を拡げた。
 夏の間は菜園や庭の仕事に追われて、温室でゆっくり過ごすことはめったにない。8月のある日、いつものように菜園で野菜の手入れをしていると急に雨が降り出したので温室に駆け込んだ。温室に置き去りにされたバジルやケイトウの苗に謝りながら歩いていると5鉢のパッションの前で足が止まった。大ぶりな葉っぱの陰に身を潜めるようにして赤い実が3個、揺れているではないか。これまで気づかなかったのが不思議なほど立派な実。花がたくさん咲いていたから実がなるのは当たり前、不意打ちでも何でもないが、あのコメリの苗がまさかこんな立派な実をつけるなんて想像もしなかった。
 赤い実をはさみで切りとってキッチンに飾った。
 目をこらすと他の株にも丸い緑色の実が5つほど見つかった。嬉しいなー。
 多分2年生か3年生の苗だったのだろう。

 キッチンに飾ってしばらく眺めていたが、意を決して赤い実にナイフをいれて食べてみた。美味この上なし。私はパッションフルーツが大好きなので石垣島の箱庭果樹園でも栽培しているし、パッション栽培の第一人者石川さんの川平ファームの常連だし、沖縄本島でも台湾でもパッションを見かけると必ず買って食べてきた。
 しかし今、口にしたパッションはこれまで食べたパッションの中では最上のパッションだった。中身の詰まり具合といい、酸味も甘みもこれまで味わったことがないほど濃厚なのである。198円の苗を結実にまで導いたという思いが美味しく感じさせるということは確かにあるだろう。しかし、その思いを差し引いてもこのパッションに限っては正しく美味しかった。
<証拠> 息子一家がいつものように各々捕虫網を携えて来訪。ひとつだけ残っていた完熟パッションを半分に切って渡すと一家5人は小さなパッションを奪い合いで食べていた。その中にはどう見たってこの複雑な味わいと食感を好みそうもない2歳男児も混じっていた。 「おばあちゃん来年はたくさん作ってね」はいはい、言われなくたってそのつもりです。


いつでもトマト

「不作なんてない。下手なだけ。」深沢七郎先生の言葉。私も今後は不作という言葉を使うのはやめることにした。今年は下手だった、今年はそれほど下手でもなかった、来年はもう少し上手になろう。寒かった、雨が少なかった、日照不足だった、そうした悪条件に適切に対応して面倒を見てやらなかった私が悪い。下手だったのだ。

 トマトは去年より少し下手、一昨年より上手だった。
 大玉トマトはいつも通り、固定種の「世界一」「ポンテローザ」「アロイ」「ピンクブランデーワイン」(別名を探りたい)新種の「サンマルツィアーノ・リゼルバ」全部で6種類のトマトを栽培した。主力は料理用のサンマルツィアーノだが、長い間、自家採取した種を繰り返し利用してきたのでここらで心機一転、今年は新しい種を導入することにした。そして「サンマルツィアーノ・リゼルバ」を購入して栽培してみた。
 慣れ親しんだサンマルツィアーノは、放っておいても実をたくさんつけるのでいつでも上手にできた。ところが新しいリゼルバは実が従来のサンマルツィアーノに比べると2〜3割小さい上に株の生育も思わしくなくて、収穫量は例年の半分にも満たなかった。
 他のトマトはいつも通りだったからとリゼルバの側に問題があったと考えたい。保存用トマトの収量が半減してしまったのでまことに心細い。例年なら冷凍ストッカーにあふれる位詰め込むのに、今年はおとなしく整然と納まってしまった。来年の夏までもつかなー。


 ミニトマトは去年より少し上手だったかもしれない。今年は、これまでの固定種一筋という方針を大転換させて、すべて交配種のトマトに替えてみた。交配種とは何か? 異なった性質をもつ固定種、例えば美味しいけど病気に弱いトマトと逆に美味しくないけど病気に強いトマトを掛け合わせて作られた新種のトマト。異なった性質をもつトマト同士を掛け合わせることで、美味しくて病気に強いという優れた性質をもつトマトを作ることができる。しかし2代目は親と同じ形質を引き継ぐとは限らない。一定の確率でまずくて病気に弱いトマトも混ざることがある。家庭菜園なら笑って済ませてもいいけど販売用トマトはそうはいかない。それ故、交配種の種は毎年購入することになる。
 固定種のトマトから交配種に変えた理由はただひとつ、交配種トマトの方が美味しいからである。それはそうだ。今やトマトの主力はミニトマトだから種苗会社は改良に余念がない。昨年よりもっと艶やかで皮が薄くて果汁たっぷりでうま味の塊で糖度が高い新種のトマトが毎年、カタログの表紙を飾る。かたや固定種のトマトは種苗会社にしてみれば商売にならないのだろう。
 秋に採って保存しておいた種を繰り返し使える固定種は、一度、種を手にいれたら終生、種を購入する必要がない。種を無限につなぐことができるのである。孫子の代までつなぐことができるのである。
 私が固定種にこだわって来たのはまさにその種をつないで行くという本来的な農業のあり方に沿って菜園を運営したいと考えたからだ。
 しかし不本意ながら今年は欲望に思想(=やせ我慢)が蹴散らされてしまった。堕落したのである。朝、菜園でもいでサラダ代わりに口に放り込むミニトマト、交配種のプチぷよと固定種のステラミニでは味の差は歴然としている。交配種はカタログの文句通りの味と食感、固定種はカタログ通りに昔ながらの味なのである。
 栽培したのは家庭菜園のレジェンド安達先生おすすめの「惚れまる」と「プチぷよ」直売所で人気の「千果」「オレンジ千果」加熱しても美味しい「レッドオーレ」友人推薦の「アマルフィーの誘惑」近所のホームセンターで苗を購入した糖度が抜群に高い「オレンジパルチェ」とおなじみの「アイコ」去年評判のよかった「ブラックチェリー」(唯一の固定種)の9種類。収穫量は去年と変わらなかったが、味の面でははるかに上手だった。
 来年はどうしよう。2年続けて堕落するか、原点に立ち返るか。

「美しいトマトの科学図鑑」副題「東京大学の農場で野菜や果物を育ててみた」つまり東京大学の農場で育てた50種類のトマトをお洒落な図鑑にして、それぞれのトマトの糖度やアミノ酸量(うま味)などを科学的に分析してみました、見て楽しい、読んで役に立つという魅力的なトマト図鑑がこの夏、出版された。東京大学の農場がどうした、と言いたいけど、ここはトマトに深く関わってきたつもりの私としては買わずにはいられなかった。
 一般の図鑑のように初めはトマトに関する植物的な解説。次に本体ともいえる50種類のトマトの美しい写真がきれいにレイアウトされている。締めくくりとして各トマトの科学的分析結果がグラフや表で示されている。へーこんなに色んな種類のトマトがあるのか、一体どんな味なんだろうと普通のトマト好きなら感動するに違いない。何より黒地をバックにそれぞれのトマトを美しく並べた編集センスは秀逸。
 しかしトマトと長いことつきあってきた私にいわせるとこの図鑑のハイライトに当たる50種類のトマト、その並び順がどうにも腑に落ちないのである。どういう意図でこのような配列になったのか、制作者の意図が読み取れない。だから何となく落ち着かない。
 おすすめ順なのか、それとも人気の順なのか、栽培が容易な順番なのか、単にビジュアル効果を狙っただけなのか?
 図鑑というからには、大玉トマトとミニトマト、固定種と交配種、クッキング用と生食用というような大まかな分類の元に各論に入って欲しい。一部のトマトフリークしか栽培していない「マイクロトマト赤」からスタートするなんてありえない。ミニトマトならアイコ、大玉だったらももたろう、中玉ならフルティカあたりから始めて欲しい。そういう選択だと安心して眺めることができる。蝶の図鑑でいえば1ページ目にいきなりりんごシジミが登場したかと思ったら次のページはベニシジミ、その次は唐突にオオイチモンジが登場するようなものだ。

 私が抱いた違和感については美しければいいじゃんの一言で退けることができるだろう。タイトルだって美しいトマトの図鑑なのだから。
 しかし私はこの図鑑をお気に入りの図鑑としてボロボロになるまでつきあおうとは思わない。トマトという狭い範囲に限定された図鑑だからではない。その理由はこの図鑑にはトマト愛が感じられないからである。学問レベルではトマトという植物に惚れ込んでいるのはよく分かる。しかしトマトってすてきだね、トマトは曲者だけどやっぱり面白いよねというようなトマトそのものを丸ごと愛する気持ちが伝わって来ないのである。図鑑にそんなことまで要求するのは筋違いであることはわかっているが。
 舞台となった温室では今でもトマトを栽培しているのだろうか? 大手企業と手を結んだゲノム編集トマトや遺伝子組み換えトマトの実験栽培ではなく、パスタポモドーロに最適なトマトの品種は何か、安定的に収穫できて保存性も高い調理用トマトや和食に合うトマトは? というような方向で研究を深めてくれたらうれしいな。しかしいつ誰のために役に立つともしれない研究に資金を投入する余裕なんて今の日本にはないのかもしれないが。

 図鑑というのは写真を並べてDATAと必要最小限の言葉を添えたかなり無個性ともいえる書物だろう。項目の選び方や載せる写真の選定で著者の個性は十分発揮されることにはなるのだが。しかし昆虫図鑑だって野の花図鑑だって野鳥図鑑だって北国の蝶図鑑だってその底に共通して流れているのは著者が対象に対してずっと抱き続けている深い愛なのである。子供のころから捕虫網を振り回してきた著者の蝶に対する揺らぐことのない愛なのである。繰り返すけどこのトマトの科学図鑑にはそれが感じられないのである。


マウロの地中海トマトに注意!

 トマトの種子を検索すると大玉、中玉、ミニ、マイクロと膨大な種類の種子が見つかるが、最近「マウロの地中海トマト」というシリーズのトマトが目につくようになった。トマトの写真がドカーンと印刷されたおなじみの種袋とは違って、このシリーズの種袋はイラスト入りのお洒落なデザインで統一されている。
「シシリアンルージュ」「ロッソアモーレ」というようなワケのわからない名前のトマトの種子がズラリと並ぶ中、最も意味不明な「アマルフィの誘惑」(改めて種袋を見てびっくり。セレブが愛するセクシーな甘さとはどういう味をイメージすればいいのだろう。英語名もおかしい)と「サンマルツィアーノ・リゼルバ」の種子を購入して栽培してみた。大げさなきらきらネームの割りにはごく普通の中玉トマトだった。
「マウロの地中海トマト」とは何者か? 気になったので検索してみるとそれらの種子を生産販売しているのはサナテックという会社、マウロ氏はイタリアでは有名なトマトの育種家らしい。
 サナテック社の仕事を紹介するページには「私たちはゲノム編集で品種改良された種子を生産販売する会社です」と誇らしげに記載されていた。ゲノム編集トマトの第1号が「シシリアンルージュハイギャバ」2号も申請中だが市場にはまだ出回っていないらしい。第1号のシシリアンルージュハイギャバは高級トマトとしてすでに販売されているが、種子や苗はネットで調べた限りでは一般には販売されていない。(苗は小中学校に無償で配布したことがあるそうだ)
 ゲノム編集とはいかなる技術なのか? 遺伝子組み換えとはどう違うのか? 遺伝子の基本が分かっていない私のおおまかな理解ではゲノム編集は遺伝子の配列を人為的に変えたり一部を切り取るなどして変異を確実におこさせる技術、その技術は画期的ではあるがこれまで行われてきた品種改良技術の延長上にあるらしい。かたや遺伝子組み換えは異なる生物の遺伝子を導入して変異をおこさせる技術。人体に対する安全性については両方とも未知の部分が多い。新しい技術だからそれを長期間栽培したり、摂取した場合の環境や人体へのリスクは未知数なのだろう。

 遺伝子組み換え作物やそれを使った製品には複雑ではあるが一応、遺伝子組み換えの表示義務が課せられている。一方、ゲノム編集の種子や苗、果実やそれを使用した製品には表示する義務はない。ゲノム編集された種子を使って生産された生産物は、品種改良や突然変異を利用して改良された従来の生産物と基本的に区別できないから表示する意味がない、というのが消費者庁の見解。そう言われても消費者としては納得できない。
 現に消費者の半数近くがゲノム編集作物の安全性については漠とした不安を抱いているらしい。
 私は表示する意味があるかどうかは消費者の判断に委ねて欲しいと思う。ゲノム編集が生産者にとって誇るべき情報であるなら、むしろ積極的にゲノム編集と表示して販売して欲しい。その情報をもとに購入するかどうかは消費者が判断すればいい。
 幸いにも今のところサナテックではゲノム編集されたトマトにはその旨を表示して販売しているが、種子や苗にも同様な表示をするのだろうか?
 ゲノム編集された種や製品の安全性について少しでも気になるならマウロ氏には近づかない方がいいかもしれない。
 私たち食品の生産者は嫌がらせとしか思えないような厳密な表示が義務づけられているのにゲノム編集なんてたった5文字を付け加えればいいだけじゃない、といつもお役所にいじめられている身としては嫌みのひとつも言いたくなるのである。


写真館

夏の食卓
●野菜スープ
キャベツ、白菜、玉葱、ニンニク、生姜、トマト、ハンダマ、ツルムラサキ、大根、ニンジン、シメジ、パクチー、味噌、ナンプラー、クミン
●ゴーヤーチャンプルー
ゴーヤー(あばし)、豆腐、卵
●煮物
カボチャ(くりりん)ナス(真黒)ナムル(空心菜)
●ミニトマト色々+小葉バジル・バル
サミコ酢
●おまけ
もずく、オクラ(島おくら)納豆、大根おろし、ナメコ



アリスファームの夕暮れ




左/事務職員みんなで お出迎え  右/菜園に遠征中のジンジャー



左/まともなロマネスコができた
中/石垣島の箱庭果樹園ではライチが豊作。美味この上なし
右/お帰りなさいゼフィルス



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